【井上は「序盤から相手をコントロールしていた」】 井上尚弥がキム・イェジュンを4ラウンドKOで下し、WBA/WBC/IBF/WBO世界スーパーバンタム級タイトルを防衛した翌日、"モンスター"が所属するジムの会長である大橋…

【井上は「序盤から相手をコントロールしていた」】

 井上尚弥がキム・イェジュンを4ラウンドKOで下し、WBA/WBC/IBF/WBO世界スーパーバンタム級タイトルを防衛した翌日、"モンスター"が所属するジムの会長である大橋秀行氏は、2025年の青写真を記者たちに告げた。

「ラスベガス、サウジアラビアで防衛戦をこなした後、WBA世界フェザー級王座に挑戦し、その後、"闘うべき相手との一戦"のために122パウンド(スーパーバンタム級)に戻す」というものである。


1月24日、防衛戦を4ラウンドKOで勝利した井上尚弥

 photo by Kitagawa Naoki

 大橋会長が「闘うべき相手」と表するのは中谷潤人だ。その中谷は、井上vs.キム戦を録画で目にした。来る2月24日にWBC世界バンタム級タイトルの防衛戦を控え、LAでキャンプ中であるため、試合開始ゴングが鳴った現地の午前3時21分には起きられるはずもなかった。朝食をとり、ジムに向かう身支度を整えたあとにパソコンを開いた。

 中谷自身、いずれ井上尚弥と対峙することは百も承知だ。対戦意欲も十二分にある。中谷は、現地時間1月25日に8ラウンドのスパーリングをこなしたのち、井上の4冠統一122パウンドのV3について語った。

 昨年11月、リトル東京の一角にオープンしたLA Boxing Gym。中学を卒業して本場で修行を始めた中谷がホームステイした場所から、北北東に4km弱の距離である。近くのサンペドロ通りには、ホームレスのテントが所狭しと並ぶ。日が暮れると、道の真ん中で横になる女性の姿が目に飛び込んできたりする。だから、運転には細心の注意が必要だ。

 WBO世界フライ級、同スーパーフライ級、WBC世界バンタム級を制した中谷は、3本目のベルトを獲得する前のキャンプから、LA市内のコンドミニアムで宿泊するようになった。1月7日にLAX空港に到着した当初、当地を襲った山火事で多少煤(すす)を被ったが、今は順調に汗を流している。

「今回の井上選手は、前の手、つまりジャブが多かったですね。序盤から相手をコントロールしていました。リングを支配しながら、自分の当てたいパンチをしっかりヒットした印象です。キム選手も、たまに怖いパンチを振るっていましたが、的確なヒットはほとんどもらっていません。

 井上選手は、あえてガード越しに攻撃を受けて、キム選手のパワーやパンチの質を計っていましたね。そのうえで試合を組み立てました。3ラウンド、挑戦者がワンツーのダブルをヒットしましたが、あそこにキム選手のハートを感じました。代役ながらも世界タイトルに漕ぎ着け、『なんとか勝利をもぎ取ってやる』という気持ちだったんじゃないでしょうか。ボクシングって、人間の素が出るものです」

【「井上選手は僕にとって最強の相手になる」】

 井上にとって1月24日の試合は、予期せぬトラブル続きだった。対戦相手だったサム・グッドマンがスパーリング中に左目上をカットし、1カ月延期。新たなスケジュールでの調整となったが、試合の13日前になってグッドマンが再び同じ箇所を負傷したため、急遽代わりを立てての防衛戦決行となった。


LAでキャンプ中の中谷

 photo by Soichi Hayashi Sr.

 グッドマンがオーソドックス(右構え)であるのに対し、キムはサウスポーだった。

「中止とか、スケジュール変更があっての試合でしたよね。そうした状況下でハイパフォーマンスを出すのは、大変だったと思います。でも、しっかりと勝った。僕も井上選手をリスペクトしています。

 ファイターですからすぐに切り替えたでしょうが、井上選手は非常に丁寧に試合を作りました。前の手でしっかりキム選手を崩し、その上で空いているところを打っていきましたね。やはり、井上選手が僕にとって最強の相手になることは間違いありません」

 中谷もサウスポーである。キムの闘いぶりから「自分が闘ったら......」と、イメージする点も少なくなかった。

「やはりジャブの差し合いで、いかにアドバンテージを取るかですね。それからリングの使い方。足の運び方。ボディを当てさせないこと。自分のリーチを生かすにはどうすればいいか、井上選手はプレッシャーが強いから、どう外すか。そんなことを考えました」

