田中希実の独占インタビュー第3回 陸上女子中長距離の田中希実(豊田自動織機TC)が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。全3回にわたってお送りする第3回は「読書論」について。昨年の東京五輪1500メートルで日本人初出場を果たすと、…
田中希実の独占インタビュー第3回
陸上女子中長距離の田中希実(豊田自動織機TC)が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。全3回にわたってお送りする第3回は「読書論」について。昨年の東京五輪1500メートルで日本人初出場を果たすと、決勝で8位入賞の快挙を達成。3種目で日本記録を持つ22歳は、幼い頃から読書好きの文学少女だった。
自己啓発本や自叙伝を好むアスリートが多い中、なぜ文学にのめり込んだのか。五輪後には自身のことをつづった文章がツイッター上で反響を呼んだ。人生を変えた一冊から、読書によって得たものなど今のランナー人生に通じるエピソードを紐解いてもらった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
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昨夏、一本の文章がネットをざわつかせた。スポーツ界の取り組みや想いを未来に伝えるプロジェクト「#アスリートがつなぐ」。ツイッター上でOB、OG、現役選手が「#〇〇をつなぐ」をお題に言葉を発信した。
東京五輪後、田中も「#物語をつなぐ」と題して参加した。
「一人一人、物語をもっている。私にも、両親から始まる人の縁が織りなす壮大な物語がある。私自身、その一部しか知らない。物語は物語を生み、私にとっては知りえない外伝でも、それ一つで立派な物語が、どこかで生まれている。私にとっては両親が始まりでも、両親にとってはまた、始まりとなる物語があるのだ。私の物語は、誰かに繋がったろうか。私も両親のように、物語を作れているのだろうか」
五輪までの苦しみや自責の念など、心の葛藤を赤裸々に表現。幼い頃から五輪までの陸上人生を振り返る「物語」だった。シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さんが田中の文章をツイッターに公開すると、ネット上を駆け回るように拡散。内容もさることながら、細かな言葉の使い方や構成など「文章力」も話題を集めた。
おおよそ1500文字の一本に、どれだけの労力を要したのか。周囲の熱とは対照的に、作者は事もなげに明かした。
「いや、あれはもう普通にパッと降りてくるというか……。(普段の心情などを)携帯のメモに打っていたので、テーマさえ決まればすぐにできた感じです。最初はどういうテーマにするかわからなくて、ありきたりなものは避けようと思いました。
自分らしさを出しつつ、どういうテーマにするのがいいのか。(最終的に選手たちの作品は)本になるので、『#物語をつなぐ』がいいんじゃないかなと。物語にするなら、オリンピックに関してどんな物語があるのか考えました。大学まで父に車で送ってもらうんですけど、その時に1時間ちょっとでバーっと書けました」
田中が出会った本の世界。物語のプロローグにあるのは「下心」だった。小学3年生になった時、担任についたのは国語の先生。ある日、みんなでお気に入りの本を紹介することになった。「赤毛のアン」「大草原の小さな家」「アルプスの少女ハイジ」。純真無垢な少女は次々とページをめくった。「そんな本を知ってるんだ」「すごいね」。ただただ、褒められたい。クラスメートの声に嬉しくなった。
「本の紹介が楽しかったのが始まりです。当時は走りに自信があるわけではなかったので、何か自分のアイデンティティーを探していたんだと思います。読書が好きで、こんなに本が読めるというのを自慢したかったのかなと」
次第に本の世界へと惹き込まれた。読みながら登下校するのが日課に。「この本、みんなに知ってほしいな」。しかし、ある時から“歩き読書”は禁止された。少しでも早くあの世界に飛び込みたい。兵庫・小野市の家は学校から2.5キロくらい。走って帰り、自然とランナーの礎ができていった。
小学3年で読んだ人生を変えた一冊「夢は叶わないこともあると知った」
好きなジャンルは児童文学だが、完全なファンタジーとは違う。現実世界に不思議が入り混じった「エブリデイ・マジック」が大好物だ。「小人が出てくる本が好き」と照れ笑いしながら、「だれも知らない小さな国(作・佐藤サトル)」、「引き出しの中の家(作・朽木祥)」を例に説明。競技場とは打って変わり、柔らかい表情で本を語る。
