『僕の野球人生』第9回古田 将基 外野手 (4年・岐阜高校) 4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。第9回となる今回は古田外野手です!-------------…

『僕の野球人生』第9回

古田 将基 外野手 (4年・岐阜高校)

 

4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

第9回となる今回は古田外野手です!

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私の野球人生は3歳の時に父の手によって始められました。

おもちゃのカラーバットを左打ちの握りで持たせたその日から、父は、私を右投げ左打ちの強打者に育てあげるため、毎日のように練習を課しました。

小学生の頃は、本当に野球が楽しく、本気でプロ野球選手になることを夢見ていました。少年野球チームのコーチでもあった父のもと、毎日のようにバッティング練習を重ね、試合ではホームランバッターとして活躍しました。小学5年生の冬、元中日の大豊泰昭選手にバッティングを褒めて頂いたことはとてもいい思い出です。

中学生になると、西濃ボーイズに所属して硬式野球を始めました。後に大垣日大高校に進学し2年生から4番を打った高田という選手と3、4番を打つなど、非常に高いレベルで野球をすることができました。一方で自分の限界にも気づくことになります。高田をはじめとして、すごい選手をたくさん目の当たりにし、当時、自分もそれほど劣っていないという自負はあったものの、このまま闇雲にプロを目指しても、将来が見えないと感じるようになりました。「文武両道」を志し始めたのもこの時期でした。ある意味、自分の中での逃げ道だったのかもしれません。

高校では、岐阜県で最高の「文武両道」を実現すべく、岐阜高校の硬式野球部に入部しました。2年生の夏、前年度甲子園ベスト4の県立岐阜商業高校とベスト8をかけて戦い、接戦の末破れた試合で、3番ライトとして出場したことがとても印象に残っています。岐高、県岐商、両校の大応援の中、1つ1つのアウトを取るたびに大歓声が上がる痺れる感覚は忘れられない経験です。3年生の夏は、1勝したものの、正直言うと不完全燃焼でした。それまで高校で野球を辞めようとも考えていましたが、この夏の不完全燃焼によって次のステージへの挑戦を決意します。東京大学野球部に入り、日本最高の「文武両道」を実現してやるという挑戦です。

しかし、その目標の実現には多くの時間を要しました。長く辛い浪人時代の心の支えとなったのは、神宮で活躍する自分の姿を想像することでした。

 

最後の夏から2年半後。

晴れて東京大学野球部に入部を果たします。

入部直後の春の新人戦ではヒットを放ち、夏のオープン戦でも順調にヒットを重ね、順風満帆のように思えた矢先、大怪我をしてしまいました。それからというもの、様々な怪我が続き、ほぼ陽の目を見ることなく、時間は過ぎていきました。これといって結果を残せなかった非常に悔しい4年間でした。

野球をここまで続けるに当たって、指導者の方々、先輩、後輩、同期、友人、家族など、様々な方にご支援を頂きました。全ての方々に感謝していると共に、期待に応えられなかったことに対して本当に申し訳なく感じています。

特に、3歳から自分の野球人生を支えてくれた父には、神宮で活躍する姿を見せたかったです。辛い時には、きつく当たっても必死になって励ましてくれたり、一緒になって解決策を考えてくれたり、本当に感謝しています。

しかしながら、自分の人生は野球だけではありません。人間として立派に成長し、これからの「人生」で恩返しをしていきます。

最後になりましたが、残り2カード、東大野球部員として、ここまで苦楽を共にしてきたチームメイトと、目標である「勝ち点」を奪取できるよう全力を尽くしたいと思います。

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次回は奥山マネージャーを予定しております。

お楽しみに!