陸上女子短距離界のホープ、青山華依(甲南大)。指導している伊東浩司コーチ(100m、200m元日本記録保持者)も「日本記録まで行く可能性はある」とその実力に太鼓判を押す。シーズンインし、全国各地でレースが続くなか、練習拠点である神戸市・甲南…
陸上女子短距離界のホープ、青山華依(甲南大)。指導している伊東浩司コーチ(100m、200m元日本記録保持者)も「日本記録まで行く可能性はある」とその実力に太鼓判を押す。シーズンインし、全国各地でレースが続くなか、練習拠点である神戸市・甲南大学で話を聞いた。インタビュー前編では、東京五輪前後の自身の走りを振り返ってもらった。
青山華依インタビュー・前編
世界選手権の出場を目指す青山華依(甲南大)
今季はここまでハードスケジュール
昨年の東京五輪では女子4×100mリレーの1走を務め、予選敗退ではあったが日本歴代2位の43秒44という好タイムに貢献した青山華依(甲南大2年)。今季は、3月の日本室内選手権60mで優勝すると(19年のU16と20~21年のU20でも連覇)、4月の日本学生個人選手権100mでは準決勝で11秒47(追い風2.0m)の自己新をマーク。決勝は11秒50(追い風1.0m)で優勝と好調なスタートをきった。
それでも「去年も3月に自己ベストが出たけど、そこからあまり伸びなくて。春と秋はよくても夏は弱いという経験もあるので、今年もまだ怖いんです」と弱気な言葉も口にする。
「今年の目標はユニバーシティゲームズの代表になり、アジア大会も選ばれたら出て。それに日本選手権で上位に残って世界選手権のリレーのメンバー入りをすることでした。でもユニバとアジア大会が延期になってしまったので、6月の日本選手権で3着以内に入って7月の世界選手権には必ず行きたいと思っています」
第1段階のユニバーシティゲームズの代表入りは果たしたが(その後、大会は延期)、アジア大会選考会だった4月29日の織田記念に向けては、個人の代表選考基準が高く厳しいこともあり、無理なピーキングをすることなく、スパイクは履かず練習量も落としてレースに臨んだ。それでも予選は向かい風2.3mの条件で11秒91を出してトップ通過。だが決勝はいい飛び出しをしながらも後半が伸びず3位。向かい風0.7mと風が弱まったなかでタイムを落としてしまった。
「予選が向かい風で11秒台だったので決勝は勝てると思っていたから、けっこう落ち込みました。(優勝した)御家瀬緑(みかせ・みどり/住友電工)さんが、意識していなかったのに外側から来たので、50mくらいからはガチガチの走りになって離される一方という感じで。悔しかったですね」
その後青山は5月1日の東京選手権100mで優勝し、3日の静岡国際200mは自己新の23秒60で3位。さらに8日のゴールデングランプリ200mに出場して24秒12で8位と、1カ月弱で10レースのハードスケジュール。「最後はやっぱり体が持たなかったですね」と苦笑する。
だが指導する甲南大の伊東浩司コーチによれば「本人も織田(記念)は失敗したと言っているが、学生個人のあとは失敗してもいいような調整をしています。東京選手権も11秒71で記録が悪かったと言っているが、あのレースは60mまではしっかり走れと指示をして、そのとおりに走って後半は力を抜いているので。予定どおりの走りはできていてアベレージが上がっていると思います」と評価する。
東京五輪出場決定後に経験した悲しい思い
167㎝という身長以上に大きく見える走りながら、室内の60mでは7秒38の日本U20記録を持つようにスタートからのスムーズな加速が持ち味の青山。彼女が注目されたのは、高校2年だった19年の日本選手権100mで3位になった時。本人は
「まぐれですよ」と謙遜する。
「目標は決勝進出だったから、終わってからはテンションが上がりましたね。決勝ではロンドン五輪出場の土井杏南(JAL・2位)さんがいて『かっこいいな。一緒に走れるのはすごいな』と思っていたし、優勝した御家瀬さんもその後のインターハイで戦うのはわかっていたので、『ついて行けたらな』と思っていました。自分では決勝に出られただけで満足だったけど、親も喜んでくれたし周りの友達も喜んでくれたのですごくうれしかったです。でも東京五輪は無理だと思ったし、『来年の日本選手権でまた表彰台に乗りたいな』と考えていました」
コロナ禍で変則開催となった20年10月の日本選手権。青山は4位に止まった。だが、大会延期のために東京五輪出場枠獲得がかかることになった、21年3月の世界リレー選手権日本代表選考トライアルでは、向かい風0.4mの条件でU20日本歴代4位タイの11秒56で優勝。前年の日本選手権の100mを制した兒玉芽生(福岡大・現ミズノ)や200m優勝の鶴田玲美(南九州ファミリーマート)などともに代表に選ばれた。そして5月1日からの世界リレーでは苦戦が予想されたなか、1走を担当して予選を2位で通過すると決勝では4位になり、東京五輪とともに21年世界選手権の出場権を獲得した。
「20年に五輪があったら出られなかったのでめっちゃ運がよかったと思います。自分はそこまでいくと思っていなかったし、もし狙うならパリ五輪だと思っていたのでその時も実感がまったく湧かなくて。五輪の本番の数日前くらいにやっと実感が湧いてきた感じです(笑)」