「小人の国のような話ではなく、日常にひょっこり小人がいる感じです。人間の世界が日常にあって、信憑性を持たせてからファンタジックな部分があるもの。『本当にいるのかも』と思えると、気持ちが和みます。日常に楽しみを見つけるのがすごく上手になるんですよね」
読書にのめり込んだ小学3年生。同時に始めたのが日記だった。きっかけはアンネ・フランクの伝記を読んだこと。「もしかして、自分も興味深い日記を書いたら何十年先にも残るのかな」。偉人への尊敬の念とともに、ちょっぴり芽生えた下心。毎日、大小さまざまなノートにペンを走らせるようになった。
母・千洋さんは北海道マラソンで2度優勝した市民ランナー。コーチを務める父・健智さんも元実業団選手だった。読書の傍ら走ることが身近にあり、中学から本格的に陸上を始めた。兵庫・西脇工高からは練習日誌に感想をつづり、同志社大に進学後は日記と陸上ノートを書き分け。今も日常生活、感情の機微まで思うままを記している。
一日の終わりに20~30分。忙しくてもメモに残し、何日分か読み返しながらまとめて書く。「文章力は読書するにつれて上がるし、毎日書いているのでまた上がる。相互作用のようなものがあった」。続けること13年。磨かれた力によって描かれたのが「#物語をつなぐ」だった。
読書好きの印象が広まり、本をプレゼントされることが多い。「落ち着いたら読もう」と思って買い集め、今は30冊ほど溜まっている。読書中は陸上から離れ、本の世界でリラックス。「大会中はレースに集中したいのであえて読まないこともあるんですけど、読まなくても本は持って行きます。あるだけで落ち着くというか、ちょっとお守り的な感じで」と笑う。
何百もの異世界に飛び込んできた中で「人生を変えた一冊」がある。
小学生の頃、北海道マラソンに出場する母についていき、スタンプラリーに参加した。景品は三浦しをんの「純白のライン」、あさのあつこの「フィニッシュ・ゲートから」、近藤史恵の「金色の風」の短編3作をまとめた一冊。今では「シティ・マラソンズ」という題名で親しまれている。
3作に共通するのは、登場人物の市民ランナーが挫折を経験していることだった。
「主人公はみんな夢破れた人たちでした。最初からトップアスリートとして登場するのではなく、高校などで活躍していた選手が全く通用しなくなったり、妥協しながらも何かもがいていたり。小学生の時に『あっ、夢って叶わないこともあるんだ』と知りました。過去の経験を捨てるのではなく、自分なりに頑張ること、ずっともがきながら続けていること自体が物語になっているんだなって。
オリンピックで活躍することだけが全てじゃない。出られるのは本当に限られた人たちで、大多数はこの物語にあるような人たち。だから、自分も『絶対にオリンピックに出ないといけない』ではなく、『自分なりの何かができたらいいな』と思えるようになったかなと思います」
「本離れ」の中高生へアドバイス「本を探すところから楽しんでほしい」
一冊との出会いが少女に大きな影響を与えた。競技人生で大事にしてきたのは、記録やタイトルではなく「強くなりたい」という気持ち。今では非五輪種目の1000メートルと3000メートルでも日本記録を持ち、東京五輪は1500メートルで日本記録を更新し、決勝は8位入賞。海外との距離が遠かった種目で日本人初の快挙を果たした。
ただ、どれも「強いランナーになる」という物語を構成する一つの章に過ぎない。
同志社大ではスポーツ健康科学部に所属しているが、単位互換制度を利用して同志社女子大の授業も履修。本への興味は尽きず、文学作品の理解をより深める内容を受講した。
「一見全く関係ないような分野でも、スポーツに関連付けて考えられるようになったと思います。大学は固定観念を持たずに勉強することが求められる。文学系の授業で思想的なものを学んで、その考え方が陸上に通じることもあります」
視点を少し変え、当たり前のようにやっていた練習が本当に適切なのか見直すこともある。少なからず競技生活にも生かされている読書の力。子どもの「本離れ」が叫ばれて久しい時代、中高生へ優しくアドバイスを送ってくれた。
「読書もあまり強制したくはないんですけど、自分が読んでみて面白いと思う本があれば、同じ系統の本を他にも探してみることが大事かなと思います。自分に合う本がわからない子も多い。それでも、絶対にこの本じゃないといけないとか、課題図書だけを読むとか、その必要はないと思います。それだけが本じゃないので。
本屋さんや図書館に行って、タイトルや前書きを読むだけで心が惹かれる本があるはずです。そういう角度から攻めていけば、面白いと思える本に自然と出会える。絶対に読まないといけないって身構えないで、本を探すところから楽しんでほしいなと思います」
アイデンティティーを探した少女時代。今でも、本を語る姿は嬉しそうだった。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)