我武者羅 高校三冠の主将、そして早稲田大学ハンドボール部主将――。輝かしい経歴にもかかわらず田井健志(スポ=香川中央)は「そこまで能力があるわけでもない」と自分自身を語る。そんな田井がどのようにそうそうたる面々を率いてきたのか。天性のキャプ…

我武者羅

 高校三冠の主将、そして早稲田大学ハンドボール部主将――。輝かしい経歴にもかかわらず田井健志(スポ=香川中央)は「そこまで能力があるわけでもない」と自分自身を語る。そんな田井がどのようにそうそうたる面々を率いてきたのか。天性のキャプテンシーの裏に潜む苦悩と努力に迫っていく。

 ハンドボールを始めたのは小学校6年生の時。ハンドボールをやっていた兄の影響と、後に田井が進学する香川中央高校のインターハイ(全国高校総体)予選の試合を観に行ったことがきっかけだ。そこで香川中央高校の西山尚希(平29社卒=現大崎電気オーソル)氏に憧れを抱き、田井のハンドボール人生が始まる。中学校では香川県でベスト4、四国大会出場も果たすと、高校は西山尚希氏と同じ香川中央高校へ。しかし香川中央高校でのハンドボール生活は想像を絶するものだった。練習の過酷さ、顧問の厳しい指導。「一生戻りたくない」と口にするほどの辛さに田井は入学早々にして挫折しかけるが、それでも過酷な練習を耐え抜いた。そしてその努力が実を結び、高校2年生の3月に全国高等学校選抜大会で優勝。さらに勢いそのままに8月のインターハイ、10月の国民体育大会でも王座を守り、見事に三冠を達成した。


 春季リーグ日体大戦でシュートを放つ田井

 選抜大会での優勝を契機に西山尚希氏と同じ早大への進学を視野に入れたという田井。チームメイトの多くが関西の大学に進む中、唯一関東の大学に進んだ。高校三冠の主将として鳴り物入りで早大に入った田井だったが、大学ハンドボールのレベルの高さに圧倒される。実業団選手を多く輩出する関東学生リーグでは、小手先の技術は通用しない。「これが高校三冠か」とからかわれることもあったという。それでもその悔しさをバネに練習に励もうとした矢先、新型コロナウイルスが猛威を振るった。やむなくハンドボールから遠ざかることになり、その間に高校時代の右肩のけがの治療に専念。しかしハンドボールから遠ざかったこの1年が自分を見つめ直す良い転機となった。それまでは高校時代の栄光から抜け出せず、おごりがあったというが、けがの治療をきっかけに心機一転。ゼロからスタートを切った田井は2年時の秋季リーグ(関東学生秋季リーグ)で公式戦に初出場すると、国士舘大戦では初得点をマークする。個人としては順調なスタートを切った田井だったが、インカレ(全日本学生選手権)では地元・高松大に初戦敗退。一方で高校時代のチームメートが4人所属する大体大は準優勝に輝き、同期が遠い存在に。年末に帰省した時に馬鹿にされたという。それでもその経験を糧に努力を重ね、チームのために下級生ながら意見を発して輪の中心となった。


 秋季リーグ東海大戦で指示を出す田井

 その姿勢を評価され、次期副将として田井に白羽の矢が立つ。3年生が副将を務めるのは異例のこと。しかし最上級生がいる中でもやりにくさは感じなかったという。上級生の意見と下級生の意見の橋渡し役を担い、チームにとっての最善策を導き出した。最上級生になると、もちろん田井が主将に。迎えた春季リーグ(関東学生春季リーグ)、チームは初戦を落とすが、そこから3連勝。2位に浮上して勢いに乗る早大だったが、田井が試合中に親指の剥離骨折を負ってしまう。それでも試合に出られない中で声かけや他チームの特徴を分析、モチベーションの上がらない選手への対応などでチームに貢献し、5位で春季リーグを終えることができた。その後けがから復帰し、万全の状態で迎えた秋季リーグ。しかし4位以上を目標に掲げて臨んだ秋季リーグでは春と打って変わって苦しいリーグ戦に。初戦完敗に終わると、その後も勝ちきれない試合が続く。リーグ戦で早大のみが白星に恵まれない中、迎えた順大戦では7点差をひっくり返されて逆転負け。入れ替え戦が現実味を帯びてきたそんな中でも田井は前を向き続けた。「負けてしまったものは仕方ない」と割り切り、迎えた中大戦、東海大戦で連勝を飾ってリーグ8位で入れ替え戦を回避。確かに上位に食い込むことはできなかったものの、さまざまなケースの試合を経験することができた。


 早慶定期戦で雄叫びを上げる田井

 田井が早大に入学してから一度も勝利を味わったことのないインカレ。1回戦で中京大と対戦すると、1点差で逃げ切り4年ぶりの初戦突破を果たす。2回戦では関大と対戦。前半をビハインドで終えるも、後半に驚異の修正力を見せて大勝を収める。「4年間通して自分たちがやってきたことが出せた試合」と語るように、これまでの辛く苦しい経験が報われた瞬間だった。準々決勝ではインカレ前回王者の中大に敗れてしまうものの、尊敬する西山尚希氏の代の記録、ベスト16を上回る5年ぶりのベスト8で大会を終えることができた。


 インカレ中大戦でガッツポーズをする田井

 田井は早大での4年間のハンドボール生活を「辛かった」と振り返った後に、「それ以上に充実した、楽しかった4年間」と続けた。伝統ある早稲田大学ハンドボール部主将という肩書き。中高と主将を務めてきた田井だが、早稲田大学の主将はこれまで務めてきた主将とは全く違ったものだった。歴代の偉大な選手たちが背負ってきた背番号「2」。それが重荷となることもあったが、「ともに頑張り続ける主将」を目標に掲げて誰よりも頑張る主将を目指し続けた。どこまでもついてくる粘り強いディフェンス、ルーズボールへの執念、一点にかける思い。優秀選手、得点王などのタイトルこそないが、「どんなにかっこいい一点よりも泥臭く、倒れ込みながらねじ込んだ一点の方がチームは燃える」と田井が語るように勝利に対する貪欲さは誰にも負けない。間違いなく記録よりも記憶に残る選手だ。華麗なプレーはできないかもしれないが、泥臭いその姿はまさに「早稲田らしい」主将だった。今後は一般企業で働きながら早稲田実業でコーチを務める。選手と指導者という違う立場ではハンドボールも全く違ったものになるだろう。「選手目線でそのチームにあった戦術、選手がどうなりたいかを尊重」することを意識し、田井は第二のハンドボール人生の第一歩を踏み出す。

(記事 丸山勝央、写真 澤崎円佳、権藤彩乃、丸山勝央)