中距離界のホープ卜部蘭インタビュー競技編「日本選手権の1500mで必ず結果を残す」 卜部蘭(うらべ・らん/積水化学)は、この目標を持って昨年の日本陸上競技選手権大会に臨んでいた。 前年(2018年)の日本選手権でも優勝を狙っていたが、ゴール…
中距離界のホープ
卜部蘭インタビュー
競技編
「日本選手権の1500mで必ず結果を残す」
卜部蘭(うらべ・らん/積水化学)は、この目標を持って昨年の日本陸上競技選手権大会に臨んでいた。
前年(2018年)の日本選手権でも優勝を狙っていたが、ゴールがトップの選手とほぼ同時に見えるほど僅差で敗れ、2位で終わった。この負けは卜部に「少しでも相手より前に出る」という意識をより強くさせた。
昨年の日本選手権で800m、1500mともに優勝した卜部蘭選手
photo by MATSUO.K/AFLO SPORT
そして、2019年。結果は1500mで初優勝。さらに、800mでも自己記録を更新して優勝して2冠に輝いた。雪辱を果たすとともに、中距離選手として日本選手権1500mに出場して、2位を2度経験している母・由紀子さんが果たせなかった目標を成し遂げたのだった。
卜部が陸上中距離へ進んだのは、ごく自然なことだった。母・由紀子さんは前述のとおりで、父・昌次さんも大学時代、箱根駅伝に出場していた中長距離の選手だった。その父が、高校の陸上部顧問をしていた関係で、小さいころから父が指導する選手たちの応援に行っていた卜部は、「中距離選手が一番かっこよく見えた」という。そして、陸上部のある新宿区立西戸山中学校に入ると本格的に中距離を走り始めた。
「新宿区の中学校は、ほとんど陸上部がなかったので、学区を越えて西戸山中へ行きました。そこが私の陸上人生のターニングポイントだったと思います。当時の先生はご自身も駅伝や長距離をやっていた方で、1カ月単位、1年単位で試合のスケジュールを出してくれました。そのおかげで、計画的に先を見ながらトレーニングを積んでいくことを学びました。それに、強い先輩もいたことで、男女とも東京都で勝って全国中学駅伝にも出られました」
高校は、駅伝よりもトラック&フィールドに力を入れている白梅学園高校に進学。「そこには、05年日本選手権800mで優勝した下平芳弘先生がいたんです。父から『ヨーロッパでは中距離が一番盛り上がる種目だ』と刷り込まれていたし、中・高といい先生が身近にいてくれたので、中距離への気持ちが強くなったと思います」と振り返る。
高3で、800mは高校ランキング4位の2分08秒51、1500mは9位の4分18秒30まで自己ベストを伸ばし、10月の日本ジュニアの800mで優勝して初の全国タイトルを獲得した。
東京学芸大学入学後は、高校時代から続く疲労骨折で練習できない時期もすごした。だが、3年の日本インカレ では800mで優勝を果たし、4年生の時には1500mでも優勝し、学生レベルでの結果は出してきた。それでも大学で力を入れようと考えていた1500mでは、高3の自己ベスト記録を更新できなかった。
「大学でも1500mをメインに考え、課題は最後のスピードだと思ったので、800mは1500mに生かすための種目だと考えていました。しかし、2年生くらいからは、800mの方が記録も出てきたのでそっち寄りの練習が多くなって......。練習メニューは、中学の時に学んだ計画性と高校で学んだ練習法を合わせて、自分で作っていました」
大学卒業後の2018年は、NIKE TOKYO TCに入ったが、その時卜部に声をかけた理由を横田真人コーチはこう話す。
「『この練習メニューで、よくこれだけ走れるな』と思っていました。国体の東京チームで彼女を見ていて明るい性格や、強いことも知っていたので声をかけました」
横田コーチのもとで力をつけた昨年4月には、シニアとして初代表となる、アジア選手権の日本代表にも選出された。世界でしか味わえない経験をしたことにより、「1500mで世界に行きたい」という意識が強くなっていった。
