1カ月後に迫った東京オリンピックの陸上代表が決まる最終戦。日本陸上競技選手権が6月24日から行なわれた。男子100mレースも大いに盛り上がったが、大会最終日にもう一つ会場を沸かせたレースがあった。日本新を出して東京五輪の代表を勝ち獲った泉…

 1カ月後に迫った東京オリンピックの陸上代表が決まる最終戦。日本陸上競技選手権が6月24日から行なわれた。男子100mレースも大いに盛り上がったが、大会最終日にもう一つ会場を沸かせたレースがあった。



日本新を出して東京五輪の代表を勝ち獲った泉谷駿介

 泉谷駿介(順天堂大)が13秒06の日本記録を出して優勝した、男子110mハードルだ。

 このタイムは日本陸上界にとって衝撃的な記録だった。今年4月の織田記念大会で、金井大旺(ミズノ)がリオ五輪2位相当となる13秒16の日本記録を出し、東京五輪に向けて期待が高まっていた。その記録をさらに更新する13秒06は、2019年世界選手権の優勝記録を0秒04上回り、昨年の世界ランキングなら1位相当のタイムとなる。過去の五輪と比べても、すべてメダル圏内という超ハイレベルな記録だ。

 5月の関東インカレでも、追い風5.2mと走りが難しくなる条件で13秒05の参考記録を出していただけに、追い風1.2mという公認の条件で今回記録を出せたことは意味がある。

 泉谷は少し驚きながら自分の走りを振り返った。

「競技人生の中で13秒1台を目標にしていたけれど、こうやって0台が出たので『ここまで来たんだな』という感じです。関東インカレの時は風に押されているというイメージがあってスタートから全力でいけなかったですが、今日はしっかり自分の力で走ったという感覚が大きかったです」

 男子110mハードルの世界記録は、2012年に出た12秒80だが、1981年に初の12秒台の12秒93が出て以来、現在まで12秒台を出した選手は21名のみ。高さ106.7cmのハードル間は9.14m。着地してから次に踏み切るまでの6mほどを3歩でいかに速く走り、スムーズにハードルを跳んでいくかが重要になる。この種目は、スピードと技術のバランスが、ほぼ限界近くまで来ていると言われるだけに、日本人でもここまで記録を伸ばすことができれば、世界で戦う余地は十分あるのだ。

 高校3年のインターハイでは8種競技で優勝し、三段跳びは3位。同年の高校ランキングでは8種競技と三段跳びで1位、110mハードルが3位と抜群の運動能力を持っている泉谷。進学は、「三段跳びなどの跳躍種目をやりたい」と順天堂大学を選んだ。

 2018年に入学後は、越川一紀コーチの指導を受けて、6月のアジアジュニア三段跳びで3位になると、7月のU20世界選手権110mジュニアハードルで銅メダルを獲得。さらに、10月のU20日本選手権では三段跳びと110mジュニアハードルで2冠を達成。ハードルでは13秒19のU20日本記録を出した。

 そして翌年、泉谷は一気に110mハードルで世界に近づいた。5月のセイコーグランプリで日本のトップ選手や外国勢もいる中、追い風参考記録ながら日本記録を大きく上回る13秒26で優勝。6月の日本選手権では高野峻野(ゼンリン)と同タイムの13秒36(日本タイ記録)で2位になり、9月末からの世界選手権代表に選ばれた。

 初の大舞台は肉離れで棄権と悔しい結果になったものの、順大の山崎一彦監督は、「これまでこんなに運動能力の高い選手は見たことがなかった」と話し、こう続ける。

「19年、20年とケガが多かったですが、跳躍とハードルの両方をやっていた負担が大きかったからだと思います。『どの種目でもいける』というくらいの能力を見せていましたが、それぞれの種目のレベルが上がってきたことでケガのリスクも大きくなり、肉離れをしていました。19年世界選手権は3週間前の日本インカレ(走り幅跳びの後のリレー)で痛め、20年も走り幅跳びの踏み切りで肉離れをしてしまいました」

 東京五輪に向けて泉谷は、昨年10月の日本選手権以降、出場試合をハードルに絞った。リオ五輪以降の陸上連盟がハードル強化で取り組んできたのは、「前半の4台目までのハードル間のラップタイムを上げ、前半で前に出られるようにすること」だった。

 隣のレーンの選手と腕などが接触する可能性も高い110mハードルでは、前半に前に出ることで優位に立てるからだ。しかし、泉谷はその課題をすでにクリアしているという。

「4~5台目までのトップスピードを上げることは必要ですが、日本選手の場合は後半が落ちてしまう。泉谷の場合も後半にハードルを引っかけて減速していました。世界の12秒台や13秒0台を出す選手は、後半も落ちないでフラットなラップタイムで走るんです。だからスタートから1台目までをそれまでの8歩から7歩にして楽に行かせ、そこでエネルギーを温存させて後半も速いピッチで行くという、次の段階を意識させました」

 こう話す山崎監督は泉谷の長所を、「跳躍種目で身についた、踏み切ってからの振り上げ足の速度が他の選手よりはるかに速いところ」だと言う。175cmと身長が低い分、ハードリングで空中にいるタイムが長くなったとしても、踏み切りから入る時の速度でそれを相殺している。さらにハードル間の走りも日本選手権の決勝では、無駄のないすり足で速いピッチを刻めるように修正していた。

 山崎監督は、泉谷の競技に対する意識も高く評価する。

「試合での力の発揮能力は高く、勝負勘もすごいと思いますが、普段から冷静でしっかり自分を分析できているタイプです。競技に対してもいろんな人の話を聞き、それを取捨選択して自分のものにしている。

 試合前も周りに流されることなく、自分で考えて要所を抑えながらやる図太さも持っています。日本選手権の決勝の前も自分の動きを映像で見直すのではなく、19年世界選手権で優勝したグラント・ホロウェイ(アメリカ)の映像を見て、『これすごいですね、こんなに細かく走るんだ』と話していたけど、決勝でその通りにやれていた。そういう修正能力はメチャクチャ高いと思います」

「追い風参考で出した記録や7.7cm低いジュニアハードルで出した記録は、公認のハイハードル(106.7cm)でも出せる」という持論を持っている山崎監督。陸連の強化育成部長時代に、現場の反対を押し切り、あることを変えた。

 その頃の日本陸連主催のジュニア大会では、ハイハードルを採用して強化を行なっていたが、体の大きな選手が有利な強化になっていた。そこで、運動能力が高く、なおかつ足の回転や、バネのある選手を発掘するのが重要だと考え、ジュニアハードルに戻したのだ。そんな強化の中から育ってきたのが、前日本記録保持者の金井であり、泉谷だった。

「本人はまだ好きな跳躍をやりたいと思うから、やりすぎないように抑えながらケガを抑制し、基礎的な能力をしっかり上げていけばいいと思います。ハードルは今回、僕らの想像を超えた0台を出したので、12秒台にも行けるのではないかと思います」

 2年前には現地に行きながらも走れなかった世界の大舞台。待ちわびたその舞台でしっかり結果を出すことが、泉谷にとっては次の大きな飛躍につながるはずだ。