陸上女子短距離界のホープ、青山華依(甲南大)。指導している伊東浩司コーチ(100m、200m元日本記録保持者)も「日本記録まで行く可能性はある」とその実力に太鼓判を押す。シーズンインし、全国各地でレースが続くなか、練習拠点である神戸市・甲南…

陸上女子短距離界のホープ、青山華依(甲南大)。指導している伊東浩司コーチ(100m、200m元日本記録保持者)も「日本記録まで行く可能性はある」とその実力に太鼓判を押す。シーズンインし、全国各地でレースが続くなか、練習拠点である神戸市・甲南大学で話を聞いた。インタビュー後編では、陸上をはじめたきっかけや甲南大を選んだ理由、理想とする選手などについて聞いていく。

青山華依インタビュー・後編
前編はこちら>>東京五輪では「8番の人が出る」と言われ、日本選手権でのリベンジを目指す


子どもの頃は新体操やバレエ、スケートをしていたという青山華依(甲南大)

最初は

「全国大会があるということすら知らなかった」

 青山華依(甲南大)の父、正一さんは、大阪高校時代に4×100mリレーの2走としてインターハイで優勝。そして走り高跳びの選手だった母の尚美さん(旧姓・坂野)は、2000年シドニー五輪出場の太田陽子や今井美希と同世代で、大垣商業高校2年でインターハイ優勝という実績を持つ、陸上一家育ち。「インターハイで1位を獲ってないのでまだ両親には負けているけど、五輪に出て親たちを超えられただろうからいいんじゃないでしょうか」と、笑顔を見せる。

 青山が陸上を始めたのは小学5年の時。父が見つけてきた陸上のクラブチームに体験というかたちで入ったのがきっかけだった。

「最初は別に陸上が好きだというわけではなかったけど、一緒にやっている子たちと練習をしたり遊んだりするのが楽しかったんです。小学校も地元ではなく、少し離れた学校に通っていたので、近所には友達があまりいなくて。土日の陸上クラブで友達と遊ぶことくらいしかなかったから、行くのが楽しくて続けていたという感じです」

 元々体を動かすのは好きで、3歳から母親と一緒に新体操とバレエを習いに行っていた。「バレエではアンパンマンの歌で踊ったりしていた」と言うが、小学校に行き出すと授業との両立が苦になって辞めた。その後は家の近所のスケート教室にも行って楽しんで滑っていたが、中学からは陸上に集中するようになりスケートも行かなくなった。

「最初は本当に楽しいからやっていただけだったけど、中2の時に地域大会の200m走で上位になって自信がついたというか、面白いなと思って。それで大阪の中学の合宿に行ったら、中3で記録も伸びたので。そこからちゃんと陸上を始めた感じです。でも当時は五輪などを見てもウサイン・ボルト選手に注目していたくらいで、女子は見てなくて。その頃は自分がずっと陸上をやるとも思ってなかったし、こんなに楽しいものだとは知らなかったんです。

 ただ中学だと友達が増える時期だったから、試合で一緒に走った他校の子とも仲よくなれるのが楽しくて。その頃は大阪の試合だけで全国大会があるということすら知らなかったので、中3で全国中学(全中)に出られた時はびっくりしました」

 陸上が好きになった大きな理由は、人と競争することが楽しかったのと、走り終わったあとには競い合った人たちと仲よくなれることだった。

「私はひとりっ子でけっこう自分中心だったからかもしれないけど、団体競技は苦手でしたね。多分、ずっと他の人と一緒にいるというのが無理なタイプみたいで(笑)。みんなと一緒に楽しめて、自分ひとりでも楽しめるというのが好きなんです。陸上だとリレーが唯一団体種目だけど、4人で一緒にチーム行動ができるところもいいかなと思っていました。

 大学に入ってからは、陸上部の子たちと授業も違ったりするのでひとりで行動することが多くなり、昼ごはんも練習前や午前練習のあとにひとりで行っているんです。以前は行けたのはスープ屋さんくらいだったけど、最近はみんなが普通に行く定食屋さんにもひとりで行けるようになりました。これからやってみたいのは、頑張ってひとりで焼き肉に行くことですね。自分でいろんなメニューを選んで食べてみたいんです」

