スポーツ×食事一ノ瀬メイ(パラ競泳女子)インタビュー1997年3月17日生まれ、京都府京都市出身。イギリス人の父と日本人の母との間に生まれ、先天性右前腕欠損症のために右腕が短い。1歳半から水泳をはじめ、2016年のリオデジャネイロ・パラリン…
スポーツ×食事
一ノ瀬メイ(パラ競泳女子)インタビュー
1997年3月17日生まれ、京都府京都市出身。イギリス人の父と日本人の母との間に生まれ、先天性右前腕欠損症のために右腕が短い。1歳半から水泳をはじめ、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは日本代表として8種目に出場する。200m個人メドレーSM9や50m自由形S9など5種目の日本記録を持つ。近畿大学所属。
日本のトップスイマーとして活躍する一ノ瀬メイ
「ヴィーガンになったのは、去年見たドキュメンタリー映画がきっかけだったんです」
その始まりの時を、一ノ瀬メイは明確に認識していた。
日本においてヴィーガンは、菜食主義の一貫と取られがちだろうか。だが、提唱者のドナルド・ワトソンによると、ヴィーガニズムとは「可能なかぎり、食べ物・衣服・その他の目的のために、あらゆる形態の動物への残虐行為、動物の搾取を取り入れないようにする生き方」と定義されている。
一ノ瀬にそのような「生き方」を選ぶきっかけを与えた映画とは、『Cowspiracy:サステイナビリティ(持続可能性)の秘密』である。「Cowspiracy」は、牛の「cow」と、陰謀を意味する「conspiracy」をかけた造語。映画そのものは、一ノ瀬曰く「気候変動や環境破壊に、どれだけ家畜・畜産が影響しているか、そしてそれがなぜ明るみに出ないか」に切り込んだ作品だ。
この映画鑑賞を起点として、一ノ瀬の関心は環境問題から食事と健康の関連性にも及び、最終的には「種差別」にたどり着いたという。種差別とは、ヒトとそれ以外の動物の間に、差別的な線引きをすること。その理念に無自覚であったことに、一ノ瀬は「すごくショックを受けた」と言った。
先天性右前腕欠損症の一ノ瀬にとって、「差別」の根源探求とその廃絶への願いは、何かを選び取る際の大きな指標となっている。
水泳も、そのひとつ。
幼少期を過ごした京都市の家のすぐ近くに障がい者スポーツセンターがあったことが、水泳を始めたきっかけだった。本人に初めてプールの水に触れた時の記憶はない。物心がついた時には、泳ぐことはすでに生活の一部だった。
『パラリンピック』という言葉や存在と出会ったのも、このプール。当時、パラリンピック競泳日本代表監督を務めていた猪飼聡氏が、障がい者スポーツセンターのスタッフとして働いていたのである。
「パラリンピックっていう大会があって、そこではメイちゃんと同じような人たちが出ているんだよ」
猪飼氏の話を聞き、「かっこええなー、出てみたいな」と、少女は無垢な憧憬を募らせた。
その夢の実現に向け、母娘は地元のスイミングスクールに出向いたが、彼女を待ち受けていたのは「入会拒否」という現実。理由は、障がいがあることだった。『差別』という概念を可視的に認識した最初の体験が、おそらくはこの時だったのだろう。
もしかしたら、ここで水泳の道を閉ざされたかもしれないひとりの少女の命運は、母親の強い意思によって切り開かれる。
「私が生まれてから、母はずっと、障害学を勉強したいと思っていたんです。障害学で有名なのがイギリスのリーズ大学で、母がそこに留学することになったんです。父がイギリス人なので、父の実家で母と一緒に1年間生活しました」
母親が本格的に障害学を学ぶ一方で、娘も、その後の人生の指針となる衝撃的な体験をする。それは、地元のスイミングスクールに行った時のこと。
「君は、何秒で泳げるの?」
イギリスのスクールでは、それが最初に聞かれたことだった。
障がいの有無などではなく、純粋にタイムのみで、入るべきクラスが決められる。そして実際に大会に行けば、自分と同じような子どもたちに多く出会った。
「ずっと日本にいたら、心が折れたり、どこに向かえばいいかわらなかったかもしれない。でもイギリスに行った時に、理想を自分の目で見たことで、『ここを目指せばいいんだ』って思えた。だから日本に帰った時も、目は遠くに向けつつ、足は地につけて歩んでこられたのかなって思います」
遠くに向けた目で、差別なき理想の世界を見つめつつ、地につけた足で日本記録を打ち出しながら、彼女は発信力も強めていった。
その彼女が今、ヴィーガンという「生き方」を選び取ることで、環境問題や種差別に対する意識喚起を、波紋が広がるように人から人へと伝えようとしている。
「私は思ったこと、伝えたいことを言ってるだけで、とくにモチベーションがあるわけでもないんです。ただ、こういう発信をすることで、みんなが何かに気づくきっかけになり、いい循環を生めたらいいなと思います」
世の中には「アスリートは政治的・社会的発言をすべきではない」という風潮や論調があることも、彼女は十分に知っている。それでも、発信や行動への一歩を踏み出す原動力とは、「自分への信頼」だと彼女は言った。
「アスリートだから、というのも、カテゴライズしているということ。カテゴライズは、自分で自分の可能性を狭めることだと思うので、そこにはこだわっていないです。
私は、自分の思っていることをストレートに出すことにストレスもなかったし、自分がどういう人間かを出さないと、本当の自分を求めている人や本当に自分が必要な相手にも巡り会えないんだなと、すごく思っていて。『私はこういう人ですよ』と旗を立てておくと、そういう人たちが集まってくれる。実際にインスタグラムなどのフォロワーも増えたし、私は、素直に発信するメリットのほうを感じています」
「つながり」の輪の一環や、「循環」の推進力となることこそが、おそらくは暖かな光を放つ、一ノ瀬の行動原理の核だ。
「今は、自分ができるだけ優しくありたい、多くの方にも優しくあってほしいと思うんです。
みんな根本的に優しいと思うんですが、お皿に乗っているお肉が、脈を打つ心臓のあった動物だというのが、つながってないと思うんですね。今の世の中って、そういうつながりを感じることが難しくなるのかなって感じていて。なので、そういう点と点をつなげる力が、今はすごく必要で大事になると思っています。
そういう意味で、たくさんの人のきっかけになるのが食事なのかな、と思ったんです。自分の身体に入り、文字どおり自分の身になるものが、どこから来て、どういう方法で、どういうプロセスを経てお皿に乗っているのか? それらを知ることは、自分に目を向けることになるし、社会を見つめることにもつながる。食事で変えられることって、たくさんあるのかなと思っています」
ヴィーガンという言葉を聞いた時に、多くの人は「ゼロか100か」と捉えがちだが、そうではないとも彼女は言う。
以前より少しだけ優しい視線で自身や社会に目を向け、「今の自分ができる範囲での100を目指してもらうこと」......それが、彼女が願う「理想」だ。