東海大黄金世代は今 最終回・羽生拓矢(東海大学→トヨタ紡織)後編東海大黄金世代――。2016年、この年の新入生には都大路1区の上位選手、關颯人、羽生拓矢、館澤亨次ら、全国区の選手が多く集まり、東海大は黄金期を迎えた。そして2019年、彼らが…

東海大黄金世代は今 最終回・羽生拓矢(東海大学→トヨタ紡織)後編

東海大黄金世代――。2016年、この年の新入生には都大路1区の上位選手、關颯人、羽生拓矢、館澤亨次ら、全国区の選手が多く集まり、東海大は黄金期を迎えた。そして2019年、彼らが3年生になると悲願の箱根駅伝総合優勝を飾った。そんな黄金世代の大学時代の活躍、そして実業団に入ってからの競技生活を紐解いていく。最終回は羽生拓矢(トヨタ紡織)。


八王子ロングディスタンスで日本歴代4位の記録をマークした羽生拓矢

 ©AgenceSHOT

 東海大3年の時、羽生拓矢は実業団での競技継続を考えていた。

 しかし、駅伝出場は1年の全日本大学駅伝のみ、ケガのために関東インカレなど主要な大会にも出場できなかった。陸上部の主力選手が実業団に行く場合、早いと大学1年、遅くても3年にはだいたい入社先が決まっている。

 羽生は、3年の夏になって両角速監督から「競技をつづけるのか」と聞かれた。「つづけます」と答えるとその段階でオファーが来ていないことを告げられたが、羽生は「何とかなるさ」と思っていた。
 
「実業団に行くには、最低限、このくらいは走れますよというのは見せておくことが必要だなと思っていました。そのためのレースを設定し、準備していたので、そんなに焦りはなかったですね」

 その大会が2018年12月22日の平成国際大長距離記録会だった。

 羽生は、10000mで29分18秒76で3位に入った。そのレースを見ていたトヨタ紡織の白栁心哉監督に声をかけられ、羽生は入社を決めた。
 
「声をかけてもらった時は、『本当に僕でいいんですか?』って感じでした(苦笑)。僕は箱根を一度も走れなかったし、大会で結果を残せなかったので。ただ、個人的な考えとしては箱根を走れないことをそんなに重大に考えなくてもいいと思います。走れないから実業団に行けないという考えもなくした方がいい。要は自分次第で、自分が競技を続けたいという軸がぶれなければ、周囲が付いて来てくれると思っています」

 トヨタ紡織に内定後、羽生はまだ故障していたが、入社後すぐに活躍できるように準備を始めた。最後の箱根駅伝が終わった1月末には、トヨタ紡織の寮に入り、心と体をリセットして、基礎体力作りから始めた。卒業後は、コロナの影響で記録会や大会が中止になったが、かえって自分の練習に集中することができた。チームの練習に合流し、秋のレースに向けて合わせていければと考え、余裕を持ってこなせた。

「高校の時は自分の感覚ややり方を重視していました。大学でもそれにこだわっていましたし、チームの練習を受け入れると言ったけど、100%信頼していたわけじゃなかったんです。実業団では監督と1週間ごとに話し合いをして進めていったんですが、それがめちゃくちゃ濃密でした。入社したばかりの5、6月ごろは、うまくいかないこともありましたが、レースがなかったのでお互いに考えていることを話し合い、合わせていけばいいという感じになったんです。短期間ではなく、時間をかけて進めていくことでうまく噛み合っていきました」

 そうして9月の中京大学土曜競技会で5000m13分40秒26をマークし、高2以来6年ぶりの自己ベストを更新した。つづく10月の中部実業団選手権の10000mでも28分20秒10で自己新をマークした。

「この時は自己ベストを出せる感覚はなかったんですけど、積み重ねてきたものがうまく出せた。ここまでやってきた練習が正しかったんだなと思いましたね。これを普通に続けて行けばいいんだって思えたのは大きかったです」

 12月の日本選手権5000mでは13分35秒88の自己新をマーク。実業団2年目となる21年9月の大会では、5000m13分28秒82をマークして自己ベストを更新。22年11月の八王子ロングディスタンス10000mでは日本歴代4位の27分27秒49を叩き出し、23年1月1日のニューイヤー駅伝では6区区間賞。目覚ましい活躍で、陸上ファンや競技者、他チームに"羽生復活"を印象付けた。

