7月23日から3日間、東京陸上選手権が駒沢公園陸上競技場で行なわれた。昨年6月の日本選手権男子800mで史上初めて高校生で制覇を果たしたクレイアーロン竜波(相洋AC)が今回も底力を発揮した。 クレイアーロンは、この9月からはアメリカのテキ…

 7月23日から3日間、東京陸上選手権が駒沢公園陸上競技場で行なわれた。昨年6月の日本選手権男子800mで史上初めて高校生で制覇を果たしたクレイアーロン竜波(相洋AC)が今回も底力を発揮した。

 クレイアーロンは、この9月からはアメリカのテキサス農工大(テキサスA&M大学)に留学するため、8月中旬の渡米が決まっている。つまり、今回の陸上東京選手権は渡米前の日本で最後のレースだったのだ。結果は、予選と決勝に続いて最初から先頭を走り、ほかの選手を寄せつけない1分50秒54の大会新記録で、見事優勝を飾った。



アメリカ留学前最後の国内大会で、しっかりと結果を残したクレイアーロン竜波

「正直、記録よりも順位を狙っていたので、満足のいくレース展開だったと思います。久しぶりのレースを気持ちよく終えることができて、渡米前のいい刺激になりました」

 そう言って、爽やかな笑顔を見せた。

 彼が800mを走り始めたのはわずか5年ほど前のことだ。400mや1500mを走っていた中学2年生の時に顧問の先生から、「800mをやってみてはどうだ」と声をかけられたのがきっかけだった。その後、中学3年で初めて出場した全日本中学校陸上選手権で2位に入り、800mの魅力にハマっていったという。

 この種目は、オープンコースを走る種目では一番短い距離だ。競技中には、位置取りを争って、互いに肘をぶつけ合うこともよくあり、”トラックの格闘技”とも言われる。陸上競技が盛んなヨーロッパでは、もっとも人気のある種目だ。

 日本でもかつては、1964年東京五輪の金メダル候補と言われていた森本葵が世界のトップで戦っていた。しかし、マラソンが重視されるようになってから800mは低迷し、64年に森本が出した1分47秒4の日本記録が次に更新されたのは、29年10カ月後の1993年4月。それを果たした小野友誠は95年世界選手権に出場したものの、五輪には届かなかった。

 その後、2009年に横田真人が1分46秒16の日本記録を樹立。2012年には五輪参加標準記録を突破して、同種目44年ぶりのロンドン五輪に出場を果たしたが、結果は予選敗退。

 さらに川元奨(スズキアスリートクラブ)が日本記録を1分45秒75まで伸ばし、16年リオデジャネイロ五輪に出場した。結果は予選敗退で、その後は世界選手権に出場できず、日本男子800mの勢いは止まりかけていた。

 そこに希望の光として現れたのが、クレイアーロンだ。高校3年生で出場した2019年6月の日本選手権では、日本U20記録を更新する1分46秒59で優勝を飾った。

 日本選手権出場後の8月にはスペインで、さらに今年2月にオーストラリアの大会を経験したクレイアーロンは「日本では自分の(やりたい)レースができるのですが、海外だとそれができず、自分のレベルではまだ(世界と)戦えていないと自覚しています」と言う。

 国内では世界を経験した選手が少ないため、”トラックの格闘技”としてのレース経験を十分に積むことができない。この現状について、2009年に日本記録を更新し、ロンドン五輪出場後にアメリカへ拠点を移したこともある横田氏は自身の経験を踏まえてこのように話す。

「日本国内のレースなら強い選手はいい位置を取れます。しかし、そこでちょっとギアを上げていい位置を取れたとしても、そのあとに余裕がない。その、ほんのちょっとした差(余裕の有無)が大きいんです。

