サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、名古屋グランパスとアルビレックス新潟の手に汗握る決勝が話題となったルヴァンカップの「意外…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、名古屋グランパスとアルビレックス新潟の手に汗握る決勝が話題となったルヴァンカップの「意外と知らない」本当の話。
■今年「亡くなった」ワールドカップ優勝監督
「フットボールという『もの』は存在しない」
そう語ったのは、今年5月に85歳で亡くなったアルゼンチンの名将セサル・ルイス・メノッティである(『サッカー・マガジン』1979年11月10日号)。
地元開催の1978年ワールドカップでアルゼンチンを初優勝に導いたメノッティは、翌1979年、アルゼンチンのU-20代表を率いて日本で開催された「ワールドユース大会(現在のFIFA U-20ワールドカップ)」にやってきた。その折に牛木素吉郎さんのインタビューに応えたのである。
「1980年代の世界のサッカーはどのようになっていくのか」
インタビューはチームの宿舎で、昼食後お茶を飲みながら30分間という約束だった。約束の時間が過ぎようとした頃、牛木さんはそんな質問をした。このインタビューの「核」ともいうべき問いだった。だが、メノッティは「私たちも知りたい」と、とぼけた。
しかし、メノッティの話したいことを引き出す牛木さんの絶妙な質問と、彼の言葉に対する牛木さんの反応に満足して興に乗り、結果的にインタビューは2時間を超した。その終盤に、1時間以上も前の質問を引き合いに出して、メノッティはこの重要な言葉を語り、詳しく説明したのである。
■「切り離すことはできない」人間とサッカー
「フットボールという『もの』があるとすれば、それはただの丸いボールそのもののことですね(大住注:英語と同じように、スペイン語でも競技名とともにサッカーのボールそのものも「フットボール」と表現する)。しかし、私たちがフットボールと呼ぶのは、(中略)人間がプレーするサッカーなのです。だから、人間とサッカーを切り離して考えることはできません」
「これは愛情と同じです。愛情という『もの』は存在しない。お互いに愛し合う男性と女性が存在するのです。そして愛し合う人間同士が成長していくわけです。サッカーの発展についてもそうです。1980年代のサッカーはどのように進歩するだろうかという話でしたが、サッカーが進歩するのではなく、サッカーをする人間が進歩するわけです」
こんなメノッティの言葉を思い出したのは、11月2日に国立競技場でJリーグYBCルヴァンカップの決勝戦、「名古屋グランパス×アルビレックス新潟」を見ているときだった。
「カップという『もの』は存在しない。カップをめぐって全身全霊でプレーする人間たちがいるだけだ」
素晴らしい試合だった。初めての大舞台に緊張気味の新潟だったが、前半9分過ぎに自陣ゴール前でDF舞行龍ジェームズを皮切りにGK阿部航斗を含めて16本のパスをつなぎ、ついに名古屋の強烈なプレスを脱して前線に送ると、さらに4本のパスをつないで最後は名古屋ゴールを脅かすクロスを送った。
このプレーで新潟の選手たちは「自分」を取り戻し、以後は本当に見事な試合になった。名古屋も新潟も互いに自チームの良さ、チームとしての決めごとの中で個々のストロングポイントを発揮し、まれに見る見応えのある試合になったのである。
ルヴァンカップは1992年の「ナビスコカップ」でスタートし、1995年には開催されなかったものの、今年の決勝戦で32回目になった歴史ある大会である。
■高級ブランド「ティファニーで製作を」
しかし、メノッティの言葉どおり、銀製の「カップ」そのものに価値があるのではない。それをめぐっての無数の選手たち、監督たち、レフェリーたち、そしてサポーターたちの人間としての活動こそ唯一の「実体」であり、こうした人々の努力と献身にこそ、何ものにも代えられない価値があるということが、名古屋と新潟の奮闘を見ればよくわかるのである。
ちなみに、この日、名古屋が獲得した優勝トロフィーは、実際には相当、高価なものらしい。「ルヴァンカップ」は、日本サッカー協会が主催する全日本選手権「天皇杯」の優勝カップのように「持ち回り」ではなく、大会ごとの優勝チームが永遠に保持できるもの。そして、それが1994年の第3回大会以来、毎年アメリカの「ティファニー」で製作されているという。あの「ティファニー」である。
高さは約56センチ、幅は約27センチ、そして重さは6.3キロ。スターリングシルバー(銀含有率92.5%)製。アメリカ北東部ロードアイランド州のカンバーランドという人口3万5000人の小さな町にあるティファニーの工房で、毎年2か月半をかけて製作されているという。「存在しない」などと言い切ってしまったが、カップという「もの」自体も、なかなかなものなのである。