高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第13回 オリックスのリーグ3連覇(2021〜2023年)など、数々の球団で手腕を発揮してきた名投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ「若者を輝かせるための対話式コーチング」。第13回のテー…

高山郁夫の若者を輝かせる対話式コーチング〜第13回

 オリックスのリーグ3連覇(2021〜2023年)など、数々の球団で手腕を発揮してきた名投手コーチ・高山郁夫さんに指導論を聞くシリーズ「若者を輝かせるための対話式コーチング」。第13回のテーマは「若き日のライデル・マルティネス」。中日時代に2回の最多セーブを受賞するなど、通算166セーブをマーク。今季から巨人に移籍した絶対的クローザーの、「育成選手時代」について語ってもらった。


今季から巨人でプレーするライデル・マルティネス。中日時代は7年間で166セーブを挙げた

 photo by Sankei Visual

【落合監督からのリクエスト】

── 高山さんは2015年限りでオリックスを退団し、翌年から二軍チーフ投手コーチとして中日に移籍しています。オリックスと同様、もともとは縁のないチームでしたが、どのような入団経緯だったのでしょうか?

高山 ヘッドコーチの森繁和さんからお電話をいただきました。当時GMを務めていた落合博満さんが「高山が終わったぞ」と森さんに連絡したそうで、「ちょっと来い」と誘っていただいたんです。

── 森さんは西武での現役時代の先輩ですね。一見すると怖そうに見えます。

高山 全然怖くないですよ(笑)。初対面の人は威圧感を覚えるかもしれませんが、気さくな方です。見た目とのギャップが強いのでしょう。

── 落合さんとも接することはあったのでしょうか。

高山 ファームに来ると、よくロッカールームでいろんな話をしてくださっていました。立場上、メディアに対しては口が重かったかもしれませんが、本来は話好きの明るい方だと思います。

── 落合さんからリクエストはありましたか?

高山 「土台をつくってくれ」と言われました。とにかくノックを受けさせて、土台をつくることが大事だと。当時の中日は春季キャンプで6勤1休とハードな練習をすることで知られていました。朝から晩まで、みんな当たり前のように練習していましたね。

── 練習に付き合うコーチも大変ですね。

高山 落合さんが監督だった頃から中日はそういう文化でしたし、選手もコーチもタフでした。

【チームに息づく落合イズム】

── 2年間の中日コーチ時代で、とくに印象に残っている選手はいますか?

高山 一番印象深いのは、ライデル・マルティネスです。

── 2017年に19歳で来日。1年目は育成選手契約でした。

高山 キューバ代表の選手だと聞きましたが、中日に入団した当時はひょろひょろの体型でした。投球フォームもぎこちなくて、投げられる球種はストレートとチェンジアップだけ。森さんが「このピッチャーは化けるかも?」と発掘して契約したのですが、最初はあまりにも粗削りで「え?」と戸惑ってしまいました。

── マルティネスに対して、どんな育成をしたのでしょうか。

高山 試合後はいつも小笠原孝コーチ(現ソフトバンク二軍コーチ)がつきっきりで、必ずドリルをやっていました。ノックを受けたり、踏み台に足を乗せて投球フォームを修正したり。ドリルが終わらないと帰してもらえないので、マルティネスは泣きべそをかきながらやっていましたね。

── そんな時期があったのですね。

高山 キューバではそんな練習をしたことがなかったでしょうし、最初はカルチャーショックも大きかったはずです。「途中でキューバに帰ってしまわないかな?」と心配しましたが、彼もよく頑張っていました。かわいげもあって、みんなから愛される子でしたね。小笠原コーチも妥協せずに、辛抱強く付き合っていました。

── マルティネス投手は来日2年目の2018年には支配下登録され、2019年からはリリーフで一軍に定着しています。

高山 よくぞここまでの投手に成長したなと感じます。本人の努力、小笠原コーチのサポートも大きかったでしょうし、何よりも「数年かけてこの投手を育てていくぞ」という森さんの先見の明には驚かされました。

── 中日でのコーチ生活で、ほかに感じるところはあったでしょうか。

高山 長生きする投手が多い印象でした。ベテランの岩瀬仁紀がファームで調整していても、若手がやるような練習メニューを率先して取り組んでいました。「これがチームに息づく落合イズムなのかな」と感じました。

── 生え抜きで現役最年長は、祖父江大輔投手(37歳)がいます。

高山 すごく印象に残っています。私が在籍した当時は一軍の主力リリーフと呼べる立場ではありませんでした。小さい体でもガッツがあって、馬力を感じました。そして独特のスライダーを持っていて、打者はわかっていても対応できないようなキレがあったんです。当時は急にストライクが入らなくなる悪癖もあったのですが、のちにリリーフ陣の中心的な存在に成長してくれましたね。これからも息の長い現役生活を送ってもらいたいです。

つづく

高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した