「結果だけ見たらうまくいっているように見えますけど、ケガもけっこうありましたし、監督と意見がぶつかることや噛み合わないこともあります。でも、実業団って大学のように4年間を約束されているわけではない。ケガした時やうまくいかなかった時でも、お金をもらっている以上、責任を持って練習をしなきゃいけないって考えるようになったんです。ケガが治るのを待つんじゃなくて、治るまで何をしておくべきか、早く治すにはどうすべきか。ケガをした時の取り組みや考え方もすごく変わりました」

 実業団4年目のシーズンが終わり、2024年4月からは5年目のシーズン。山あり谷ありの陸上人生だが、それでも5000mや10000mのトラック種目で確実に結果を出してきた。これから羽生は、何をターゲットにして陸上をつづけていくのだろうか。

「まずは今、継続していることを今後も積み重ねていきたい。それが自己記録や日本記録の更新、日本選手権での優勝につながって、その先に五輪や世界陸上が見えてくるのかなと思います。ただ、個人的には、世界の大会を目指して突っ走るというよりも、もう寄り道しまくって、それで辿り着けたらいいなぁってイメージです。僕の一番大きな目標は、陸上を長く続けることです」

 五輪や世陸に出ることではなく、長く競技を続けることはシンプルだが大変なことでもある。実業団は、結果が出なければクビを宣告される厳しい世界であり、単に競技をつづけたいだけで長くいられる世界ではない。

「長く続けたいのは、僕にとって陸上の長距離がすべてだからです。それが一番自分のよさを出せるし、人とのつながりも増やしていける。人生でこれしかないっていうのが陸上なので、引退して他のことに挑戦したいというより、これを極めたいっていう気持ちが強いんです。年齢が上がっていけば苦しい状況も出てくると思いますが、結果が出ていなくても会社にやめろと言われる前にやめる必要はない。極端な話、自分がいるせいで下の世代の選手を切らないといけない状況になっても後輩に譲る気はないです。自分は残るよっていうぐらいの気持ちで長くつづけたいし、みんなにも長く続けてほしいと思います」

 羽生が、「みんなにも」と語ったのは、同世代の選手や黄金世代の同期たちが伸び悩んだり、陸上をやめていく姿を目にしているからだ。

「記録会とかで、大学の同期や他大学の同級生とかに会っても特に意識はしていないです。でも、大学時代と状況が逆転しているので、ちょっと上からの言い方になるんですが、自分に感化されてほしいなって思います。『自分はケガを乗り越えて、みんなと同じレースに出てきた。次は同じ舞台のレースに出ようぜ』と言いたいですね。今、同期は苦しんでいる選手が多いけど、苦しめばいいんですよ。僕もケガをして苦しんだけど、戻ってきているし、そういう経験が自分を強くしてくれる。だから、苦しんで、でもやめるなって言いたいですね」

 残念ながら黄金世代の仲間のうち、小松陽平、郡司陽大、高田凜太郎が引退した。3人とも引退に至る経緯や理由は異なるが、まだ26歳という年齢を考えると、もったいない感じがある。

「やめたのは、残念だなぁって思います。早いですよね、やめるの。いろんな考えがあるんだと思うけど、やっぱり同期には長く続けてほしいです。僕は、陸上がもっと息の長いスポーツになってほしいんです。30歳を超えて、35歳になっても40歳になってもバリバリ走る。現役では大先輩の佐藤悠基(SGH)さんが頑張っていますし、そういう姿をひとりだけじゃなく、僕らの世代が走って見せていきたいと思っています」

 黄金世代の仲間とは、今もつながっている。關颯人(SGホールディングス)や松尾淳之介(NTT西日本)に声をかけて会ったり、宮崎や千歳、菅平などの合宿地でほかの実業団で走っている選手と会うこともあるという。

「みんなには直接、『やめるな』とは言っていないです(苦笑)。言わなくても僕が頑張っていれば伝わると思うんですよ。だって、大学時代、最初にやめそうだったヤツがやめていないんだから。実業団で走って10年とかを過ぎた時、『黄金世代って言われていた人たち、意外と長くやってしぶといな』って言われたいですね(笑)。僕は、そうなってほしいし、そうしたいなぁと思っています」

■Profile
羽生拓矢(はにゅうたくや)
1997年11月8日生まれ。中学時代から全国区で活躍し、八千代松陰高校時代には全国高校駅伝に出場。2016年東海大学へと入学してからも大きな期待が寄せられたが、度重なるケガに苦しみ、3大駅伝には1年時の全日本大学駅伝のみの出場にとどまった。しかし、トヨタ紡織入社後は、5000mで高校2年生以来の自己ベストを更新し、10000mでも自己新を記録した。また、22年に行われた八王子ロングディスタンスでは日本歴代4位となる27分27秒49を打ち出し、見事復活を果たした。