仲間と共に 「上手いフィギュアが出来る人になる」。これは今年度の早大自動車部の主将を務めた近藤怜(先理4=岐阜)が競技人生を通して目指してきたことだ。複数ある自動車競技のなかでフィギュアと向き合い続け、そして上級生になってからは主将としてチ…

仲間と共に

 「上手いフィギュアが出来る人になる」。これは今年度の早大自動車部の主将を務めた近藤怜(先理4=岐阜)が競技人生を通して目指してきたことだ。複数ある自動車競技のなかでフィギュアと向き合い続け、そして上級生になってからは主将としてチームを支えてきた4年間の学生生活を振り返る。

 近藤が自動車に興味を持ったきっかけは幼い頃に祖父に買ってもらったミニカーだった。ところがその後は高校生になるまでは自動車が特別好きというわけでもなかったという。そんな近藤が自動車部に興味を持つきっかけは大学1年の時の免許取得だった。教習を通して自動車の運転の面白さに気づき、また何かの活動をしたいと考えていた近藤は自動車部の門を叩く。当時はコロナウイルスの感染拡大によってほとんどの大会が中止されており、それにともないガレージの作業ものんびりとしたものであった。

 2年生となったこの年には中止されていたすべての大会が開催され、活動もコロナ禍より前の忙しさが戻ってくる。後輩が出来ると同時に近藤は自身の自動車に対する知識の不足を感じるようになった。近藤自身は中高時代に特別車に対して興味があったわけではなく、コロナの感染拡大により整備の経験も少ないまま2年生になってしまっていた。自動車部には幼い頃からずっと自動車に関する知識に触れていた部員も多く、近藤には後輩に教えられることがほとんど無かった。そこで近藤は入部当初から特に関心を持っていたフィギュアのことは誰よりも勉強して詳しくなろうと決意し、力を入れるようになった。

 近藤にとって勝てるフィギュアと上手いフィギュアは全く異なる。再現性が重要となるフィギュアでは練習と同じ手数、走り方が出来れば勝利することが出来るという。しかし近藤はさらにライン取りや舵角といった部分までこだわった上手いフィギュアを常に目指した。初のフィギュアの公式戦は3年生の全関東学生運転競技選手権。コーチなどから「これだったら勝てるだろう」とお墨付きを貰い出場した際には「ずっと力を入れていたのでやっと選手になれたな」と感じたという。当日は練習していた車両と競技車両が変更になるという予想外の出来事もあったが、他の競技と比べて数をこなしていたため緊張感を上手くコントロールして出走し出場クラスで3位に輝いた。


 OBと話をする近藤(中央)と小林(右)

 またこの年に近藤は主将補佐も務める。例年、主将補佐を務めた部員が主将を務める自動車部では主将を見越した立候補だ。近藤が目指した主将像は「取りこぼしがないか下でしっかり見てあげる」タイプ。かつて競技や走行の話をすることが多かった同期とは、部の運営に関する相談をすることが増えていった。特に入部当初から一緒にジムカーナの練習を行うなど部内で共に活動することも多かった小林とは運営のことも常に話し合っていたという。同期や先輩と摺り合わせをし、上級生となっていく中で部活に対する解像度は上がっていった。

 迎えた主将としての1年間は決して楽なものでは無かった。1つ上の先輩方は比較的人数も多く新しく始めた仕事も複数あった一方で、近藤の代は人数が少なかったこともあり円滑に回すには壁にぶつかったことも多い。時には現役とOB・スタッフとの板挟みにもなった。近藤はこの1年を通して「無事に一年間をやり遂げることがいかに難しいかということがわかった」という。


 全日本学生運転競技選手権に出走する近藤

 最後の公式戦となった全日本学生運転競技選手権の貨物B部門で近藤は優勝を果たす。同じクラスのほとんどの選手がペナルティを貰うなかで一切のペナルティを受けずに最短のタイムを記録し、エキシビションの優勝決定戦でも他を寄せ付けない走りを見せた。しかし近藤は「その勝利は自分だけで取ったものではない」と強調し、力を入れていた競技で優勝できた達成感と共に支えられたという思いを口にした。フィギュアのタイムアップには他の部員の協力が不可欠である。練習中に周りでペナルティやタイムの確認、動画の撮影をやってくれている部員がいて初めて、良い練習環境で整う。また練習の際には今大会で選手になれなかった部員の走り方を採用してタイムに繋がった場面も多かったという。このような支えが近藤の勝利には欠かせなかった。

 近藤は競技人生を通して「上手いフィギュアが出来る人になる」という目標を掲げ、努力を怠らなかった。上級生になってからは主将として様々苦労がありながらも率いた早大自動車部は全日本学生自動車連盟年間総合杯を逃すも、多くの大会で表彰台に上る成果を見せた。近藤自身、今後は4年間続けた自動車競技を引退せずに続けていくという。4年間で培った経験と共に近藤は新たなステージへと進んでいく。