6月9日の日本陸上競技選手権、初日の男子5000m決勝。この種目で唯一、すでに7月の世界選手権参加標準記録(13分13秒50)を突破している23歳の遠藤日向(住友電工)が、圧巻の走りで優勝し、世界選手権初代表を内定させた。大学進学を選ばず…
6月9日の日本陸上競技選手権、初日の男子5000m決勝。この種目で唯一、すでに7月の世界選手権参加標準記録(13分13秒50)を突破している23歳の遠藤日向(住友電工)が、圧巻の走りで優勝し、世界選手権初代表を内定させた。
大学進学を選ばず、トラックで世界を目指す遠藤日向
参加標準を突破したのは、今年5月4日のゴールデンゲームズ・イン・のべおか(GGN)。実業団所属の外国人選手が記録を狙う5000mB組で、彼らが前半から積極的に走るなかで集団の最後方ながらも、離れずに位置をキープすると、ラスト1周に入る手前でスルスルッと先頭に立ち、残りの400mを55秒台で走り、2位に0秒56差をつけて先頭でゴール。日本歴代2位となる13分10秒69で優勝していた。
「GGNまでは標準記録を目標にしていたのですごく質の高い、本当に自分が『できるかどうかわからない』という練習を組み立ててやってきました。そのあとは日本選手権に合わせるというより世界選手権を目指して、少しラクにというか、GGN前ほど追い込まずに、つなぎのイメージでやってきました」
昨年は同種目で初優勝しながらも、東京五輪参加標準記録を突破できず、代表を逃して悔しい思いをしたが、今年はすでに記録を出した状態で、3位以内に入ればその時点で世界選手権代表内定となる条件で日本選手権に臨んだ。
不安もなく自信を持ってスタートラインに立てたと話す遠藤だが、「昨年とは違った緊張感やプレッシャーもあり、2日前に大阪に入ってきてからは少しずつ緊張して、今日の午前中もゆっくり走ったけれど、すごく緊張していました」と笑う。
だがレースになると、前半は中段から後方に位置し、前の選手が集団から離れそうになるとすぐにその差を詰めて徐々に順位を上げていくという、安定した走りを見せた。
3000mを過ぎて、塩尻和也と東京五輪出場の松枝博輝(ともに富士通)がオープン参加の外国人選手の前に出てペースを上げると、しっかり3番手につける。そして「どこでスパートをかけるか考えていましたが、松枝さんもラストが強い選手なので、少し手前からしっかり離し、最後は安全にゴールをしたいと思ってラスト2周から仕掛けました」と、4200mからスパート。ラスト1周も59秒でカバーし、2位に8秒02差をつける13分22秒13で圧勝した。
「今回はしっかり勝つことをテーマにしていたので、レース前には展開を考えず臨機応変に対応して、最後にどんな選手がいるかを見てから考えて走ろうと思っていました。3位以内で(世界選手権出場に)内定する条件なので気持ちに余裕はあったのですが、前回優勝者として、勝つことも大事だと思っていました。最後の直線はうしろを見て大丈夫だというのを確認していたので、うれしさがこみ上げてきて、思わずガッツポーズをしてしまいました(笑)」
大学進学を選ばなかった理由
こう照れる遠藤は中学時代から全国を制覇し、福島県の学法石川高校時代は世界ユース選手権やU20世界選手権にも出場。高校3年生では1500mと3000mは高校ランキング1位で、5000mも日本人トップ。インターハイでは1500mで優勝して5000mは前年に続いて日本人トップの3位になった。
当然のように多くの大学からも誘いを受けたが、「僕は箱根の対する思いがそんなになくて、大学へ行かないで実業団にいき、トラック競技で世界と戦いたいという気持ちのほうが大きかった」と、高校を卒業して2017年4月に住友電工に入社。1年目の2018年1月1日の全国実業団駅伝では、スピードランナーが揃う1区で区間賞を獲得し、早々に頭角を現した。
