一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第17回は陸上・福島千里 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」をスター…

一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第17回は陸上・福島千里

 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」をスタートさせた。現場で見たこと、感じたこと、当時は記事にならなかった裏話まで、12月1日から毎日コラム形式でお届け。第17回は、陸上女子短距離の福島千里(セイコー)が登場する。2016年リオ五輪まで3大会連続五輪出場。30歳を超え、東京五輪に挑戦する姿に惹き込まれた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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「無理」という外野の声なんて関係ない。挑戦を続ける姿に胸を打たれた。

 初夏の日差しに、心地よい風が吹いた6月6日の布勢スプリント(鳥取)。東京五輪出場を目指す32歳の福島は崖っぷちにいた。4大会連続五輪には日本選手権出場が必須。100メートルは11秒84が最低ラインだった。事実上のラストチャンスだったレース。予選11秒82(追い風2.0メートル)、決勝11秒78(追い風1.6メートル)と風にも恵まれ、3年ぶりの日本選手権出場を確実にした。

 レース後の取材では緊張から解き放たれていた。「(東京五輪へ)首の皮一枚繋がった。やっぱり何歳になっても、何度走ってもレースでミスはする」。笑った横顔には課題を見つけた充実感があった。その中で飛んだ「競技者として、やっぱり日本選手権は重要な試合という位置づけか」という問い。3年ぶり出場を称える空気感に対し、一瞬だけ表情を曇らせたように見えた。

「日本選手権と言わず、もっと上を目指したいっていうのがあるんで」

 出るのは“当たり前”の舞台なのだ。

 19歳だった08年、織田記念国際で当時の日本記録に並ぶ11秒36をマークし、一躍脚光を浴びた。好タイムを連発し、夏の北京五輪切符も獲得。日本女子の100メートル五輪出場は56年ぶりの快挙だった。陸上界に現れたヒロインは、日本選手権100メートル、200メートルともに計8度優勝。6年連続2冠を成し遂げ、100メートルは16年まで前人未到の7連覇と無敵を誇った。

 11年世界陸上では、両種目で日本女子史上初の準決勝進出。4大会連続出場を果たすと、12年ロンドン五輪、16年リオ五輪のトラックも走った。100メートルの11秒21(10年)、200メートルの22秒88(16年)の日本記録はいまだ破られていない。

数秒ためて語った決意「必死で頑張ります」

 誰もが認める日本女子短距離界の第一人者が、曇った表情に垣間見せたもどかしさ、プライド。予選でタイムを見た瞬間は、思わずガッツポーズが飛び出した。でも、日本選手権出場は決してゴールではない。この日の結果は「最低限」と評価し、“先”を見据えていた。

「日本選手権というものは、代表選考会ということを絶対に忘れてはいけない。前半が遅いので、まだまだやりようがあると思う。(東京五輪出場は)選考要項を見ると、苦しい状況。高い目標だと思ってしまうことが情けないけど、一番近いところにいたはずなので」

 五輪参加標準記録は11年前の自己ベストより速い11秒15。極めて厳しい状況は変わらない。取材の最後に「もう……」と言った後、数秒ためて「必死で頑張ります」と決意を込めた。その表情と淀みなく言い切った声が印象的だった。

 ただ、この後周囲にかけられた言葉の多くは「おめでとう」だったという。

「五輪、世界大会に行くのが当たり前だった。そこ(日本選手権出場)で終わりじゃないし、始まりだったのに」

 リオ五輪後はアキレス腱痛などに悩まされた。20年9月の大会で日本選手権出場が絶望的となった時には「怪我とか痛みもほぼない。足が痛くないので怪我の影響はない」と涙声で振り絞った。

 どんなアスリートにだってその時は訪れる。歯がゆさもあっただろう。でも、まだ諦めない。20年秋に慶大から順大に拠点を変更。今年4月から順大大学院スポーツ健康科学研究科で医科学などを学び、異なる環境から再出発を図った。

ぶらさなかった練習哲学「常に新しいことを」

 ほんの数ミリのズレが、100メートル先で大きな差を生む短距離。日々、体も変化していく。少し天然っぽさもあるキャラクターの反面、芯の通った練習哲学はぶらさない。繊細な世界で生きてきたスプリンターが持つ独特の世界観に惹き込まれた。

「常に進化する。プラトー(停滞状態)になるトレーニングは一つもなくて、これができたら常に新しいことをやる。今までやったことを積み重ねつつ、また新しいエッセンスを入れていかないと続きもしないし、進化もしない。新しいことをやることは、今までずっとやってきた。

 もちろん、新しいことはすぐにできるわけではないし、常にできないことをできるようにするのが練習だと思う。できることばかりを積み重ねるのが練習ではない。常に何かをできるように、現状に満足せず毎日やってきた」

 日本No.1を決める大会は、12秒01(追い風0.8メートル)の組5着で予選落ち。常に先頭を走ったかつての女王は1レースで大会を去り、東京五輪への挑戦は幕を閉じた。

 直後に33歳になった。願わくは、努力がもう一度花開くところを見たいファンもいるだろう。あとに続こうとする若手も多い。必死に駆け抜け、日本短距離界に確かな功績を残したスプリンター。引き際なんて人それぞれ。目標に向けていつまでも歯を食いしばる姿に意義深さを感じた。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)