「周囲のおかげ、いろいろな縁が重なったおかげで、今も自分は野球が続けられている」 22日開幕の第91回都市対抗野球大会に出場する、社会人野球の強豪・NTT西日本に所属する宅和健太郎は、しみじみとこう語り、「社会人野球を広く知ってもらいたい。…

「周囲のおかげ、いろいろな縁が重なったおかげで、今も自分は野球が続けられている」

 22日開幕の第91回都市対抗野球大会に出場する、社会人野球の強豪・NTT西日本に所属する宅和健太郎は、しみじみとこう語り、「社会人野球を広く知ってもらいたい。盛り上げていきたい」という熱い思いを口にする。身長は170センチ台半ばと決して大柄ではないが、鍛え上げた下半身を生かしたダイナミックなフォームから150キロに迫るストレートを投じる本格派左腕だ。
 



NTT西日本の好左腕・宅和健太郎

 大卒2年目でドラフト指名解禁となった昨年、そして今年も複数のプロ球団から獲得の可能性を示す調査書が届くなど、ドラフト候補にも挙がっていた宅和だが、その野球人生を紐解いていくと、大学、社会人と上の世界で野球を継続することの可能性を感じさせられる。

 松江商高(島根)時代、最後の夏の背番号は10。入学以来エースの座を争い続けた同期の好右腕・増本凌也とともに、夏前に発売される雑誌には「増本、宅和の実力派投手2枚」のように紹介されていた。

 しかし、夏前の練習試合で三盗を試みた際に足を骨折。指導にあたっていた監督の和田誉司(現・浜田高監督)は、悔しそうな横顔で当時を振り返る。

「宅和が高校3年だった夏は、チャンスだと思っていました。増本と宅和を交互に先発させて勝ち上がれば、十分甲子園を狙えると。はっきり決めていたのは、準決勝は増本、決勝は宅和で勝負すること。それぐらい期待していたんですけどねえ......(苦笑)」

 何とか投球練習はできる状態に持っていったが、本調子にはほど遠かった。最後の夏の主戦場は、グラウンドの片隅にあるブルペン。準備する姿を相手チームに見せることで、「宅和の登板もあるぞ」と思わせる役割をこなした。

 その夏、松江商高は右のエースである増本の踏ん張りで4強まで勝ち進んだが、連投の疲労もあり、準決勝の9回に力尽きてのサヨナラ負け。投げられない悔しさを噛みしめ、周囲も「宅和が投げられる状態だったら......」と感じる終わりを迎えた。

 ただ、この夏のブルペン投球が、その後の野球人生につながった。ブルペンで投じていた力強い腕の振りと威力のあるボールが、夏の大会の視察に訪れていた大阪商業大のスカウトの目に留まったのだ。

「もしまだ進路が決まっていないのなら、ぜひウチに」。こう声をかけられた宅和は、翌春に大阪商業大に入学。高校時代140キロ前半だった球速を148キロに伸ばし、2、3年生時代には「ドラフト候補」として名前が挙がるようになっていった。

だが高校時代と同じく、ここでも故障に泣かされる。大学4年時に左肩を痛め、プロ球団からの評価が下降したのだ。ドラフト指名は厳しいラインになったが、兼ねてからその能力を買っていたNTT西日本から声がかかった。宅和は言う。

「高校から大学に進む時、そして大学から社会人に進む時。大事なところでケガをしてしまって、野球人生が終わってもおかしくないのに、拾っていただいて、ここまで野球が続けられている。高校時代も大学時代も、才能に恵まれているのに、縁やめぐり合わせの関係で野球継続を断念する仲間をたくさん見てきました。そういったなかで、自分は本当に恵まれていると思います」

 高3夏のケガの回復具合が遅く、ブルペン投球ができなかったら、大学4年時の故障を社会人側が敬遠していたら......。"たられば"を言っても仕方がないが、少しのボタンの掛け違えで宅和の野球人生が途絶えていた可能性は十分ある。

 さまざまな縁で野球人生が拓けたことで、社会人野球の最高峰とも言える舞台で投げ、再びプロのスカウトもマークする存在となった。自身の経験が野球を継続することの希望を物語っている。

「毎年、年末に地元に帰った際は母校のグラウンドにお邪魔するんですが、『いい選手だな』と思って、学生たちに上で野球をやるか聞いてみると、ほとんど『やるつもりはありません』と言うんです。かつての自分もそうだったのですが、大学以降の野球に触れる機会がないから続けるイメージを持ちづらい。せっかく可能性があるのに、すごくもったいないことだと思うんです」

 昨年は社会人野球のシーズンの締めくくりとして開催される日本選手権に母校の現役部員たちを招待。現在の松江商高の監督が、宅和の2学年先輩で近しい間柄という背景も手伝い、実現した試みだった。すると、アマチュアトップクラスのプレーを間近で見たことで、「大学以降も野球を続けたい」と意志を示す選手が増えるなど、大きな手ごたえを得た。