このとき目標にしたのは2020年東京五輪で、そこへの近道が実業団入りという考えだった。そう思うようになったきっかけを当時はこう話していた。
「世界と勝負したいと思うようになったきっかけは、高校2年の時に出た世界ユース選手権で、本気になったという点では、3年の時に出た世界U20選手権のほうが大きかったです。
世界ユースの3000mで5位になった時は、『メダルを獲る』と勝手に思って臨んだのですが、ケニアとエチオピアの選手がひとりずついた予選でレベルの違いを感じさせられました。
それがあって、U20の5000mは最初から無理だろうと思っていたし、当時は高校記録を狙いながらも、一杯いっぱいになる前に自分から離れてしまったところもあり、13位でした。レースが終わってから『ヤバいな』と思って、すごく悔しくなりました。自分の力を出しきっても勝てる力はなかったけど、自分が逃げてしまったというか。せっかくの世界の舞台で何をしているんだろうと思い、自分が本気で変わっていかなければ世界では勝てないと思いました」
住友電工に入ってからは、まずは1500mに取り組んだ。出場を目指す東京五輪に向けては、1500mと5000mに絞って狙いにいき、2024年のパリ五輪は5000mと1万mを狙い、その次はマラソンという青写真を考えていた。
「ナイキ・オレゴンプロジェクトで練習をしていた大迫傑さんも1500mからスピードをつけてきているので、自分もスピード強化をしたいというのもあって、住友電工の渡辺康幸監督も同じ考えだったので、自然とそういう形になりました」と言うように、アメリカのオレゴンにあるバウワーマン・トラッククラブ(BTC)にも、定期的に武者修行にいくようになった。
昨年は3月からアメリカの大会に積極的に出場していたが、秋と冬にケガをした影響もあり、東京五輪標準記録に13秒弱足りずに涙を飲んだ。
悔しさが強さに変わった
そこからは、悔しさをバネに大きく成長した。
「昨年の日本選手権のあとは、7月のホクレン・ディスタンスチャレンジに出てオフをとり、ここ数年はしっかりトレーニングすることができなかった秋と冬にもしっかりトレーニングができた。12月には5000mで自己ベストも出せて、そのあとも順調でした」
トラックシーズンは4月9日の金栗記念の1500mが初戦になったが、そこでは三浦龍司(順天堂大)に競り負けたものの、日本歴代3位の3分36秒69を出し、世界選手権参加標準記録の3分35秒00の突破も視野に入れた。その次のGGNの5000mで標準突破を果たしたことで日本選手権は5000mに絞り、初日に予選があった1500mは欠場することに決めたのだ。
「シニアになってからの世界大会は初めてで、本当にチャレンジャーという気持ちを忘れないで臨みたい」という遠藤。レベルの高い実業団の外国人選手にも勝利したラストのキレや、今回の冷静な走りを見れば、世界選手権での勝負も期待できる。
それでも遠藤の発言は冷静かつ控えめだ。
「本当にラストが強い選手でも、そこまでをどれだけ余裕を持って走れるかがカギ。今回代表内定も、自分のポジションは出場する選手のなかでは下から数えたほうが早いので、いかに食らいついて決勝にいけるかだと思います」
そして世界選手権の目標はこう口にする。
「世界選手権では決勝に進出すれば日本人初となるので(00年シドニー五輪では高岡寿成が進出)、それを目標に頑張ります」
以前は日本人のライバルを、「世界ユースやU20世界選手権に一緒に出た、走り幅跳びの橋岡優輝や棒高跳びの江島雅紀(ともに富士通)が一番のライバル。サニブラウン・ハキームはすごく抜け出しちゃって、追いつくのはちょっときつい状態だけど、彼らには負けられないというのはすごくあります」と話していた遠藤。強い意志を持って世界と戦うために独自の道を歩んできた、彼の本格的な夢へ挑戦はこれからスタートする。