「最初はスローペースで、後半の800mでスピードが上がった時に、反応できた部分と、最後に置いて行かれた部分の両方を経験しました。日本とは違うスピード変化がある戦いの中で、自分がどうチャレンジできるかというところに面白さを感じたし、ここで勝ちたいと思いました」
そして、オリンピックイヤーの2020年を迎えたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、東京五輪は延期になった。
自粛期間中はチーム練習をできない日々が続き、卜部はひとりでトレーニングを行なった。人の少ない早朝などに、課題である持久力強化のために長い距離を走り、横田コーチも重視するフォーム作りを意識した上り坂のトレーニングをするなど、いつもとは違う練習もしてみた。そんな中で思い出したのは、中学時代のことだ。
困難な状況でも前向きに自分の行くべき道を進む卜部蘭選手
「中学時代も新宿区で(走る)環境としてはよくなかったので、『環境のいい学校には負けないぞ』と思って、近くにある戸山公園をグルグル走り、そこで反骨心が生まれました」
自粛期間中のトレーニングの成果は、7月のホクレンディスタンス・チャレンジ3000mで現れた。それまでの記録を15秒以上も更新する9分06秒18の自己ベストを達成したのだ。そして、8月のゴールデングランプリ1500mには、日本記録更新の手ごたえを持って臨んだ。
だが、そのレースでは、好調を維持する田中希実(豊田自動織機TC)に圧倒されてしまった。日本新のペースで引っ張る田中に卜部もしっかりとついていたが、ラスト400mからジワジワと突き放され、最後は大差で敗れた。卜部は自己ベストの4分11秒75で走ったものの、田中は日本記録となる4分05秒27でゴールしていたのだ。
「自分が狙っていた日本記録を目の前で破られたのは、すごく悔しかったです。でも、1300mまでは日本記録のペースで走れたので、課題はラスト1周だということもわかりました。田中さんがそこまで走ってくれたからこそ、『ラスト1周の走り次第で見える世界が変わってくるんだ』と感じました。そのペース変動の中でどうやって自分を出し切れるかを追求していきたいと思います」
そう話す言葉からもわかるとおり、卜部は決して下を向かない。彼女の性格を横田コーチはこう評価する。
「自分と向き合っている中でも、他者と自分を比較してしまう瞬間があって、そのためにネガティブな思考になってしまう人も多い。ところが卜部の場合、ずっと悔しい思いをしながらもここまで来ることができたのは、自分をどう高めていくか、ということを大事にしているからだと思います。強制的に他者と自分を比較せざるを得ない瞬間でも、他者から学ぼうとするポジティブさが彼女にはあるんです。
今回の田中選手の走りを見て、『自分に足りないものはここ』と言えるのも、純粋にすごいと思います。マイペースで自分のことに専念して惑わされないところは、うちのチームの中でも一番アスリート向きだと思います」
10月1日からは、新型コロナウイルスの影響で6月から延期になっていた日本選手権が開催される。
「これまで悔しい経験をいっぱいして、いつも『次こそは、次こそは......』という思いでやってきました。だから、日本選手権では連覇を達成したい。日本記録が更新されたので、自分の目標も、4分04秒20の東京五輪参加標準記録にステップアップしました」
彼女が競技を続けていく上で、この明るく前向きな性格がマイナスに働くことはないだろう。 やがて世界で活躍するであろう卜部蘭の姿を、今は楽しみに待ちたい。
プロフィール
卜部蘭(うらべ・らん)
1995年6月16日生まれ。東京都出身。積水化学所属。
元陸上選手の両親の影響もあり、小学生の頃から陸上競技に触れる。
大学4年時にインカレ で優勝し、母娘の2世代優勝が話題になった。
昨年の日本選手権では、800mと1500mで優勝を果たし2冠を達成している。