 チームメイトと一緒に行動することが多かった高校時代と違い、自由に使える時間が増えたなかで単独で行動するのも、彼女流の気分転換のひとつなのだ。

 伊東コーチは「陸上に関しては真面目で、体のケアもしっかりやっている」と言う。だからこそなのか、本人は「考えすぎると迷ってしまうので、練習とか試合を見に行っている時以外は陸上のことはあまり考えないようにしています。学生個人のレース前もスタートの姿勢に納得がいかず、ずっと迷ってしまって。自分で『これっ』というのがまだわかっていないので、あんまり考えないようにしているんです」とも話す。

海外選手のおしゃれなスタイルに憧れる

 高校で結果を出し、勧誘されることも多かったなかでの甲南大進学。青山はその進路もしっかり考えて選んだ。

「関西から全国に出て行きたいというのと、女子の場合はひとり暮らしになると栄養面などで失敗して不調になることもあるから地元から離れないほうがいいとも聞いていたので、それを一番に考えました。だから最初は関西内で候補を数校選び、知り合いの大学の陸上の先生にも相談したけど、『伊東先生なら信用して行ってもいいと思う』と言われたので甲南大を選びました。だから最初は伊東先生に教えてもらうというより、『関西で家から通える』というのが一番重要でしたが、伊東先生は高校の先生とも色々お話をして練習メニューも決めてくれているので、すごくのびのびとできています」

 そんな青山に憧れている選手が誰かと聞くと、ずっと関西を拠点に活動し、09年世界選手権リレーの代表になり、17回出場した日本選手権では100m、200mの決勝の常連で昨季引退した和田麻希(ミズノ)の名前を挙げる。

「ずっと関西でやっていて強かったのもそうですが、大会ごとに髪型を変えているのを見て『めっちゃカッコいいな』と思ったんです。そういう姿で見ている人にも自分を印象づけて覚えてもらい、応援してもらえるようになればいいなと思うので、私もそれをやりたいなと思って。それに海外の選手はもっとおしゃれをしていて、この間のゴールデングランプリでもすごい長い爪で蛍光カラーのネイルをしている人がいたので『可愛い!』と思ったし。東京五輪でも髪の毛の色々なスタイルや色を見てすごいなと思いました。髪の毛をミニーマウスのようにしていた人もいたけど、本当に可愛かったですね。



自慢のネイルを見せてくれた

 でもそんなチャラチャラした格好をしていても遅かったら、『髪の毛を染める前に速くなれ』ってコメントされるだろうから、強くなって海外の選手のようにいっぱいできたらいいなと思って。ただ走っているだけだと気持ちがきつくなる時もあると思うので、自分も楽しくやりたいし、見てくれる人たちにも『今日はどんな髪型かな』などと、楽しく陸上を見てもらえたらいいな、と思っているんです」

 海外のトップ選手のインスタグラムもフォローして、どんなおしゃれをしているかもチェックしていると楽しそうに話す青山。「私も両側をお団子にするヘアスタイルをしたいんですけど、髪の毛はショートのほうが似合うとも言われているのでちょっと悩んでいるんです」と笑顔で言う。

 競技を追求したいという思いを持ちながらも、普通の女の子のようなあっけらかんとした性格も併せ持つ青山。伊東コーチは「頭の回転はよくて何が必要かもわかっているので、陸上脳のほうが先行している選手かもしれないし、運もたぐり寄せるタイプですね。女子は大学1~2年で失敗する子が多いので、今は彼女の気持ちを優先して練習メニューを組み、本当にのびのびとやらせています。彼女の場合は自分たちの現役時代のように競技に集中しすぎると気持ちは持たないと思うので、今のおおらかな感じのままで伸ばしてあげたいと思います」と話す。

 陸上競技をさまざまな方向から思いきり楽しみながら、なおかつ、力も伸ばしていく選手。19歳の青山は今、そんな陸上選手像を目指している。 

PROFILE
青山華依(あおやま・はなえ) 
2002年8月26日生まれ、大阪府出身。甲南大学2年生。小学5年の時に陸上選手だった両親の影響で陸上を始める。大阪高校の2年生だった19年6月に、日本選手権女子100mで3位になり注目を集める。21年の東京五輪・女子4×100mリレーの日本代表として第1走者で出場し、日本歴代2位の43秒44をマーク。100mの自己ベストは11秒47(22年4月日本学生陸上競技個人選手権)、200mは23秒60(22年5月静岡国際陸上競技大会)、60mは7秒36(22年3月日本陸上競技選手権大会・室内競技)。身長167cm。