 地元である島根の野球少年たちにより大きな希望を抱いてもらうためにも、社会人3年目の今年は"プロ入り"を大きな目標に据えた。

「自分は高校、大学で確固たる成績を残せていません。大商大、NTT西日本のチームメイトと話していても、高校最後の夏に投げていないのは自分しかいないくらい。その自分がプロ入りを果たせば、『自分もやればできるんじゃないか』と思う選手が出てくるかもしれない。大学以降の野球やプロを身近な目標と思ってもらうためにも、何とか今年指名を受けたいと思っていました」

 今年25歳。年齢を考えると、プロ入りに向けて残された時間は多くない。「今年がラストチャンス」という決意を持ってシーズンを迎えた宅和の前に立ちはだかったのが、新型コロナ禍だった。春先に予定していた公式戦が中止。アピールの場が奪われるだけでなく、一時はチーム全体での活動も自粛となるなど、描いていた青写真が次々と崩れていった。

 当然焦りはあったが、「もう一度、体、技術をベースアップするチャンス」と前向きに捉え、冬場に近い強度でのトレーニングに取り組んだ。
 
 切り替えて練習に励んでいる最中の5月20日に発表されたのが、夏の甲子園の中止だった。その一報を聞いた時、毎年末に顔を合わせている母校の後輩たちの存在が頭をよぎった。

「速報を知った時、咄嗟に『何かしなければ』と感じました。自分自身、思うように練習ができない状況や、予定されていた大会やオープン戦などの実戦の場がなくなっていく状況に動揺を隠せませんでした。ある程度年齢を重ねた自分でもこうだったのだから、高校生の年代では尚更心が整理できないんじゃないかと思ったんです。今の自分の立場で、彼らのために何かできないかと」

 高校球児を思い、思考を巡らせた。思いついたのが、自身と同じく島根県内の高校出身で、現在社会人野球でプレーしている選手たちで、メッセージ動画を作成することだった。

「今の自分の立場で高校球児たちにできることを考えた時、思いついたのが動画でエールを送ることでした。その考えが浮かんですぐに、島根の高校出身で、年齢が近いニチダイの山下真史さん(立正大淞南高出身)、トヨタ自動車の村川翔太さん(浜田高出身)に相談させていただきました。『いいと思う』というあと押しと協力もいただいて、動画の作成を決めたんです」

 動画は各選手がメッセージを述べたあと、キャッチボールでつなぐ形で進んでいく。「少しでも身近に感じて、親近感をもってもらえるように」と、1人目を最年少のJR東日本所属の佐々木亮(情報科学高出身)にするなど、随所に工夫を凝らした。

「それぞれの思いを伝えると同時に、少しでも社会人野球を近い存在だと感じてほしいとも思っていました。高校最後の夏に甲子園を目指して戦えなかった分、その悔しさを大学、社会人で野球を続けるきっかけにしてほしい。その思いも込めました」

 自身のSNSアカウントで動画を公開すると、島根県内はもとより、他県の高校球児やその保護者たちから「勇気づけられました」と感謝のメッセージが届いた。なかには野球以外のスポーツに打ち込む高校3年生からのメッセージもあったという。

「多くの方々に見ていただけて、本当にやってよかったと感じています。立ち上げから協力していただいた山下さん、村川さん、実際に登場していただいた選手の方々だけでなく、スケジュールの都合で動画には出られなかったものの、高校球児を思う選手がたくさんいました。自分なりに社会人野球を盛り上げられないかと、ずっと考えていて、ひとつ形にできたことは自信になりました」

"本業"でも力を発揮した。都市対抗出場を目指すチームにとっても、悲願のドラフト指名を目指す自分にとっても重要となる9月の都市対抗予選では、近畿地区2次予選4試合中3試合に登板。昨年の指名漏れからテーマに挙げていた「左打者のインコースを攻め切る」投球を貫き、近畿地区第1代表での本大会出場に貢献した。

 成長した姿を披露する機会に恵まれた1年だったとは言いがたい。それでも、最大限のアピールはできた。そう自負して、10月26日のドラフト会議を迎えたが、宅和の名前が読み上げられることはなかった。

「たとえ下位でも何としてでもプロに行きたいと思っていたんですが......。自分の指名漏れだけでなく、(上位候補との報道もあった)大江克哉ら、ほかのチームメイトも呼ばれなかったことが本当に悔しかったです」

 しかし、都市対抗本大会に臨む熱い思いは一切揺るがない。

「この1年、苦しい社会情勢のなかでも、会社や地域の方々は自分たち野球部に温かい声援を送り続けてくださいました。『ドラフト指名選手として、東京ドームに立つ』という最高の形にはできませんでしたが、その思いに応える大会にしたいと思っています。夏につくらせてもらった動画で、社会人野球や自分を知ってくれた人たちもいる。応援していただいている方々への恩返し、社会人野球全体を盛り上げる投球ができるよう、全力で頑張ります」

 幾多の縁に恵まれたことで紡がれた野球人生への感謝と、遅咲きの選手に希望を与える使命を胸に、社会人最高峰の舞台で左腕を振る。