「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#8「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#8

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。1996年アトランタ五輪に競泳で出場した井本直歩子さんは引退後、国際協力機構(JICA)や国連児童基金(ユニセフ)の職員として活動した経験をもとに、五輪の意義を考えていく。今回は五輪が「平和の祭典」として開催される意味について。(構成=長島 恭子)

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 私はJICA、そしてユニセフの職員となって以降、約18年間、紛争地、災害被災地など発展途上国を転々としてきました。

 赴任先の国がテレビ放映権を買えず、オリンピック、パラリンピックの中継がなかったことも珍しくありません。2012年ロンドン五輪は、その数年前に手に入れたスマートフォンの小さな画面で、仕事中に食い入るように観戦しました。五輪に限らず、どんな大会も、テレビやライブストリーミングでレースを映像で追えないことばかりで、上がってくるリザルトやラップタイムから、レースを想像し、楽しんでいました。

 だからこそ、今大会はたとえテレビ観戦だけでも、私にとっては興奮のオリンピック、パラリンピックになることは間違いありません。

 私は元競泳選手なので、今大会も競泳を非常に楽しみにしています。各国選手を国内選考会のタイムからチェックしていますが、日本はもちろん、米国やオーストラリア、そしてヨーロッパ各国の選手たちは皆、信じられないほど素晴らしいタイムを出しています。選手たちが実力を発揮できれば、世界記録もたくさん出そうですし、白熱のレースだらけになる。それを想像するだけでも、ワクワクします。

 五輪が他の世界的スポーツ大会と大きく異なるのは、言うまでもなく、「平和の祭典」としてオリンピズムの理念の下、開催される点です。

 近代オリンピックの生みの親、ピエール・ド・クーベルタンが古代オリンピックとスポーツに見出したのは、教育的視点であり、平和のメッセージを発信する力です。スポーツから生まれるフレンドシップや、フェアな勝負から生まれる感動。19世紀、クーベルタンが平和な世界の実現に寄与すると信じたこれらのスポーツの力は、オリンピズムとして今も生きています。

 ここで意味する「平和」とは、国家間の戦争、紛争の問題だけではありません。オリンピック憲章のオリンピズムの根本原則には、次のような記載があります。

「オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」

 つまり、オリンピズムの唱える「平和」とは、紛争以外にも、暴力や、マイノリティやジェンダーに対する差別の根絶など、様々な課題の解決に及びます。

コロナ禍の大会で大事になる「メディアの役割」

 スポーツを観るときは、親しみの薄い外国選手よりも、自国選手の活躍ばかりに目が向くのは当然のことだと思います。しかし、「平和の祭典」は、世界各国から参加している選手と関係者、そして応援する私たちが全員で作り上げるものです。参加する選手だけでなく、観る人がいかに自国以外の選手にも興味を持ち、そこに潜んでいるメッセージを知ることができるかだと思います。

 本来の形であれば、試合会場で応援したり、街やキャンプ地で選手、あるいは諸外国から訪れた観光客と触れ合う機会のある自国開催は、遠い存在だった外国を身近に感じることができる貴重な機会でした。しかし、残念ながらコロナ禍によって、国際交流のリアルな機会を私たちは奪われてしまった形となります。

 では、このような状況下で、私たちは、どのようにして「平和の祭典」であるオリンピック、パラリンピックの意義を感じ取ればよいのでしょう。

 そこで大事になるのが、メディアの役割です。私のようなスポーツファンは、試合を観ているだけで、競技レベルや精神面のレベルの高さ、大会にかける姿勢も垣間見えるので、純粋にパフォーマンスだけでも感動しますし、王道のマスメディアに頼らずとも、自分なりに国内外のウェブ記事などを調べて注目選手を見つけられます。しかし、普段、スポーツに興味がない、知らない競技は観ない人の心を動かすのは、やはりテレビなどで観たり聞いたりする、結果の裏側にある、選手一人ひとりのドラマだと思います。

 オリンピック、パラリンピックから平和の種を見出すのも、背景の知識が必要になります。私たちがどこまで選手たちのことを知っているかによって、その結果とともに感じられるドラマが違ってくると思うのです。

 その象徴的なスポーツシーンとして思い出されるのは、2018年平昌五輪スピードスケート女子500メートル決勝後、日本の小平奈緒選手と韓国の李相花選手の姿です。ウイニングランの際、2位に終わり泣きじゃくる地元・韓国の李選手を、金メダルを獲った小平選手が抱き寄せる姿は、それだけで観ている人を感動させたと思います。それと共に、日本と韓国の複雑な歴史的背景があるなかで、2人の長年の友情、ライバル関係が報じられたときは、多くの方がより深く胸を打たれたと思います。

 わずか数秒のゴールシーン、迫真の場面を捉えた写真一枚でも、その姿にブワッと鳥肌が立った経験もあると思います。そして、実況や解説、ドキュメンタリーやインタビューで選手の背景を知ることで、さらに興味を持ち、感動する。どんなマイナーな選手でも、オリンピックやパラリンピックで競技する選手たちのドラマは絶対にあります。そこに潜んでいる平和のメッセージを伝えてくれることをメディアには期待しています。

求められる観る側の姿勢、「知ること」が第一歩に

 また、何よりも受け止める側の観る姿勢が大事です。

 例えば私の場合、難民選手団に関しては、彼らの出身国や五輪までの道のりを知りたくて、国内外問わずあらゆるメディアを検索し、リサーチします。彼らを知れば知るほど、「こんなに政情が不安定な中、よくぞやってきた!」と応援し、彼らが代表する難民の人々を想う気持ちが強く沸き上がります。

 過去に旅をした国の選手でもいいですし、ネットやテレビでちょっと見かけた選手、国など、気になったらその瞬間を逃さず、どうぞ「知ること」から始めてみてください。

 もう今大会は「みんなで一丸となって応援する」というものではないと思います。オリンピック・パラリンピック開催に否定的な人も多くいます。それでも、個々の感覚、視点を持って、スポーツから、パフォーマンスから、「何か」を感じ取ってほしい。そうすることで、「平和の祭典」は個々のなかで作り上げられると思います。
 
 今回の東京オリンピック・パラリンピックは、開催に至るまでの様々な経緯、問題により、素直に楽しめない気持ちでいる方、「観戦しない」と決めている人もいるようにヒシヒシと感じています。スポーツをこよなく愛するオリンピアンとしては、それがすごく残念です。

 しかし、スポーツの、そしてオリンピック・パラリンピックという大会の本来の価値や意義はなくなりません。また、選手たちはたとえ無観客であろうと、これまでの集大成として臨み、必ず最高のパフォーマンスを発揮するでしょう。

 あとは、私たち観る側次第です。一人ひとりがスポーツを通じ、競技を知り、選手を知り、その選手の国の歴史や文化を知る。そうやって、理解を高めることが、オリンピズムが掲げる、平和と平等な国際社会を実現する第一歩なのではないでしょうか。

■井本直歩子 / Naoko Imoto

 3歳から水泳を始め、小学6年時に50m自由形で日本学童新記録を樹立。中学から大阪イトマンに所属。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会では同種目で優勝する。1996年、アトランタ五輪に出場。千葉すず、山野井絵理、三宅愛子と組んだ4×200mリレーで4位入賞。2000年シドニー五輪代表選考会で落選し、現役引退。スポーツライター、橋本聖子参議院議員の秘書を務めた後、国際協力機構を経て、2007年から国連児童基金職員となる。2021年1月、ユニセフを休職して帰国。3月、東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。6月、社団法人「SDGs in Sports」を立ち上げ、アスリートやスポーツ関係者の勉強会を実施している。(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。