「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#87「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#87

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。陸上はスプリント指導のプロ集団「0.01 SPRINT PROJECT」を主宰するアテネ五輪1600メートルリレー4位の伊藤友広氏と元400メートル障害選手でスプリントコーチの秋本真吾氏が、走りの新たな視点を提案する「走りのミカタ」を届ける。

 第7回は「マラソンを見て走りたくなった人たちへ」を前後編でお届けする。7日と8日に行われ、男女ともに入賞で盛り上がったマラソン。ランニングブームが日本でも起こる中、普段は走りと縁遠い人も感化され、「走りたい」と思った人がいるだろう。しかし、運動不足である人が走る際は気をつけるべきことがあるという。前編ではその理由と注意点、そして「走り」の効果を探る。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 五輪最終日、男子で幕を閉じたマラソン。女子は一山麻緒が8位、男子は大迫傑が6位入賞を果たした。五輪を視聴すると、「ちょっと走ってみよう」と刺激を受けた人も少なくないだろう。なぜ、人はマラソンを見ると走りたくなるのか。

「理由の一つとしては生き生きとしたアスリートを目にして、自分の健康状態を考えたり、ちょっと運動を楽しみたいと思ったり、そういうマインドになった時、最も手軽に、参入障壁が低くできるのがウォーキング・ジョギングじゃないかと思っています。ただし、いろんな研究データを調べる中で最も大きな問題が、その人の目的と違った運動を、違った強度で行ってしまう事例が多くあるのではないかということです。

 例えば、痩せたいなら本来は運動強度の高い運動、走りならダッシュが最適。一般的には高強度のサーキットトレーニングなどが痩せる運動としてトレーニングジムで多用されています。そういう無酸素運動の組み合わせが最も脂肪燃焼には効果が高いと言われています。しかし、痩せることを目的にした人がすごくゆっくりなスピードで歩いたり、長~く走ったりしても、痩せないことはありませんが、最も効率的とは言えません。

 逆にたまにしか運動しない人、例えば運動を週1回する人がいきなり『なんとかしたい』と気持ちが先走り、1回あたり30分以上のジョギング・ランニングをやってしまったとします。すると、脳内にコルチゾールというストレスホルモンが出て、運動そのものがストレスになったり、それによって逆に太りやすい体質になったりするデータも出ています。毎日のように30分以上走っている人なら、あまり問題はないのですが」(伊藤)

 運動と強度。「2つの選択」を誤ると高まるリスク。そもそも、走りは強度によって名称が変わる(カッコ内は1分あたりの心拍数目安)。

○ウォーキング 健康増進・ウォーミングアップ・クールダウンを目的に会話しながらでも走り続けられるペース(最大心拍数の50~65%)
○ジョギング 健康増進・トレーニングへの移行を目的に会話できるかどうかギリギリのペース(同65~75%)
○ランニング トレーニングを目的に息が弾む・息切れするくらい(同75%~90%)
○スプリント 健康増進・トレーニングを目的に全力疾走に近いスピード(同90%以上)

かかとから接地する懸念「クッション性が高くても傷害リスク高める」

「一般的にはジョギングとランニングという言葉をなんとなく使い分けていますが、そもそも違ったもの。目的や期待される効果も変わってきます。この前提を理解して運動した方が良いですし、消費カロリーも違います。例えば、歩くから走るに動作を変えただけでジャンプ運動の連続となるため、消費は2倍以上。あとはスプリントをすると、成長ホルモンが多く分泌され、脂肪燃焼も長く続くという効果があると分かっています」(伊藤)

 だからこそ、まずは自分が何を目的に走るのか考えることが必要だ。

「一つは効果・効能を頭に入れ、自分がありたい姿に向けて最適な手段を取った方が良い。靴も大切です。近所を走るなら硬いアスファルト。衝撃が土より圧倒的に強い。運動初心者はかかとが厚い靴の方が良いと言われますが、厚いからこそクッション性に守られ、走りにとって好ましくない、かかとから着地する現象が起きやすくなることが分かっています。クッション性が高くても、かかとからの着地は膝などの傷害リスクを高めます。

 例えば、裸足で着地をしようとすると、かかとで着くと痛いので、自然にフォアフット(前足部あたりでの着地)に寄り、結果的に良い接地に変わりやすい。実際に裸足で走ったら動作が変わったというデータもあります。理想は芝生の上を裸足で走るのがいいですが、環境によっては難しいためランニング用のサンダルやソールが薄めのシューズを履いてみるのがオススメです」(伊藤)

「ケニアのランナーは自然とつま先から着地するフォアフットができている理由は、不整地を裸足で走る文化があるからだと思っています。日本人ランナーでも意識せずにできる人はいますが、ごく稀です。あとは知り合いの長距離選手からナイキの厚底にしたらフォームが変わったと聞きます。かなりつま先から接地がしやすい靴なので、自然と良い走りになる。靴にはそういう効果もあると思っています。
 
