メジャーリーグの多くのスーパースターたちに治療を施し、重宝されてきた日本人マッサージ・セラピストがいる。現在、トレーナースタッフの一員としてニューヨーク・メッツに在籍する西尾嘉洋(57歳)だ。 バリー・ボンズ、マーク・マグワイア、リッ…

 メジャーリーグの多くのスーパースターたちに治療を施し、重宝されてきた日本人マッサージ・セラピストがいる。現在、トレーナースタッフの一員としてニューヨーク・メッツに在籍する西尾嘉洋(57歳)だ。

 バリー・ボンズ、マーク・マグワイア、リッキー・ヘンダーソン、マリアーノ・リベラ、ブライス・ハーパー……。西尾のマッサージを愛してきたビッグネームは枚挙にいとまがない。そして、1990年代から西尾が切り開いてきた道を通り、今では多くの日本人トレーナーがアメリカで活動するようになった。

 野茂英雄が近年の日本人メジャーリーガーの先駆者なら、西尾は日本人マッサージ・セラピストのパイオニア。フィールド外で活躍するメジャーの大ベテランに、渡米に至った経緯、仕事内容、スター選手たちの思い出、日米の違いなどについて語ってもらった。

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ヤンキース伝説の守護神、リベラにもマッサージを行なった西尾氏

――まずは、メッツでの1日のスケジュールを教えていただけますか?

「夜7時開始のナイトゲームの場合、私は午後1時くらいに球場入りします。選手たちは午後2時頃に集まってきて、『ここが痛い』『あそこが張っている』と訴えてくるので、順番に治療し、マッサージで痛みをとってあげます。打撃練習が始まった後も、その日に打たない選手が訪ねてくることがありますし、ゲーム中にはクローザーやブルペンのリリーフ投手たちが来たりもします。あくまで選手の状態次第なので、仕事内容は日々変わります」

――やはり、先発投手がマッサージを求める頻度が高いでしょうか? 

「ジェイコブ・デグロム、マット・ハービーなんかは登板の翌日に必ずマッサージを受けにきますね。調子が上がらない場合は、次の登板日までにもう一度マッサージをすることもあります。野手はだいたい決まった選手で、今だったらアスドルバル・カブレラ、ヨエニス・セスペデスといったベテランです」

――すっかり選手たちの信頼を得ていますが、もともとは日本の中日ドラゴンズでトレーナーをしていたと聞きます。アメリカに渡った理由は? 

「1988年から6年ほど中日で働いたんですが、その前に5年間、”メジャートレーナーズ”という東京の会社でお世話になったんです。その時に日本代表のトレーナーになり、アメリカやカナダ、オランダ、キューバ、台湾などに同行しました。その頃から、おぼろげながら『将来は海外で仕事がしたい』という想いが芽生えてきたんです」

――アメリカとの接点はどこで生まれたのでしょう?

「中日時代に、ドジャースのオーナー補佐などを務めていた生原昭宏(いくはら・あきひろ)さんが星野仙一さんと懇意にしていて、キャンプに来ていたんです。アイクさん(生原氏の愛称)は、亜細亜大学を4部から1部に上げた監督で、僕も亜細亜大出身なので、神様のような存在でした。そのアイクさんに『アメリカでトレーナーの勉強したいので、オフシーズンにドジャースを訪ねても構いませんか』と聞いたら、『来ていいよ』と言ってくれて。おかげで、当時のドジャースのヘッドトレーナーだったビル・ビューラーさんから、アメリカのトレーニングスタイルをいろいろ教えてもらえました。施設も日本とは全然違いましたし、『いつかはアメリカで』という気持ちが強くなりました」

――実際に渡米に至る経緯は?

「メジャートレーナーズは、メジャーリーグのトレーナーと提携してインターンを派遣しているんですが、1997年に僕もそれに選ばれたんです。アスレチックス、マリナーズ、ジャイアンツ、パドレスという4球団を回らせてもらえました。ある選手が他の選手たちに『こいつのマッサージはすごくいい』と紹介してくれたんです。それが、僕のメジャーでの歴史の始まりでした」 

――しばらくは、フリーで仕事をされていたんですね。

「1997年からはドジャースタジアム、エンジゼルススタジアム、サンディエゴのスタジアムに顔を出して、仕事をさせてもらっていました。初めてチームに所属したのは、アスレチックスの監督だったアート・ハウがメッツの監督に就任した2004年のこと。松井稼頭央選手のメジャー1年目の年で、本格的にメジャーに足を踏み入れることができたと思ったのですが……。次の年にはハウがクビになり、自動的に私もクビになってしまったんです」

――メジャーの厳しさですね。その後、ロッキーズ、アスレチックスと渡り歩き、今では再びメッツに戻られています。 

「2005年はフリーでやっていたんですけど、2006年にロッキーズのヘッドトレーナーと再会し、スプリングトレーニングに招待されました。その時に、腰を痛めていたチームの看板選手であるトッド・ヘルトンにマッサージをしたんです。彼はその治療をすごく喜んで、『シーズン中もずっと見てくれないか』と言われました。ヘルトンがヘッドトレーナーや球団と直接話をしてくれて、それで僕が雇われたわけです。その後、アスレチックスに移籍し、2012年にメッツから戻ってこないかとオファーをいただき、今に至る流れです」

――スター選手たちに自身のマッサージが好まれた理由をどう考えますか? 