五輪までの道は危機にも見舞われた。世界リレーから帰国後は腰の状態が悪くなって動けなくなり、練習ができない時期が1カ月ほど続いた。「やっと走れるようになってからすぐの日本選手権だったので、決勝にいけたのも奇跡だと思いました」という状況で8位に止まった。それでも世界リレー出場メンバーを優先する選考基準で、東京五輪代表入りは果たしたが、その一方では悔しい思いもした。
「世界リレーで日本代表になってからは見られることも多くなって、ちょっと強い選手というラインにきていることをすごく意識しました。だから東京五輪も『8番の人が五輪に出る』と言われたのが悲しかったですね。選考基準があってそれで選ばれているのに、何でそう言われなければいけないのかと思い、けっこう心にきました。だから東京五輪でしっかり走り、出てよかったと思われるようにしたかった。大きな試合になると陸上ファンの方がけっこう見てくれるので、そういうところでもしっかり記録を出していかないといけないなとも思って。次の代表は日本選手権でしっかり結果を出して選ばれたいと思いました」
これまで夏はバテて食事も喉を通らなくなるほど苦手だったと笑う。だが東京五輪へ向けてはしっかり調整もでき、納得する走りができた。そして世界のトップ選手を間近で見て衝撃も受けた。
「自分は1走で外側のレーンだったので周りの選手は見えなかったけど、バトンを渡してからはずっとレースを見ていたので。バトンパスの部分は日本も負けていないけど、海外の選手はバトンを失敗しても全然速かったので個人の力が違うなというのを実感しました。100mも見ていたけど本当にすごくて、『私たちにもあんな走りができるのかな。無理じゃないかな』と思って少し自信もなくして(笑)。やっぱり筋力の差は大きいですね。リレーの招集の時に海外の選手と並んだら身長は一緒でも筋肉がすごくて。向こうから見たら私はガリガリに見えるだろうなと思いました。でも、私たちが筋肉をつけても走れるというわけではないと思うので、そこはまだ試行錯誤ですね」
「まだまったく自信がない」
柔らかな走りでスタートがうまい青山だが、前傾して加速する自分の走りを
「ちょっと気持ち悪くて、好きじゃない」とも漏らす。
「自分がどういう走りをしているかよくわからないけど、今はスタートから出て後半逃げきるという感じです。中学の時は200mをやっていたから後半型だったけど、中3の頃から100mをやるようになってスタートの改善に取り組み、でも200mはあまり走らなくなったので前半型に変わってしまって。今は中盤から後半にかけてもう一度加速したいと思っているけど、それがどうにも難しくてできないんです」
そんな青山を、伊東コーチは「まだいろんなことを経験させる年齢です。僕らが現役時代にやっていたことをやらせると、しんどくなってしまうので」と長い目で見ている。さらに「まだ相手を見て自分の順位を決めてしまうようなところもある。彼女の場合は国体やU18日本選手権で優勝しているが、インターハイでは勝てずに王道を歩んでいないから、まだ自信を持てていない面もある。自信を持てば学生個人のように圧勝できるし、東京五輪のリレーのような走りを200mの前半でやってくれたら、日本記録まで行く可能性はあると思っています」と言う。
高校3年のインターハイが、新型コロナの影響で中止になった不運もあった。現時点では今季唯一の11秒4台を出しているが、日本選手権へ向けても「織田記念で先着した御家瀬さんも戻ってきているし、君嶋愛梨沙(土木管理)選手も好調だから」と弱気だ。そして「自信を持ってしまったら、記録が止まっちゃうかもしれないのであまりメリットもないと思います。けっこう現実主義で今の実力を重視してしまうので。11秒3とか2を1~2回出せれば多少は世界に近づけたと思えるだろうけど、まだ11秒4なのでまったく自信がないですね。多分、日本記録を出さないと本当に自信はつかないと思います」とあっさり言う。
それでも今は、少しずつ欲も出てきた。それを確固たるものにするのは、日本選手権(6月9日開催)の好走と、世界選手権(7月15日開催)代表になることだろう。
「高校時代は量より質の高校だったし、私自身はサボり癖があったので(笑)。でも大学に入ってからは、他の人より足りないかもしれないけど、記録を伸ばしたいという気持ちもあるのでけっこうガツガツやっています。これからは200mももっとやらなくてはいけないのはわかっているし、大学を卒業して自立するようになってからが本当の勝負だと思うから、大学のうちに覚悟を持って死ぬほど練習をして、『限界までやる』というのは一度経験しなければと思っています。今までは自己記録もちょっとずつしか伸ばせていないので、一気にあげていきたいです」
後編に続く>>陸上にハマったきっかけ。「団体競技は苦手でした」
PROFILE
青山華依(あおやま・はなえ)
2002年8月26日生まれ、大阪府出身。甲南大学2年生。小学5年の時に陸上選手だった両親の影響で陸上を始める。大阪高校の2年生だった19年6月に、日本選手権女子100mで3位になり注目を集める。21年の東京五輪・女子4×100mリレーの日本代表として第1走者で出場し、日本歴代2位の43秒44をマーク。100mの自己ベストは11秒47(22年4月日本学生陸上競技個人選手権)、200mは23秒60(22年5月静岡国際陸上競技大会)、60mは7秒36(22年3月日本陸上競技選手権大会・室内競技)。身長167cm。