「心くばり」のマネージャー コロナ禍で入学、3年時に屈辱のリーグ戦2部降格。チームとして苦しかった時期を4年間支え続けてきたマネージャー・佐藤慧一(政経4=東京・早実)。数え切れないほどの多様な経験の末に見出した、彼なりのマネージャーとして…

「心くばり」のマネージャー

 コロナ禍で入学、3年時に屈辱のリーグ戦2部降格。チームとして苦しかった時期を4年間支え続けてきたマネージャー・佐藤慧一(政経4=東京・早実)。数え切れないほどの多様な経験の末に見出した、彼なりのマネージャーとしてのあり方に迫った。

 

 サッカーを始めたのは小学1年生の頃。父親の転勤に伴い札幌から東京へ越してきた佐藤は、クラスの友人に誘われてフットサル教室に通い始めた。翌年には地域のサッカークラブに入団する。その頃からドリブルが好きでサイドのポジションをよくやっていたと話す佐藤は中学入試を経て早実に進学。中学、高校の6年間をサッカー部で過ごす。高校生になるとスポーツ推薦の制度もあることからサッカー部内に自分よりも優秀な選手たちが多くなり、なかなか試合に選手として出場できることはなく、サポート側に回ることが増えた。それでもチームのために、同期のために行動しようと心がけ高校サッカーを最後まで戦い抜いた。

 

 高校サッカーの引退試合を終え、大学生になるにあたって何をしようかを考えた佐藤。幼少期にダンスを習っていたこともあり最初はパフォーマンス系のサークルに入ろうと考えた。サッカーは高校でやりきったと思っていた。しかし時間が経つにつれてどこか物足りなさを感じていた佐藤。高3の1月、大きな転機を迎える。早実の同期が春高バレーに出場を決めて、全国の舞台へ応援に行った。そこで見たもの、選手たちの迫力あるプレー、全国大会特有の雰囲気、歓声。ただ佐藤にとって一番印象に残ったのは友人でもあるマネージャーの姿だった。選手たちと共に全国大会をマネージャーとして戦う姿を見て、心を動かされた。立場に関係なく自分も誰かに笑顔や勇気を与えられる存在になりたい。そして選手を支えるという立場で日本一を目指してみたい。そう考えるようになった。ア式蹴球部に入るなんて高校サッカーを引退した時は考えもしてなかったと話した佐藤。それでもマネージャーという道に憧れ高3の1月からア式の仮入部を始める。

 


 練習準備をする佐藤

 

 佐藤がア式の練習を見て最初に驚いたこと、それは全員が楽しそうにサッカーをやっている姿だった。大学生は高校サッカーよりも厳しさを追い求めてサッカーをしていると考えていた佐藤にとって、ウォーミングアップから厳しさの中に楽しさを見出していることに驚いたと話す。ただその一方で、マネージャーの先輩たちを見ると考えて行動し続けている姿があった。ア式の練習に無駄な時間はない。組織として円滑に練習を進めるために動き続けていた先輩マネージャーの姿を見て、学んで、自分の行動に移していくことに必死だった。しかし春になると新型コロナウイルスが本格的に流行し、ア式の活動も自粛。まだ仮入部生だった佐藤は置かれた状況に悩む。徐々に活動が再開すると同期のマネージャーが続々とア式に加わる。マネージャーの仕事自体は1月からやっていたこともあり慣れつつはいたが、自分ができることは隣の人にもできる。ア式の一員として自分には何ができるか、強い焦りを感じていた。

 

 ア式の一員になれたと思えるようになったきっかけは大学1年の1月。新型コロナウイルスの感染拡大によって例年とは大きな変更を余儀なくされたスポーツ界。大学サッカーでは、夏の総理大臣杯が中止となった。その中で冬に開催されることになった全国大会、#atarimaeni CUP。しかし感染症の影響でメンバー以外は試合を見にいくこと、さらには大会に向けて練習を共にすることも叶わなかった。自分には何もできないと感じていた時期が続いた中で当時の監督だった外池大亮前監督(平9社卒=東京・早実)から同じく早実出身で今年ア女の主務を務めた菊池朋香(政経4=東京・早実)と一緒に「何かやってみろ」というメッセージを受け取る。最初は何をすればいいのか戸惑ったが、一つの答えを出した。彼らは「感謝」と書かれた横断幕を作ることにした。そこには選手たちへの思い、そしてサッカーが出来ている環境に対する感謝を伝える機会を作りたいという思いが詰まっていた。横断幕は試合会場に掲示された。優勝にこそ届かなかったが、試合を戦った選手たちから「横断幕で勇気が出た、横断幕が力になった」と声をかけてもらった。ようやくア式の一員になれたんだなと感じた瞬間だった。

 


 佐藤が手がけた横断幕

 

 個人としては先輩方の姿を見て学びながら徐々にチームに馴染んでいき、チームとしても調子が良かった最初の2年間。しかし3年生の一年間はア式という組織にとって苦しい一年だった。今年こそ日本一をという確かな手応えを持ってスタートしたシーズンだったにも関わらず、勝つことができない。最終的には関東2部への降格。まさにどん底だった。それでも同期のことを「自分たちの弱さに向き合える組織」だった評した佐藤。新チームになり自分たちが最高学年になる。するとそこには前シーズンに結果で突きつけられ、山積みとなった課題に対して正面から向き合って試行錯誤する同期の姿があった。目標を達成することはできなかったがそれでも「愚直」に努力を続け、昇格に向かって本当の意味で団結していた同期の姿は誇らしかったと話した。個人としても、チームとしても多くの課題に直面した4年間。その中で佐藤がマネージャーをやるにあたって大切にしてきた考え方がある。

 

 「心くばり」それは仲間のために、その仲間の期待を超える行動を起こす力。選手は口に出して求めてはいないかもしれない。それでも常にコミュニケーションをとって、誰よりも選手を観察しているからこそ起こせる行動がある。この行動がマネージャーとしてチームに貢献する形と話した佐藤。選手たちからの「ありがとう」が原動力になったと話した。社会に進むとサッカーからは離れる。それでも目の前の人に対して今何ができるか、その人たちが口にできない本当に求めていることをどれだけ感じ取れるか。誰かの期待を超えた行動を起こせるか。それはこれから先も大事にしていきたいと話した。「心くばり」のマネージャーは新しい世界でも誰かを支え続けていくだろう。

 

(記事 和田昇也、写真 髙田凜太郎、ご本人提供)