 一方、海外のレースでは、『ここで一歩でも無理をすると、後半が持たないのではないか……』と躊躇したところに海外の選手がグイっと入ってくるので、自分の位置がうしろに下がってしまう。そういうことを、私はずっと経験してきました。日本だと手や肘が出ることはあまりないのですが、海外の選手は結構どん欲に位置を取りに来る。それに、ペースアップのタイミング自体も日本のレースとは違います。800mという競技は、ひとつのミスで取り返しがつかなくなる種目なんです。そういうことは、実際に肌で感じないとわからないですね」

 クレイアーロンがアメリカ留学を決めた理由は、まさに横田氏のこの指摘にある。「まだ知らない世界をより多く経験したい」ことが大きな動機になっている。

「アメリカのレベルはすごく高いし、テキサスA&M大には強い選手もたくさんいます。そこで海外のレースに対応できるように、自分の走りを作ることを目標にしていくつもりです」(クレイアーロン)

 さらに横田氏は、クレイアーロンのアメリカ留学について、本人が求める目標以上に大きな効果がある、と話す。

「日本にいれば、日本記録が次の目標になります。しかし、アメリカにはそのレベルの選手が普通にいます。日本では、自分で新しい目標を切り拓いていく必要がありますが、アメリカでは目の前の敵を倒すことに没頭していれば必然的に強くなる。大学チャンピオンを目指せるようになれば、世界大会の準決勝レベルも見えてくるんです。

 コーチングスキルの高さももちろんですが、一番重要なのはやはり、選手の目線が変わることだと思います。それに彼が行くテキサスA&M大は、昨年の世界選手権王者ドノバン・ブレイジャー(アメリカ)の出身校です。800mが伝統的に強い大学の練習や試合で揉まれ、私たちがやってこなかったことをやれば、その先にはきっと我々が見たことのない世界があるはず。その点でも、彼のアメリカ留学という選択は本当にすばらしいことだと思います」

 クレイアーロンは、昨年の高校ランキングで6位に入った47秒12という400mのスピードが、自分の強みだという。さらに1500mでも、昨年の高校ランキングでは、首位の留学生A・マイナ(興国高)まで0秒17差の2位につけている。

 現在の自分の実力について、クレイアーロンは以下のように分析している。

「相洋高校ではマイルリレーもたくさん走ってきたので、400mの力がついていて、なおかつ1500mも強化しています。800mはスピードと持久力の両方が大事ですが、今の自分の持ち味はスピード。特にラストスパートではそれが生かされていると思います。世界の800mは最初の1周が速くて、すごい時は49秒になる場合もありますが、アメリカの大学選手権だと速くて50~51秒くらい。だから僕もリラックスした走りで51~52秒で入れるようにし、そのうえでラスト300m、ラスト200m、ラスト100mとスピードを上げていけるようになりたい。まだ成長段階なので、それをこれからの目標にしていきたいですね」

 横田氏は期待を込めてこうエールを送る。

「身長は178cmで私と同程度だから、海外へ行けば小柄なほうです。でも彼は藤沢生まれで、小さい頃からサーフフィンやライフセービングをやっていたので、私たちとは違うバランス感覚も持っていると思います。とにかく走るのが上手で乗り込みにも無駄がなく、どんな種目でもいけそうな選手ですね。

絶対注目の美女アスリートたち>>

 自分自身が800mをやっていたこともあって、若い800mの選手に対しては厳しく見てしまうため、なかなかワクワクすることはなかったのですが、彼の場合は見ている世界も違うし、私たちが見たことのない世界を見せてくれそうな期待もあります。今から本当にワクワクしています」

 父親がアメリカ人で英語も得意。強い選手と練習できる環境だけではなく「アメリカの大学は学業第一で勉強ができないとレースに出られないと聞いてます。なので、しっかり勉強もしながら陸上も強化していきたい。今は楽しみだらけです」と、クレイアーロンはおおいに期待を膨らませている。

 目標は、高校からアメリカの大学というルートの先輩でもあるサニブラウン・ハキーム。クレイアーロン竜波は、日本男子中距離界に新たな世界を切り拓こうとしている。