東京五輪&パラリンピック注目アスリート「覚醒の時」第18回 レスリング・文田健一郎練習相手として同行したリオデジャネイロオリンピック(2016年) アスリートの「覚醒の時」——。 それはアスリート本人でも明確には…

東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第18回 レスリング・文田健一郎
練習相手として同行したリオデジャネイロオリンピック(2016年)

 アスリートの「覚醒の時」——。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく——。



2016年の全日本選手権、文田健一郎は太田忍を破って初優勝した

 5年ほど前、日本のレスリング・グレコローマンスタイルは絶望的な状況だった。

 ロンドンオリンピックで60キロ級の松本隆太郎が銅メダルを獲得したあと、2013年から世界選手権でのメダルは3年間ゼロ。2015年の世界選手権(アメリカ・ラスベガス)にいたっては、66キロ級の泉武志が1勝をあげたのみで、あとは全敗という悲惨なものだった。

 そんな泥沼な時期を脱し、勢いよくリオデジャネイロオリンピックへと突き進んでいったのが、当時まだ日本体育大学の4年生だった太田忍(ALSOK)である。

 2014年の全日本選手権、そして2015年の全日本選抜選手権と、太田はいずれも2位で優勝に一歩手が届かなかった。だが、日本グレコローマンスタイルが惨敗に終わった世界選手権から3カ月後、59キロ級の太田は全日本選手権で初優勝を遂げ、オリンピック・アジア予選の出場機会を得る。

 すると太田は、1回戦でロンドンオリンピック金メダリストのハミド・スーリヤン(イラン)を撃破。その後も勝利を重ねてオリンピック出場権を自らの手で獲得し、リオデジャネイロオリンピック日本代表に内定した。

 太田の目覚ましい進化、著しい成長ぶりを、誰よりも間近で見てきた男がいる。それが、東京オリンピックで金メダル候補ナンバー1と評されている文田健一郎(ミキハウス)だ。

 ロンドンオリンピックで金メダルに輝いた米満達弘(自衛隊体育学校)を高校時代に指導した父親(文田敏郎/山梨・韮山工業高校レスリング部監督)のもとで、文田はレスリングを始めた。中学時代から国内外の数々の大会で優勝し、高校2年・3年時には早くも全日本選手権で3位となる。

 高校卒業後、輝かしい実績をひっさげて、名門・日体大へと進学。そこで入部したレスリング部の2学年上の先輩が、同じグレコローマンスタイル・同じ階級の太田だった。

 2016年8月、文田は太田のスパーリングパートナーに指名され、リオデジャネイロへ同行することになった。スパーリングパートナーとは、野球で言えばバッティングピッチャーのようなもの。マットの上で真剣勝負を挑むことはなく、大会に出場する選手が気持ちよく調整できるようにタイミングよく技をかけられるなど、調子を上げていく手伝いをしなければならない。

 加えて、練習や試合では常にドリンクなどを用意し、脱いだジャージーやタオルを畳むなど、選手の身の回りの世話もする。文田はそうした雑用を丁寧にこなしながら、憧れの世界最高の舞台に触れた。

 太田は初戦、アジア予選で倒したスーリヤンから再び勝利を奪うと、2回戦でロンドンオリンピック5位の選手、3回戦で2014年世界選手権銅メダリスト、そして準決勝で北京・ロンドンオリンピック銀メダリストを撃破。圧倒的な強さを見せ、次々と世界の強敵を倒していった。

 決勝こそ前年の世界チャンピオンに敗れたものの、堂々たる銀メダル獲得。世界選手権に出場した経験は1度もなく、このオリンピックが”世界デビュー”にもかかわらず、太田は存分に実力を発揮した。

 まばゆいばかりの太田の活躍は、文田にとって衝撃的だったろう。先輩の銀メダル獲得に感動した。だが、悔しさもあったと言う。

「決勝戦までずっと応援していましたが、表彰式で銀メダルを首から下げた姿を見たあたりから、なんだかとっても悔しくなってきました。自分が忍先輩に勝っていたら(文田は全日本選手権3回戦で敗退)、あそこまで行けたんだと。

 忍先輩に追いつけば、世界で戦える。忍先輩を上回る練習をして、忍先輩に勝てるようになれば、世界で勝てる」

 文田は太田という”物差し”で世界との距離を測り、確信を得た。

 リオの興奮さめやらぬ2016年12月、全日本選手権。地球の裏側で「覚醒」を迎えた文田は決勝の舞台へと駒を進めた。マットの上で迎えるのは、太田だった。

 文田は勇気を持って攻め続けた。そして、「自分にはこれしかなかった」と言う得意の反り投げを極め、悲願の初優勝を飾ったのだ。

 そして2017年8月、世界選手権に出場した文田は、初出場にして優勝を遂げる。日本レスリング・グレコローマンスタイルの金メダル獲得は、世界選手権では1983年以来、オリンピックでは1984年ロサンゼルス大会以来の快挙だった。

 ただ、文田と太田のライバル関係は、まだ終わっていなかった。いや、むしろさらに燃え上がった。文田がオリンピックでの太田の奮闘ぶりを見て悔しいと思えば、太田もまた文田の世界選手権での躍進に唇をかみ、ふたりは切磋琢磨した。

 2017年の全日本選手権では、太田が世界チャンピオンになったばかりの文田にリベンジ。2018年の世界選手権は9位に終わったものの、太田はアジア選手権とアジア競技大会で優勝を果たし、存在感をアピールした。

 五分と五分。どちらが東京オリンピックのマットに立つか。予断を許さない争いが続くなか、オリンピック代表レースがスタートした。

 2018年12月の全日本選手権と2019年6月の全日本選抜選手権、文田と太田は両大会とも決勝戦で激突する。結果は、文田がどちらの接戦もモノにして2連勝。オリンピック予選を兼ねた世界選手権(カザフスタン・ヌルスタン)出場を決め、軍配は文田に上がった。

 世界選手権に初出場した2年前とは違い、文田は各国から徹底的にマークされた。外国人選手は文田の反り投げを封じ込めるため、間を詰めず、胸を合わせない極端な前傾姿勢で構える作戦。それでも、研究されることを覚悟し、グラウンド技に磨きをかけてきた文田は動じなかった。

 文田はローリングをはじめ、多彩な技で世界を相手に勝負を試みた。グレコローマンスタイル強化委員長でもある松本慎吾・日体大監督も「全試合、本当にスゴイ内容だった。東京でも必ず金メダルが獲れる」と手放しで絶賛するほど。文田は圧巻の内容で、2度目の世界チャンピオンに輝いた。

 世界選手権を2度制した日本人グレコローマンスタイル選手は、かつてひとりもいない。日本人男子選手がオリンピック前年の世界選手権で優勝したのは、モスクワオリンピック前年の1979年以来だ。文田は東京オリンピック・レスリング代表内定第1号となった。

 新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックが1年延期となったことで、各国の文田対策はますます進み、マークも厳しくなるだろう。それでも、文田は誓った。

「どんなに研究されようとも、反り投げは自分の一番の武器。オリンピックでは初戦から投げて、投げて、投げまくって、ポイントを重ねていきたい。あと1年、反り投げをそこまでの完成度にもっていく」