8月5日、パリ南アリーナ。パリオリンピック男子バレーボールの準々決勝イタリア戦、西田有志(24歳)は全力でおどけているように見えた。彼は道化師にもなれる。 先発選手の名前が呼ばれ、コートに出ていく。それぞれの日本人選手は少し笑顔を浮かべて…

 8月5日、パリ南アリーナ。パリオリンピック男子バレーボールの準々決勝イタリア戦、西田有志(24歳)は全力でおどけているように見えた。彼は道化師にもなれる。

 先発選手の名前が呼ばれ、コートに出ていく。それぞれの日本人選手は少し笑顔を浮かべていたり、やや真剣な面持ちだったりする。そしてハイタッチするのだが、様子はそこまで変わらない。

 しかし、西田はミドルブロッカーの山内晶大と大きく体を揺らしながらハイタッチ。握り拳で胸を叩いて、嬉しそうにドラミングした。相好を崩し、笑顔を向けると、山内からも笑みが溢れる。

 西田はそこにある「今」だけを生きているようだった。

 並はずれた集中力で、今という一瞬を積み重ねている。だから、プレーが途切れない。失敗があってもリカバーできる。



パリ五輪の4試合を通じてMVP級の活躍を見せた西田有志 photo by Nakamura Hiroyuki

「Elettrici」(電気を起こす)

 日本と対戦したイタリアの大手スポーツ紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』は、西田をそう表現していた。プレーが電撃的で、ビリビリと電気を放出し、ずっとスイッチオンになっている印象か。

 スパイクは上半身を弓形に左腕で打ち下ろし、とてもパワフルな印象だが、巧妙にブロックアウトを狙いながら、対応してきたら豪快に打ち込んでいる。あるいは、高く跳んで空中でタイミングをずらし、空いたコースへ流す。コンマ何秒の判断で勝っている。そしてスパイクの成功後は感情を爆発させ、流れをチームに呼び込む。

 極めて社会性に優れたオポジットと言える。セッターの関田誠大との意思疎通も丹念だし、囮になるミドルブロッカーとの呼吸も大事にしている。奔放に映るが、誰よりも周りを生かし、生かされている。

 その西田は、パリオリンピックを戦いきった。

「正直、やれることは出しきったかなと思います。(負けたので)悔しさが当たり前に残る試合ではありました。でも、こういうチームで戦えたことをうれしく思いますし、少なからず結果を出し続けて、ここまで来られて......オリンピックで唯一、結果を出せなかった、わけですが......」

【「自由さを出せるのが強み」】

 ベスト8に終わったパリオリンピック男子バレーボールで、西田はMVPに値する活躍ぶりだったと言える。

 ドイツ戦は石川祐希に次ぐ20得点だった。サービスエースはチーム最多3本、実力だけでなくピーキングにも成功していた。アルゼンチン戦は最多21得点で、5本のエースを記録。アメリカ戦はやや不調なチームのなか、ひとり気を吐いて最多18得点だった。敗れはしたが、準々決勝進出を確定させた3セット目は、破竹の勢いを感じさせた。

 そしてイタリア戦も、西田は石川に次ぐ最多22得点だった。激戦となった3セット目、技巧的なフェイントで得点したかと思えば、大砲のような一発も決めた。また、サーブではレシーバーを吹き飛ばすような勢いのボールを打ち込んで、仁王立ちとなっている。

「自分は一歩引いて、楽に考えるわけじゃないけど、自由さを出せるのが強み」

 西田はその矜持を語り、プレーヤーとしても体現していた。

 何気ない風景があった。1セット目が終わったあと、ベンチで立ったままバナナをむんずと掴み、皮をむき、むしゃむしゃと食べる。そのシーンひとつ切り取っても、自然だった。食べ方が野生的なのに、品すら感じさせた。一挙手一投足に愛嬌があって、憎めない。コートにいる間は、100%バレーボール選手として自由闊達に生きているのだ。

 今年5月、ナショナルトレーニングセンターで写真撮影があるなか、西田は石川と髙橋藍に向かって、「『怪獣8号』の続きが見たい!」と話していたことがあった。ふだんチームメイトと接する彼は和気藹々として、笑いが絶えない。

『怪獣8号』は人間が怪獣に変身してしまう漫画原作のアニメだが、彼もコートで変身するようなところがあった。変身後、彼は超人のようになった。パリではその姿で人々に夢を見させた。敗北で終わったが、心は揺さぶった。

「自分たちのなかで、この内容で負けてしまって、試合の流れもあったと思いますけど......チーム全員がやるべきことをやっていたし、全員が100%の準備をして、戦うことができました。まだ頭が整理できていないですけど、このレベルになってくると(戦いがどう転ぶかは)わからないものだし、日本人がこのレベルまできた、ということだと思います」

 イタリア戦後の取材エリア、ほとんど茫然自失になりながらも、西田は言った。頭が真っ白になるほど、人生をかけて戦ってきたのだ。

 最後の5セット目、デュースになった時、西田は仲間たちに笑みを向けていた。なかなかできるものではない。「絶対に勝てるから」というメッセージを込めていた。実際、彼は託されてきたボールを全身全霊で打ち込んでいたのだ。

 しかし、たった1点が重く、勝利は近くて遠かった。

「(金メダルという目標は)モチベーションになっていたし、(予選は)ストレスがあるなかでも戦って、やっと抜け出して。イタリア戦は、全員がベストパフォーマンスになっていましたが、負けてしまった。あれだ、これだ、と言われるかもしれませんが、全部、結果論でしかない。このバレーで(負けるなら)仕方ない。自分は納得できます」

 西田はそう言って、虚空を睨んだ。それは全力で戦ったものだけに許される言葉だった。

「(五輪で金メダルを取るには)技術をもうひとつ、ふたつ上げることですね。この1点、このひとつのボール。そこをしっかり突き詰めていくしかない」

 そう西田は言う。彼は「今」を全力で生きてきた。4年後のことなど、容易くは言えない。彼が残した「今」は歴史になる。激しく躍動する姿は、漫画や映画のヒーローのようだった。