 なので、競技能力は運動強度でシューズによって足が弱ったり強くなったりするケースがある。陸上の元100メートル日本記録保持者の伊東浩司さんは実業団時代、かかとから歩かないようにスーツの革靴のかかとを削っていたと聞きます。シューズ選びは奥が深くてすごく大切。僕自身も一時期はあまりに楽なので、厚底依存症になり、本来の“自足”を鍛えられなくなってしまったことがあります。

 逆に、薄い靴でトレッドミル(室内ランニング機械)を走った時、厚底とスピードの体感が全然違います。靴が走らせてくる感じ。薄くすると、めちゃくちゃ速く感じるんです。その代わり、足の裏がパンパンになり、ちゃんと鍛えないと駄目だと意識させられました。今もトレーニングの一部で足袋のようなサンダルで走ったりしています。それくらい靴が体に与える影響は大きいです」(秋本)

「毎日20分くらいのんびり走る」も健康的で効果は高い

 前回第6回の記事でも触れたが、日本人の“指”の問題が健康に及ぼす影響もある。

「日本人は大人でも子供でも、足の指に適切に体重が乗らない『浮き指』といわれる人が半分以上というデータがあります。足の指にしっかりと体重を乗せて力が入らないと、アキレス腱も上手く作用せず、速く走る、効率的に走ることにとってマイナスです。健康面から考えると、指が使えないことで下肢も上手く使えず、血流にも影響が出てくると言われています。下肢が上手く稼働しなくなるとどうなるか。

 下肢には静脈が多く通っていて、静脈は血液を送り出すポンプ機能の役割を果たしています。ふくらはぎをもんだり温めたりしたら、血流が良くなると言われるのはそのため。指が使えないと下肢に影響が出て、血流が悪くなり、酸素が行き届かなくなって不健康になる。野口英世さんも『全ての病気の原因は酸欠にある』と言っています。健康を考える上では指や足の裏の筋肉を鍛えるというのも大切なキーワードになってきます」(伊藤)

 最後に、改めて大切なことを伊藤氏は説いた。

「健康増進のために走るなら、マラソン大会に出るわけではないので、スピードを求める必要はありません。形自体を『歩く』から『走る』に変えるだけで、カロリー消費はおよそ2倍になります。走ることでジャンプ運動が生まれ、1回あたりの筋肉への負荷が変わる。いくら遅くても体重のおよそ2、3倍は負荷が1歩あたりかかります。その負荷に耐えるために筋が稼働し始めると、ウォーキングより効果的です。すごくゆっくりなスピードで、はあはあ言う手前、これならしばらく走れるというペースで、10分~20分走るだけでも、健康効果を高める効果としては十分に意味があります。

 疲れたら一旦歩き、呼吸を整え、また走っても良い。僕も公園に走りに行くと、市民ランナーの速い方が置く走っているので、ゆっくりと走ろうと思っていたはずが、ムキになって頑張ってしまうこともありますが、本来は人と競うわけじゃなく、自分のペースで気持ち良く運動をすればいいわけです。大会に出る人はタイムや距離の設定を決め、それらをクリアしていくことに楽しさがありますが、これから走ろうとする人は違うところに目標を持って良い。今日は何分走れた、何日続けられた、そういう小さな目標をクリアしていくと自分の体が変化していくことを実感できるはずです。

 どうしても、今の日本のランニング事情は『走っているなら、次は大会に出るよね』という方向に向かっているように感じます。それももちろん大切なことですが、なんでもやり過ぎは身体に大きな負荷がかかります。アスリートはその最たるもので、自分の身を削りながらパフォーマンスアップを目指しているわけです。もう一方で自分のペースで毎日20分くらいのんびり走っているけど、それは健康のためで、これが一番効果が高い。そういう価値観や情報が広まればいいなと思います」(伊藤)

 正しく「痩せる」「健康になる」というそれぞれの目的のため、家を飛び出す前に知るべきことがある。

(後編「『走り』は人をどう幸せにするのか 五輪最終日、“走らず嫌い”が多い日本人への提案」に続く)

■伊藤友広 / Tomohiro Itoh

 1982年生まれ、秋田県出身。国際陸上競技連盟公認指導者(キッズ・ユース対象)。高校時代に国体少年男子A400メートル優勝。アジアジュニア選手権日本代表で400メートル5位、1600メートルリレーはアンカーを務めて優勝。国体成年男子400メートル優勝。アテネ五輪では1600メートルリレーの第3走者として日本歴代最高の4位入賞に貢献。現在は秋本真吾氏らとスプリント指導のプロ組織「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。

■秋本真吾 / Shingo Akimoto

 1982年生まれ、福島県出身。双葉高(福島)を経て、国際武道大―同大大学院。400メートルハードルで五輪強化指定選手に選出。200メートルハードルアジア最高記録(当時)を樹立。引退後はスプリントコーチとして全国でかけっこ教室を展開し、延べ7万人を指導。また、延べ500人以上のトップアスリートも指導し、これまでに内川聖一(ヤクルト)、槙野智章、宇賀神友弥(ともに浦和)、神野大地(プロ陸上選手)、阪神タイガース、INAC神戸、サッカーカンボジア代表など。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)