高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第12回 オリックスのリーグ3連覇(2021〜2023年)など、数々の球団で手腕を発揮してきた名投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ「若者を輝かせるための対話式コーチング」。第12回のテー…

高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第12回

 オリックスのリーグ3連覇(2021〜2023年)など、数々の球団で手腕を発揮してきた名投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ「若者を輝かせるための対話式コーチング」。第12回のテーマは「自信を失った投手の再生法」。アマチュア時代に大活躍した投手が、プロ入り後に低迷してしまう原因。落ち込んだ若手投手をどのように立ち直させるのか、その手腕に迫った。

【伸び悩む投手が直面する課題】

── 高山さんは一軍で活躍できる投手の特徴として「枠(ストライクゾーン)で勝負できるか」を挙げています。これはプロであっても、難しいことなのでしょうか。

高山 一軍となると当然、打撃技術が高く、選球眼のいい選手が揃います。甘い高さやコースにいけば、打たれてしまうという心理がどうしても働きます。ただ、過剰に意識してしまう投手は、有利なカウントをつくれず、終始腕の振りの鈍い、苦し紛れの投球になります。その結果、四死球や痛打される確率が高まってしまうんです。一軍主力投手との大きな差は、技術力はもちろん、思考力の差でもあるのかなと感じます。

── シリーズ第8回でソフトバンクコーチ時代、コースを狙いすぎていた金澤健人投手に「ゾーン勝負で、ファウルでカウントを進めよう」と伝えたエピソードを思い出しました。

高山 彼の特徴は、四隅のコントロールはないにしろ、ストレート、変化球(縦、横)の球威、キレがありました。だから四隅のコントロール重視ではなく、高さだけ意識しながら腕を強く振ることによって、逆に幅を広く使えていた気がします。リリーフで頑張ってくれました。

── アマチュア時代に活躍しながら、プロ入り後に伸び悩む投手の多くは、その部分でつまずいているような気がします。

高山 まず、ストライクゾーンの違いがあります。アマ時代よりもゾーンが狭くなり、多少戸惑いを感じると思います。そして、アマ時代に自信のあった球種(ストレート含む)が、簡単に対応され続けると、フォームから躍動感が消え、腕の振りも鈍り、どんどん長所が消えてしまう選手も少なからずいました。

── 高山さんは複数の球団で二軍コーチも経験していますが、プロですっかり自信を喪失した若手投手も見てこられたのでしょうね。

高山 はい。表情に出やすいのが投手の特徴ですが、もっと言うと、後ろ向きな言動、行動、態度が増えてきます。本人は気づいているかわかりませんが。

── そんな選手には、コーチとしてどうアプローチしていくのでしょうか。

高山 選手の話を聞いたうえで、あらためて本人の長所を確認しながら、そこを生かす方法を話していたと思います。基本的に、自信をなくして視野が狭くなっている状態なので、前向きな発想の転換をするなどして、モチベーションを保てるように接していた記憶があります。

── 対話を重視する、高山さんらしいやり方ですね。

高山 ただ難しかったのは、本当にごくごく稀でしたが、会話がなかなか成立しない選手もいました。プロ野球の世界の厳しさや、現実を知ってか知らずか、間違ったプライドか何かわかりませんが、自分自身の評価が非常に高く、チームのなかでの底辺に近い現在地が理解できない。これは私の力不足だったと思いますが、苦い思い出があります。


オリックスから日本ハムに移籍した昨季、10勝を挙げた山﨑福也

 photo by Koike Yoshihiro

【技術指導の前に必要な対話の重要性】

── プロの世界で自信を失い、立ち直った選手もいたのでしょうか?

高山 オリックス時代に接した山﨑福也(現・日本ハム)はそうだったと思います。

── そうなのですね。それは意外です。

高山 福也が、新天地で(伏見)寅威とともに頑張っている姿を見て、本当にうれしく思っています。2015年のドラフト1位でオリックスに入団し、遅咲きの感は否めないですが、自分の投球スタイルが確立されたのだと思います。現役選手なので詳細は控えますが、入団当初からの数年は何度も何度も挫折して、メンタルが崩壊している時期があったようです。私がオリックスに戻った2018年の春季キャンプでは、気力が失せて、まったく存在感がありませんでした。

── 山﨑投手がちょうどプロの壁に苦しんでいた時期ですね。

高山 少し投げやりな時期があり、あることで強く叱りもしました。本来の福也は、素直さのなかに芯の強さも持ち合わせていました。なんとか迷いを消し、自身を客観視させてあげられれば、必ず前に進めると思ったのです。当時は場所を選ばず、話をした記憶があります。紆余曲折ありましたが、順風満帆にいかなかった時期が長かったからこそ、ここからの福也の活躍にいっそう期待しています。

── 高山さんの指導スタンスは、もはやカウンセラーに近いのではないかと感じます。

高山 それはないと思いますが......基本的にコミュニケーションが取れなければ、技術的な問題の解決にもなかなか結びつきません。相手の話を聞かないことには、すべてが想像になり、決めつけや固定観念が生じ、間違った評価をしてしまう可能性もあります。私は、まずそれが嫌なので、コミュニケーションは大切にしていました。

── 野球界のコーチと選手の関係性は、今や多様化しています。技術面は外部の機関に頼る選手も増えていますね。この点に関して、高山さんはどう考えていますか。

高山 所属球団の方針とスケジュールが基本だと思います。オフの12〜1月の2カ月間は、自分の意思で、興味ある施設でトレーニングを積むことは問題ないと思います。ただ、情報過多のこの時代、選択には十分に注意を払って、球団に属し、報酬を得ている自覚を持ったなかでレベルアップに励んでほしいと思います。

つづく

高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した