 WBC世界バンタム級チャンプは、淡々と語った。

「井上選手は、いずれ闘わねばねらない相手だと感じます。『不利だ』という声も聞こえてきますよ。そういった状況のほうが、自分を追い込めます。すべてを出さなければ勝てない、最強の相手との勝負は、間違いなく僕が成長できる一戦になるでしょう」

【トレーナーは「言い訳のない状態で勝たせたい」】

 中谷を15歳の頃から指導するルディ・エルナンデスはこう言った。

「ナオヤ・イノウエもジャパニーズファンも、チャレンジャーを心から敬っていたね。見ていて清々しい光景だった。急な代役にうなづいたキムに対する感謝を忘れなかったんだ。彼が試合を受けてくれなかったら、興行は成立しなかったのだから。

 キムは確かにイノウエに負けたし、ファイターとしての差は大きかった。だが、覚悟を決めて必死で向かっていったよね。私はそんな姿に拍手を贈ったよ。イノウエは今、間違いなくパウンド・フォー・パウンド、ナンバーワンだ。相手がオーソドックだろうがサウスポーだろうが、世界チャンピオンとしてリングで自分の仕事を成し遂げるのがプロ。どんな状況に置かれたとしても、勝つために最大限の準備をして結果を出さねばならない。イノウエはそれを過不足なくやってのけたのさ」

 日本のボクシンファンの誰もが注目する、井上尚弥vs中谷潤人戦についても訊いた。

「何度でも言うが、今のボクシング界で最強のチャンピオンはナオヤ・イノウエだ。彼は自分の時代を築いたんだ。しかし、それがいつまでも続く訳じゃない。また新たな人間が主役となる。それがジュントだと私は信じている。

 すべてはタイミング。122パウンドでも、126パウンド(フェザー級)でも関係ない。とにかくベストな時期にやらせたい。私は、今年の12月が頃合いだと思っているよ。例えば2年後にジュントが勝利しても、『ナオヤが衰えたからだよね』という声が必ず挙がる。そういう言い訳のない状態で勝たせたい。ベストなナオヤを超えることに価値があるんだ」

 中谷は井上尚弥戦を迎えるまでに、まず2月24日に28戦全勝(18KO)のデビッド・クエジャルを倒さねばならない。バンタムでの統一戦も以前から切望しているが、他のチャンピオンは口では対戦をほのめかすものの、どの程度本気なのか疑わしい。それは、中谷の力量がほかの3名のバンタム級世界王者をはるかに上回っているからだ。

 ルディは回顧する。

「ジュントが私のところに来た時、可能性は感じたけれど、冷静に振り返れば何も持っていなかった。でも、ボクシングに己を捧げ、ひとつひとつ武器を身につけていった。その成長度が何より素晴らしい」

 中谷の参謀は、クエジャルについてはさらりとかわした。

「平凡な選手といった感じだな。対戦相手によって、特別なメニューを与えるよりも、ジュントの良さを生かしてやることが私の仕事だ。肝心なことは、パーフェクトな準備をして最高のコンディションでリングに上げてやること。毎日、選手がジムに来るたびに、少しでも向上するように教えることがコーチの仕事なのさ」

 とはいえ、WBC世界バンタム級王者は3度目の防衛戦に集中している。

「クエジャルは僕と同じくらいの身長なので、対策を考えます。これまでの相手なら、近い距離ではボディワークで攻撃を外せましたが、体の大きな選手に対しては接近戦でも上体の動きを使わずに頭の位置を確認しながらガードしていこうと。ほんの少しの変化ですが、それをスパーリングで落とし込んでいく作業です。微調整の繰り返しですね。

 左フックが強い選手なので、耳の後ろなどにクリーンヒットされないように、正確なディフェンスを意識しています。ステップワークも大事なところで出せるよう確認中。ボクシングは、そういった積み重ねが大事になります」

 2025年が明けた時、「怪我なく、理想高く突き進む!」と今年の目標を記した中谷潤人。追いかける者の大きさを把捉しながら、彼は己を磨き上げる。

【プロフィール】
中谷潤人(なかたに・じゅんと)

1998年1月2日、三重県生まれ。29戦29勝(22KO)。小学6年からボクシングを始め、中学1年から桑名市のKOZOジムに入門。中学を卒業後、アメリカに単身留学し、16歳の時にM.Tジムへ移籍。2015年4月にプロデビューし、2019年2月日本王者に。2020年11月にWBO世界フライ級王座を獲得。2023年5月にWBO世界スーパーフライ級王座、2024年2月にWBC世界バンタム級王座を獲得し、井上尚弥、田中恒成に続いて史上3人目の「無敗での3階級制覇」を達成した。