今年で30歳を迎えた水泳の入江陵介。16歳で初めて日本代表入りを果たしてから、3度のオリンピックを経験し、今年は4度目のオリンピック出場を目指すはずだった。東京五輪という大きな目標が延期になったことを含め、30歳というひとつの節目に、これ…
今年で30歳を迎えた水泳の入江陵介。16歳で初めて日本代表入りを果たしてから、3度のオリンピックを経験し、今年は4度目のオリンピック出場を目指すはずだった。東京五輪という大きな目標が延期になったことを含め、30歳というひとつの節目に、これまでの水泳人生を振り返ってもらった。
自分の泳ぎと向き合いながら高みを目指す入江陵介
--入江選手を長年取材してきて、2013年世界選手権は印象に残っています。あの時は、背泳ぎ100m、200mの2種目とも4位で、個人はメダルなしの大会になりました。200mが終わったあとのミックスゾーンで「この1年間は引退という2文字をずっと頭の中に持ち続けてやってきた」と言って涙を流しましたよね。
あの時はロンドン五輪がいい結果で終わったあとだったので、ちょっと燃え尽きていた部分がありました。オーストラリアに短期留学もしたんですが、心が競技に追いついていなかったと思います。今振り返れば、1年休めばよかったと思いますね。
13年は、若い世代が一気に4人くらい入ってきて、世代交代が激しくなっていた時期でした。日本チームを自分が引っ張って、金メダルを獲りたいという気持ちもあった中で、それが結果と全然一致しなかったという面ではすごく苦しい大会でした。
--引退は現実的に考えていたんですか?
正直、一度解放されたいという気持ちはありました。ロンドン五輪が終わってからそんなに休みも取れず、気持ちも切り替えられないまま、4年後へ向けてスタートしてしまったので、心を落ち着かせて取り組むことができていなかったと思います。
--そういう状況の中で、東京五輪招致に関わったことはいい方向になりましたか?
あれはちょうど時間が空いていた時期だったし、一生に1度しか経験できないことだから依頼を受けました。それまでは競技者と観客という枠でしか考えていなかったのですが、競技以外のところでどれだけの人が大会を成功させるために動いているのかということを知って、改めて五輪の偉大さを知りました。そういった人たちへの感謝の気持ちも強くなり、選手としてできることをやり切って、結果を出したい、という気持ちが高まりました。
--それで、一度途切れかけていた気持ちが戻ってきたのですね。
そうですね。その時はリオ五輪もまだだったので、自分が東京五輪へ出ることは考えていませんでしたが、五輪に対する思いは強くなりました。それに、そのあたりから、自分が日本代表を引っ張るだけではなく、素直に「(水泳を)やりたいな」という気持ちにもなっていたと思います。
--16年リオデジャネイロ五輪はメドレーリレーも含めてメダルには届きませんでしたが、どういう気持ちで臨んだ大会でしたか。
もちろん金メダルを獲りたいと思っていましたけど、世界選手権でメダルをずっと獲って、世界のトップ3にいたロンドン五輪前とは違い、13年以降の3年間はずっと射程圏外にいました。だから、勢いがあるときとは気持ち的にも違っていました。ただ、3年間の集大成という面では、やれることはやった五輪だったと思います。
--リオ五輪後に拠点をアメリカに移したのは、メダルなしで終わったからですか?
それもありますが、ずっと指導してくれていたコーチがリオ五輪で引退することになっていたんです。日本で新しいコーチを見つけるのは、その時は考えられませんでした。東京五輪はまだ見えていませんでしたが、水泳をやめたい気持ちはなかったので、環境をガラッと変えてゆっくり再スタートしたい、と考えました。自分より先に北島康介さんや松田丈志さんがアメリカやオーストラリアへ行っていたから、僕自身も「そういう道も歩めるんだ」と考えるようになっていたのだと思います。
--アメリカに行ってからは表情も明るくなったように見えましたが、これまでとは違う楽しさはありましたか?
リオ五輪が一区切りだったと思います。そこまでは結果を求め、「チームを引っ張って金メダルを獲りたい」という感じでしたけど、リオのあとは結果にはあまりフォーカスせず、もっと広い視野で水泳を見て楽しみたいと思えるようになりました。本当は17年の日本選手権にも出る予定はなくて、そのくらいの(気軽な)気持ちでやり始めました。
--北島康介選手もアメリカを拠点にしてから泳ぎのスタイルが変わりましたが、入江選手も少し変わりましたね。
選手は誰でも年齢が上がれば、その時の体でどういう泳ぎをするかを常に考えていく必要があると思います。僕の場合は、ウエイトトレーニングを以前より増やして、筋力もついたので、100mは少しずついい結果も出ていると思います。以前は「入江の泳ぎはきれいだ」と言われると、自分でもそうしなければいけないと考えていました。でも、今は美しいかどうかは気にしないで、パワーアップした部分と昔のよさをミックスした新しい泳ぎを作っていきたい、と思っています。以前は何も考えずにいろんなことができていましたが、これからは「どうしたらいい泳ぎができるか」と考えながら、自分で理論的に説明できるようにもしていきたいですね。
--現実的に見れば、男子背泳ぎでは入江選手に続く若い選手がなかなか出てこないのも、やめられない理由ですか。
僕が今やめたとしても、派遣設定記録を破って次の代表に入れる選手がいないのが現実ですし、メドレーリレーも組めなくなってしまうという危機感もあります。だから、誰かに出てきてほしい、というのが今の正直な気持ちですね。
現在はシニアとジュニアの遠征などが別になっているのですが、一緒に行動できるようになれば「ジュニアで勝ってもまだ上がいる」ということを肌で感じられますし、レースに対する姿勢や日常生活でも勉強になることは多いはずです。なので、そのあたりは何か方法を考えてもいいかなと思いますね。
北島さんや松田さんから僕がアドバイスをもらったように、僕からも若い選手に対してアドバイスはできますが、まずは僕自身が勝つことで若い選手に危機感を持ってもらいたい。そして、僕が活躍することで「30歳を過ぎてもあれだけ泳げるのなら、自分たちはもっとできるはずだ」と感じてもらえればいいなとも思っています。
--「東京五輪だけではなく、次のパリ五輪まで出てやるというくらいの気持ちでいたい」と話していましたが、その真意は?
そのくらいの気持ちを持って、ということですね(笑)。今は東京五輪がどうなるかわからないですし、中止になることもありうる状況なので、そこを区切りにしてしまうと、もしもの時に自分の気持ちがプツンと切れてしまうかもしれない。そうならないように、その先も見ながらやっていかなければいけないと思います。
自分の中では「東京で終わってもいいかな」と考えることもありますが、まだ100%決めたわけではないです。例えば200mはやめても、50mと100mだけならまだいけると思うし、メドレーリレーを組めなくなってはいけないという責任感のようなものも少しはあります。だから、まだ戦えるうちに次へバトンタッチをしたい。今はそう考えています。