蹴球放浪家・後藤健生は、世界の隅々までサッカーを追って放浪する。さらに、ひとつの国に入れば、その隅々までも取材する。セリエA取材で訪れたイタリア、「ドーハの悲劇」で知られるカタールで、端の端まで取材を敢行してきた。■ローカル線で半島の「最…

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界の隅々までサッカーを追って放浪する。さらに、ひとつの国に入れば、その隅々までも取材する。セリエA取材で訪れたイタリア、「ドーハの悲劇」で知られるカタールで、端の端まで取材を敢行してきた。

■ローカル線で半島の「最南端」へ

 イタリアには「レッジョ」という都市が2つあって、北部エミリア・ロマーナ州のほうがレッジョ・エミリア、南部のカラブリア州の方はレッジョ・ディ・カラブリアと呼ばれています。ちなみに、サッカークラブは北部がレッジャーナ、南部がレッジーナ。レッジョという都市名は同じ(イタリア語のスペルも同じ)でも、その形容詞形が違うのでクラブ名が違うのです。

 レッジーナは、もちろん中村俊輔が活躍したクラブですが、僕がここを訪れたのは中村が移籍するよりも少し前のことでした。

 レッチェの駅から列車でレッジョに向かいました。途中、南部の港町ターラントで途中下車してランチを取って、そこから再び列車に乗ります。

 乗車券を買ったとき、駅員からは急行列車を勧められました。急行は最南端を回るローカル線ではなく、途中で半島を横切ってショートカットするので、当然、レッジョまでの乗車時間はかなり短くなります。

 でも、僕(と、当時お願いしていた日本人通訳は)は「どうしても」と言い張って、「最南端」経由のローカル線の乗車券を購入したのでした。

 イタリア半島「最南端」。いかにもロマンティックそうではありませんか……。

 たしかに夕方の少し暗くなりかけた海の景色はとても美しいものでした。ただ、残念ながら、イタリア半島「最南端」は岬という地形にはなっていなかったのです。ゆっくりと、なだらかに右回りにカーブを描いて列車は進みましたが、そのどこかが「最南端」だったというわけです。

■カタール最北端は「小さな漁港」

 ほかに、「最〇端」の思い出というと、カタールの「最北端」の岬を訪れたことがあるくらいでしょうか。

 あの「ドーハの悲劇」があった1993年のアメリカ・ワールドカップ最終予選。

 試合は続いていましたが、ドーハは今とは違って小さな田舎街で、ほとんど見るものもなく、半月も滞在していると退屈しきってしまいます。そこで、サポーター仲間を集めて「北の岬」ツアーをすることにして運転手付きの車をチャーターして北に向かいました。

 砂漠の中の砦跡や農場を見学(農場では「温室」ではなく「冷室」があって、その中で野菜を育てていました)。辿り着いた北の岬は小さな漁港でした(バーレーンからの定期船もやって来るようでした)。

■最南端で飲んだ「緑色の飲み物」

 その漁村の有力者に家に招かれて茶菓の接待を受けました。出てきたのは緑色の飲み物。僕たちは、てっきりそれは「お茶」だと思っていました。でも、これは「コーヒー」だというのです。

 つまり、コーヒーの豆を焙煎しないで煎じてあるので、色が緑色なのです。たしかにコーヒーっぽい香りがしないでもありませんでしたが、やはりお茶に近い飲み物でした。

 そういえば、その後、やはりカタールに行ったとき、今度はタクシーに乗ってサウジアラビアとの国境を見に行きました。何もない砂漠でしたが、たしかに境界線が見えました。国境自体までは「立ち入り禁止」になっており、手前から国境を眺めただけだったので、厳密には「最南端」ではなかったのですが、僕はカタール国では「最北端」と「最南端」を眺めたことがあるということになります。

 これから行ってみたいところというと、なんといっても地球の「最北端」か「最南端」、つまり北極か南極ですが、これはなかなか到達が難しそうです。現実的な目標といえば、台湾の「最南端」のガランピでしょうか……。

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