『僕の野球人生』第10回奥山 理奈 マネージャー (4年・都立武蔵高校) 4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。第10回となる今回は奥山マネージャーです!---…

『僕の野球人生』第10回

奥山 理奈 マネージャー (4年・都立武蔵高校)

 

4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

第10回となる今回は奥山マネージャーです!

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どうして東大野球部のマネージャーなんてやっているの?

これまでの大学生活で嫌になるほど幾度も投げかけられた問いです。

どこの大学でも同じように、春は各部、各サークルが競って新入生を勧誘します。でもそれは、この部にとっては実はあまり重要なことではありません。東大野球部に入る学生は、東大野球部に入るために勉強して東大を受験して、そして勧誘なんてされずとも、ほぼ迷うことなく入部するからです。

私は違います。小中高と違うスポーツを気まぐれにしてきており、野球部のマネージャーをしたことはありませんでした。こんなことを書いたら怒られてしまうかもしれませんが、マネージャーという存在を、自分の力では何もしない、できない人たちだと馬鹿にしてすらいました。野球観戦は好きだったのですが、入学してからしばらくはラクロス部や漕艇部にプレイヤーとして入部することとも迷っていました。その中で、何となく野球部の試合を見て、何となく勝ったら楽しいだろうなと思って。マネージャーの先輩方も思っていたようなただの雑用係とはちょっと違うのかなと思って。結局1ヶ月弱迷った私が入部届を出したのは春季リーグ第2週目の4月20日。入学後すぐに入部を決めていたマネージャーの上屋(マネージャー/4年)を含めた他のほとんどの同級生たちは、その1週間前の開幕試合をみんなで観戦していてすでに仲を深めていたそうです。

その数日間の遅れと、持っている想いの強さの違いは、私の中に劣等感としてぼんやりと残りました。部の仕事に慣れていくにつれて、周りの真剣な姿勢を見る機会が増え、こんな何となくの気持ちで入るべき場所ではなかったのだと思うことが多くなりました。これが、もっと気軽に参加できるようなサークルだったら、冒頭の質問をこれほどまでに受けることはなかったでしょう。この質問に私はただの一度も正直に答えることができませんでした。正直に答えてしまえば「何となく」なのです。それぞれの野球人生の果てにここまで来ている選手はもちろん、マネージャーの先輩や同級生も、高校までマネージャーをしてきていたり、自分が野球をしていたり。私には本当に何もありませんでした。格好付けようと、小さい頃から野球が大好きだったからと言っていましたが、実際には自ら興味を持ってプロ野球を見始めたのは高校3年生の初秋のことで、これも何となく、受験勉強の気を紛らわせるためでしたし、入部前は東京六大学がどの大学を指すのかさえあやふやでした。このコンプレックスに社交的ではない性格が相まって、1年生の秋が終わるぐらいまでは同級生ですらほとんど会話を交わさず、ただコンピュータに向かって作業をする日々に、こんなことをしたところで勝てるようになるわけでもなく、これが何になるのだろうと思っていました。“マネージャーの仕事は、できないと困らせたり怒られることもあるけれど、できても別に褒められることはない。できて当たり前のことだから”。先輩の言葉です。元々思っていたような、楽しいところだけ掻っ攫うような存在ではないのだなと今更ながら思いました。部内でも一緒に仕事をするような人や距離が近い人にしか気が付かれていないかもしれませんが、私は何をしても人より覚えるのが遅く要領も悪かったので、何とか時間をかけることで慣れて補おうと日々もがいていました。自分のことしか考えていない、本当にマネージャーに向いていないと言われたこともありました。神宮球場での場内アナウンスのような華やかな仕事はほんの少しで、地味な仕事がほとんどでした。例えば、皆の「僕の野球人生」の写真を一番見栄えが良い角度と大きさで切り取ってレタッチをしたところで、チームが強くなることには全く関係がないどころか、元の写真との違いに気が付くのはきっと私自身ぐらいという、つまり悪く言ってしまうと自己満足に完結するような毎日で、チームにとって何かプラスになっているかという手応えは最後まで掴めないことを知りながら過ごしました。

それでも辞めようという気持ちがよぎったことは一度もありませんでした。リーグ戦のときの、自分のチームの試合の緊張と興奮のない交ぜになった気持ちは何にも代えがたいものでした。もちろんとりわけ試合に勝ったときの高揚感は、間違いなくこれまでの人生で一番の感覚です。それから、時にどうしようもない無力感を覚えながらも得た出会いと経験は、手放すにはあまりにも惜しいものでした。経験しなければ一生気が付くことはなかったであろう、しかしどこにでも存在する裏方という立場。ふと金曜の夜に立ち寄った東大球場で試合前のジンクスと言ってトイレ掃除をしている姿を見かけた選手が神宮で活躍する姿。この立場だからこそ出会えた、東大運動会の仲間たち、各大学の野球部、他の部員の家族や友人、そのほか挙げればきりがない沢山の素敵な人々。無力感と弱音をつい口にしてしまったときに、勝つよとだけ言った選手が勝利投手になった試合。選手としての道を絶ち、マネージャーに、学生コーチになるという決断。ただ神宮で勝つために、午前中の全体練習が終わっても昼も夕方も、ともすればオフの日の朝にさえ繰り返される自主練。球場で全力を出して練習してからディスプレイに対峙して黙々とチームのための分析をするベンチ外の選手の背中。朝8時頃の東大球場で始まる一日。他の強豪チームと戦うオープン戦。そしてそれ以外の時間も、すべて。私はこれらを見ることができる。知ることができる。知って、そして皆さんに伝えることだってできる。もし、皆さんがこれまでに東大野球部に関する情報を目にしたことがあって、それで少しでも好きになってくださっていれば、応援しようと思ってくださっていれば、少しは役目を果たせているかもしれません。これまでご覧になったことが無ければ、私の文章はここまでにして手始めに他の人の「僕の野球人生」を読んでみてください。きっと彼らのファンになれると思います。

私には野球人生はありません。間接的にでも自分が野球をしているという意識になったことがありません。ボールに触ることもあまりありません。主務ではないのでベンチにも入りません。グラウンドよりも事務室に居る時間の方がずっと長く、私の野球人生を敢えて語るとするならばその主役はいつだって自分ではない人でした。

高校、そしてそれ以前に沢山の仲間がいた他の面々と違い、このチーム、そして今の同級生は私にとって唯一無二の存在です。私の野球人生は彼らの、君たちの野球人生です。私は勝つことに関しては本当に無力です。それでも今、最初の質問を受けたとしたら、今この場に存在する理由を問われたとしたら、「勝つため」と答えます。そのためにここまでやってくることができました。そのことに何一つとして後悔はありません。

あと2カード。

共に戦おう。勝とう。

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次回は上屋マネージャーを予定しております。

お楽しみに!

(この記事は10月4日に公開されたものです。)