「簡単に言えば、当時、マッサージというのはセラピー(治療)ではなかったんですよ。こちらのマッサージはリラックスするためのものでしたが、私のマッサージは確実にセラピーなんです。まったく別物だったから、みんな驚いたんでしょうね。『これはすごいな』と、いろんな選手が僕を気に入ってくれるようになって、バリー・ボンズやマーク・マグワイアもよくマッサージしました。マグワイアとは、今でも親しくしています」

――2013年のオールスターゲームでは、マリアーノ・リベラにもマッサージを行なったと聞きました。

「ニューヨークのシティフィールドで行なわれたオールスターでは、『両リーグを見てくれ』と言われていたんですが、ナ・リーグにはカルロス・ベルトラン、ジョーイ・ボットといった馴染みの選手がいて、かなり忙しかったんです。ブライス・ハーパーもマッサージを喜んでくれて、バットにサインしてプレゼントしてくれたりとか。『ハーパーっていいやつだな』と思いましたね。

それで、ようやくア・リーグを見に行ったら、リベラがトレーニングルームにぽつんと座っていたんです。『私にできることはありますか?』と声をかけ、マッサージをやることになったんですよ。リベラはすごく喜んでくれて、一緒に写真を撮って、マッサージテーブルに”背番号42を最後につけた男”とサインまでしてくれた。あの年限りで引退したので、彼にとって最後のオールスターであり、私にとって最初で最後のリベラとの触れ合い。忘れられない思い出になりました。リベラは長いキャリアを送れたことも納得できるような、いい筋肉をしていたことも印象に残っています」

――他に、身体を触ってみて凄いなと感じた選手はいますか? 

「私が見たのはキャリア晩年だったんですが、リッキー・ヘンダーソンはそうでしたね。あとは、最近ではホセ・レイエスなんかもそうです。大事なのは本来持っている筋肉の柔らかさと、バランスのよさ。そういう選手たちはメジャーでも長持ちするんです」

――アメリカと日本人選手との、身体の特徴の差はどこにありますか? 

「下半身の力に関しては、こちらの選手よりも日本人の方が強いと思います。日本人選手は例外なく走り込んでいるし、量が違います。一方、アメリカ人は背筋力が強いですね」

――ひと頃、日本人投手は利き腕のケガが多いという話が話題になったことがありました。原因として考えられることはありますか? 

「子供の頃から投げすぎていることの蓄積でしょう。日本は無理させますからね。いいフォームを身につけて、投げすぎないようにすれば故障しないはずです。一方で、アメリカの選手は投げなさすぎなので、その間くらいがちょうどいいんです(笑)」 

――日米両方のベースボールを見てきた西尾さんから見て、プロになってからの身体の調整方法の違いをどこに感じますか? 

「メジャーの選手は、自分のプログラムをしっかりと持っていますね。マイナー時代から積み重ねた経験から、自分のやるべきことをわかっている。メジャーに上がった後、トレーナーやストレングスコーチから『これをやれ』と言われはしますが、選手たちはそれを自分で噛み砕いて、やりたいことをやっていますよ。常に模索を続けているとは思いますが、メジャーに辿り着く頃には自分のやり方がほぼ固まっているはずです。

――メジャーのスケジュールは相当に過酷で、トレーナー陣も同じ日程で行動、移動しますが、厳しいと感じることは?

「私はボールパークが好きなので、朝早く球場に行かなければいけないことがあっても気にならないですね。自分の好きな世界で、特に今はメジャーリーグで仕事をして飯が食えている。贅沢ができるわけじゃありませんが、とてもハッピーなことです」

――今では、多くのチームで日本人マッサージ・セラピストが活躍するようになっていますね。 

「みんな重宝されていると思いますよ。マッサージ・セラピストは、レッドソックスにも上原浩治投手が連れてきた方がそのまま残っています。それからアストロズ、ジャイアンツ……6、7球団くらいにいるんじゃないでしょうか。さっきも話した通り、私たち日本人がやるマッサージは治療なんです。アメリカ人や、ラテン系のマッサージ師はたくさんいますが、目的や目指しているものが違う。治療を受けている選手たちは、わかってくれていると思います」 

――アメリカで培ったノウハウや知識を、将来的に日本で活かすという気持ちはありますか? 

「プロ野球ではないかもしれませんが、将来は日本でいろいろなアスリートを治療したいという気持ちはあります。あと、日本の子供たちに、身体の動きに関してしっかりした指導をしてみたいです。

それがいつになるかは、わからないですけどね。今は、メッツでの仕事を全うすることに集中しています。私は西海岸に家があって単身赴任中なので、家族になかなか会えないのはつらいですが、治療した選手が活躍してくれたら、こんなにうれしいことはありません。また、2年前のようにワールドシリーズまで勝ち進んでくれることを願っています」