『僕の野球人生』第7回宮崎 陽輔 内野手 (4年・国立高校) 4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。第7回となる今回は宮崎内野手です!-------------…

『僕の野球人生』第7回
宮崎 陽輔 内野手 (4年・国立高校)

 

4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

第7回となる今回は宮崎内野手です!

--------------------------------------------

2012年7月8日、夏の西東京大会1回戦。

正直、勝てると思っていました。

しかし、再三チャンスを作るもののあと一本が出ずに0-0のまま迎えた9回裏、1死から3番打者に四球を許す。

続く打者の送りバントに対し、投手の送球が乱れ、オールセーフ。

二塁手が思わずうなだれ、目を離した隙に2塁走者が3塁を狙う。

タイミングはアウトかと思われたが、送球がハーフバウンドとなり、ボールは三塁手後方へ。

喜びに満ちた表情でホームに還ってくる走者。サヨナラ勝ちに歓喜しながら飛び出してくる相手ベンチ。ホームの前で膝をつきうなだれる捕手。一瞬で引退を突きつけられ、呆然としているチームメイト。

ベンチから試合を眺めていて、走者が三本間を走る4秒間がこんなにも長く感じられることはありませんでした。

 

阪神ファンだった父の影響で、幼い頃からテレビでよくプロ野球中継を見ていました。週末には父とキャッチボールなどをして遊んでいました。最初は軟式ボールも怖くてテニスボールを使っていた記憶があります。

小学4年生の時に地元の少年野球チームに入りました。だいたいの送球は距離が近いからという安易な理由でセカンドを希望しました。

5年生の時のコーチが怖くて、永遠に感じられるほど続く内野ノックをみんなで泣きながら受けていたのをよく覚えています。試合も負けてばかりだったこともあり、この頃が最も野球を辞めたいと思っていました。

6年生になる頃から少しずつ勝てるようになったことや、殆ど同じメンバーで野球ができることから中学校でも野球を続けることにしました。

「野球部」という言葉の響きに厳しいイメージを抱いていましたが、小学校の時より雰囲気は緩く、都大会のブロック予選で2,3回勝つのがやっとでした。

 

中学校で野球をやるうちに、硬式で真剣に野球をやってみたいという思いが募り、家から近くて野球部が盛んな都立を探し、国立高校への進学を決めました。

高校での2年3ヶ月は本当に充実していました。

技術的なことはもちろん、一球や一点の重み・価値観、飽くなき探究心、時間の使い方や人としての在り方に至るまで、様々なことを学ぶことが出来ました。

先生方や先輩方だけでなく、同期や後輩も尊敬できる人ばかりで、様々な考え方・価値観に触れることができ、非常に充実した日々を過ごすことができました。

野球というスポーツが本当に面白いものだと感じるようになり、日々野球のことばかり考えて過ごすようになったのはこのような環境があったからだろうと思います。

 

しかし、冒頭で語った通り、最後の夏はすぐに終わってしまいました。

引退後しばらくは野球について考えるのも嫌でしたが、ふとした瞬間にサヨナラ負けのシーンが何度もフラッシュバックしていました。少しでも野球のことを思い出さなくて済むようにとしばらくは他の事に精を出していましたが、2ヶ月経っても状況は変わらず、いつの日か野球人生の最後を塗り替えるしかないと思うようになりました。

これが僕が東大野球部を志望した理由です。

 

実際に入部してからは、東大野球部が、東京六大学野球が求めるレベルと自分の実力との大きな乖離という現実を突きつけられる日々でした。

ベンチ入りすらも程遠く、自分がいなくてもチームは同じ勝敗、得失点、安打数、四死球数で試合をしているだろうという思いは自分の存在意義を疑わせ、リーグ戦でヒットを打ったりアウトを取ることはおろか、ボール球を見逃すことすら出来ないという事実に何度も無力感を覚えました。高校ですらレギュラーを獲れなかった自分が来る場ではなかったと心のどこかで言い訳をし、自らの努力不足を棚に上げるその姿は哀れと言う他ありません。

言うまでもないことですが、選手としてこの部に在籍している以上、最大の貢献はレギュラーを奪って活躍することです。そこから目を背けた僕が今していることはせめてもの悪あがきです。

 

ここまで野球を続けるにあたって、本当に多くの方々にお世話になりました。

指導者の方々、先輩方、同期、後輩、高校生の時から通っている病院の理学療法士の方、某ジムで指導してくださったトレーナーの方、両親等々。

自分の意志だけで野球を続けてきたわけではありません。多くの方々の支えのおかげで野球を続けさせてもらうことができました。本当に感謝しています。

自分の不甲斐なさに打ちひしがれ、野球に対して抱く感情も楽しいよりも辛いが多くを占めるようになった3年半でしたが、チームの勝利を渇望する気持ちには一点の曇りもありません。

となれば僕に残された選択肢はただひとつ。

野球人生の最後をチームの目標達成に塗り替えるため、最後まで僕なりの悪あがきを続けます。

--------------------------------------------

次回は齋藤外野手を予定しております。

お楽しみに!