連載「スポーツの言葉学」、世界選手権の出場権を逃した大会で見せた感情の起伏 自らの限界に挑戦し続け、日々鍛錬を積むスポーツの世界において、アスリートや指導者が発する言葉には多くの人の心に響く力がある。2002年ソルトレークシティ大会から夏季…

連載「スポーツの言葉学」、世界選手権の出場権を逃した大会で見せた感情の起伏

 自らの限界に挑戦し続け、日々鍛錬を積むスポーツの世界において、アスリートや指導者が発する言葉には多くの人の心に響く力がある。2002年ソルトレークシティ大会から夏季・冬季五輪の現地取材を続けるなど、多くのトップ選手の姿を間近で見てきたスポーツライターの松原孝臣氏が、そんなアスリートたちの発した言葉から試合の背景や競技に懸ける想いを紐解く。

 今回は競泳女子の池江璃花子(ルネサンス)が、3月2日から5日に東京辰巳国際水泳場で行われた国際大会日本代表選考会で語った言葉に注目。この大会では50メートルバタフライで2位、100メートル自由形と100メートルバタフライで優勝したものの、派遣標準記録をクリアできず世界選手権(6月/ブダペスト)の出場権を逃した。その悔しさから大会3日目の100メートル自由形のレース後に涙を流すも、最終種目後には前向きな言葉を残した池江。トップアスリートが短期間で見せた感情の起伏の背景に迫った。

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 3月2日から5日にかけて、世界選手権などの日本代表を決める競泳の代表選考会が行われた。例年なら4月の日本選手権が選考の場になるが、新型コロナウイルスの影響で当初、5月に福岡で世界選手権が予定されていた(ハンガリー・ブダペストで6月開催へ変更)ことから設定された大会だ。

 注目を集めていた1人が池江璃花子。昨夏の東京五輪にリレーメンバーとして出場、世界選手権へ向けて個人種目での代表入りを目指していたが、叶わなかった。

 今回の代表選考会では、5種目にエントリーしていた。大会初日の2日、50メートルバタフライで2位にとどまり、翌日の200メートル自由形を棄権。4日の100メートル自由形では優勝したものの、代表選手の条件である派遣標準記録を下回った。

 最終日は50メートル自由形を棄権し、100メートルバタフライに懸けた。優勝は果たしたが派遣標準記録に到達せず。またリレー種目も4者の合計タイムが派遣標準記録に及ばなかったことから、池江の世界選手権出場は断たれた。

 最初の種目で優勝できなかった後、「気持ちが空回りしました」という表現で見せたショックの色が、一気に濃さを増したのは大会3日目の100メートル自由形の後だった。

「何も成長していないです。この1年、頑張ってきたのになんでだろうっていう、気持ちでいっぱいです」

「今の自分にはネガティブな言葉しか出てこないです」

 涙が止まらなかった。

「戦わずして負けるか、戦って終わるか」で臨んだ最終日

 一変したのは最終種目の後だ。代表入りを逃したレースの後も、涙はなかった。

 言葉も変わった。

「まずは優勝できて、良かったと思います」

 一度は最終日、出場しないという考えもよぎったという。それくらい追い込まれていた。

 考えに考えた。ここまでの歩みも振り返った。その中で「成長していないわけがない」と思った。練習では昨年よりタイムが向上していたこと、復帰する前と遜色ないほど泳げていることに思い当たった。

「成長していないはずがない、あんまり自分を否定しすぎないようにしないと、と感じました」

「何も成長していないです」と受け止めた100メートル自由形から、自分自身へのネガティブな感情は薄れていった。

 すると最終日への気持ちも固まっていった。

「戦わずして負けるか、戦って終わるか、どちらかを選ぶのなら、自分のためにも泳いで未来につなげられたらな、と」

 そんな心持ちで出場し、代表入りを逃しても優勝を飾ったレースを前向きに受け止めることができた。

 白血病と診断され、長期休養を余儀なくされたのは2019年2月のこと。同年12月に退院した時、2024年パリ五輪を目指していくことを表明した。そこから練習を再開し、少しずつ泳ぎを取り戻していった。そして東京五輪に出場するまでになった。

 年が明けて、池江には「ここから」と期する思い、そして自身への期待も大きかっただろう。それがプレッシャーともなり、また「こんなはずじゃ」という思いも生み、自身への疑いも生じただろう。

苦しい経験は「これからに生きる」

 でも、少し引いて眺めてみれば、新型コロナウイルスの影響で東京五輪が1年延期されたことは無論大きかった。それでも出場できたことは驚異と言っていいし、実現できたのは池江の努力にほかならない。

 過信は良くないにしても、自分の力をいたずらに否定しても、プラスには働かない。むしろマイナスにしかならない。結局、可能性を信じられるかどうかが、未来を開く力になるからだ。

 そういう意味では、期間中の波を経て、「否定しすぎないように」と思えたことが次への糧になる。

「今まで経験したことがない苦しい経験はこれからに生きると思います。2024年につながると思って自分を信じてやっていきたいです」

 池江はすでに前を見据え、進もうとしていた。(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。