慶應義塾大学野球部の主将として春と秋に2度優勝した大久保秀昭氏(51)。2006年にJX-ENEOS(現ENEOS)の監督となり、都市対抗3度の優勝を飾った。2014年のオフから昨秋まで慶大の監督を務め、母校を3度も頂点に導いた大久保氏は…

 慶應義塾大学野球部の主将として春と秋に2度優勝した大久保秀昭氏(51)。2006年にJX-ENEOS(現ENEOS)の監督となり、都市対抗3度の優勝を飾った。2014年のオフから昨秋まで慶大の監督を務め、母校を3度も頂点に導いた大久保氏は今春から再びENEOS野球部を率いる。多才な野球人は、「慶大での4年間が私の野球人としての人生を左右した」と述べ、六大学野球の存在意義は「日本を代表する大学のスポーツの分野を担うこと」と語る。

勝っても負けても早慶戦

-桐蔭学園高校(神奈川)から慶大野球部に進む選手は、随分前から大勢いらっしゃいます。大久保さんは推薦ですか?
 そうです。慶應が指定校推薦制度を導入し始めた時から、桐蔭学園にも推薦枠がきて、たまたま野球部が枠をいただいて1学年で2人入学したり、そういう経緯から慶大野球部にはかなり進学していました。
桐蔭学園で甲子園を目指す中、大学を意識したのは、慶應でも3つ先輩の志村亮さんという投手と私の兄が桐蔭学園でバッテリーを組んでいたんですよ。兄は1984年の夏の甲子園で本塁打も打ち、推薦で法政大学に入りましたが、故障で試合に出られなくなりましてね。その兄貴から「大学でやるなら絶対慶應だ」と強く勧められ、たまにテレビ中継も見たりしているうち、慶應へのあこがれを強く持ちました。
でも2つの推薦枠から野球部で一人、一般でもう一人といったイメージから、高校の監督からは「明治に行きなさい」と言われました。でも慶應への強い思いを伝え、たまたま学校の成績も指定校の基準を満たしていましたし、慶大野球部の私の恩師に当たる故・前田祐吉監督が「キャッチャーも欲しいんだよね」と話したのが始まりでした。

-記憶に刻まれている1戦を教えて下さい。
 一番はやっぱり、初めて優勝を味わえたキャプテンになった4年生の春ですね、決めたのが早稲田との試合でしたから。高校時代は甲子園にも出場できず、私が1年生で志村さんが4年生の時、連勝続きで法政大学に勝てば優勝という状況で勝てなくて、自分は優勝には縁がないのかな、なんて思ったこともありました。
4年生の春の優勝は苦しみ抜いた末だったので、本当にうれしかったですね。
もう一つは3年生の春、慶應と早稲田が勝ち点4で並んで勝った方が優勝という、久しぶりの早慶決戦になってすごい熱気でした。1勝1敗で迎えた第3戦は、平日の神宮球場が満員になるくらい盛り上がったのですが、仙台育英高校時代に甲子園で活躍した1年生の大越基君がリリーフで出てきて抑えられてしまい、私が最後の打者になって負けました。グローブを空に投げ上げて喜ばれたあのシーンは忘れられない、めちゃくちゃ悔しかった。4年生の春の優勝が一番うれしくて、3年生の春のこの試合が一番悔しかった。勝って喜びを味わった試合も、負けて残念がった試合も、どちらもすごく思い出に残っています。

写真:ベースボール・マガジン社

六大学は野球のルーツ

-大久保さんにとって慶大野球部での4年間とは、その後の人生にどんな影響をもたらしたのでしょうか? 
 あこがれていた大学に入学し、実際にやってみて私の野球観や見聞を広げてくれ、前田さんという恩師に出会うことができました。慶應のユニホームを着て、満員の春の早慶戦を独特の雰囲気でプレーできた経験が、社会人になってアトランタ五輪に出場した時や、プロ野球選手時代、指導者になってからなどで活きていると思っています。全てをひっくるめて大学時代というのは、野球人としての私の人生を左右するに値する4年間でした。

野球のルーツであり歴史でもありますし、学生野球ばかりか日本の野球において、慶應や早稲田、東京六大学野球というのは多大な影響を及ぼしたリーグであり、慶應はそういう学校だと思っています。そこに早稲田というライバルがいることで、よりクローズアップされていく。監督の時には早慶戦の舞台に立つ選手にふさわしいのか、あの雰囲気の中でやるに値するのはどういう選手なのか、といったことを学生に問い掛けていました。学生時代のすべてを懸けてトライしてつかみ取っていくのにふさわしい舞台が早慶戦だと。そのリーグに所属しているのは、それくらい価値があります。あとは仲間ですね、慶應の仲間もそうですが、他大学の同期とはいまだにつながりがあります。先輩、後輩も含めて同じ時間や空間を過ごした仲間を得られる場所でもあります。

-では、東京六大学野球とはどういった存在だったのですか?
 東京六大学野球は土・日曜日も神宮球場を優先的に使え、集客力も一番多いですよね。歴史的に見ても大勢の偉大な先輩を輩出しています。早慶も当然ですが、明治や法政にしてもライバル意識というか対抗戦というところで切磋琢磨しています。学生の頃から大勢の観客の前でプレーすることも、東京六大学野球の強みだと思います。
好プレーもミスも、いい面も悪い面もみんなに見られています。観客が少ない中でやっていると、ミスがクローズアップされませんが、東京六大学野球の場合はメディアが取りあげるので、一層自分とチームを高められる強みがあるのです。

社会人野球では、都市対抗の雰囲気の中で力を発揮しやすいのが東京六大学野球出身の選手で、この試合負けたら出場できないという勝負の1戦に力を発揮するのが東都大学野球の選手ですかね。東都は1点をすごく大切にし、1点にこだわる野球をするチームが多く、東京六大学野球は力勝負みたいなリーグだと思います。

世の中から応援してもらえる人材の育成

-東京六大学野球の存在意義というのは、今おっしゃったあたりにも感じられますね。
 六大学野球の存在意義は、日本を代表する大学のスポーツの分野を担うことだと思います。
歴史をひも解くと、野球ばかりか学生スポーツ全体を牽引していくリーグだと思います。プロへのあこがれはありますが、高校球児が大学を選ぶ時に東京六大学野球が一番魅力的でしょうね。品格や立ち居振る舞い、模範となること、慶應の選手のようなプレーがしたいとか、法政のような力強いプレーがしたい、といったあこがれの対象であり、英国のオックスフォードとケンブリッジではありませんが、ライバルの存在が両校、所属校を高めることは間違いありません。
グラウンドを離れても模範となる学生であってほしい。そうすることで神宮球場に「あいつの応援に行こう」となる。当時の私はそういう友達が結構いました。今は球場に学生が少ないですね、神宮に来てもらえる学生が以前に比べてとても少ないと感じる。コアなファンの年齢層が上がっており、学生席を一般開放するようになってから平均年齢がすごく上がっているように思う。ただ観客動員に関しては増えてはいないが、激減しているわけでもない。連盟がいろんなことをしながら維持しています。

-慶應で選手と監督を経験している大久保さんだからこそ、東京六大学野球がさらに発展するための提言があるのではないでしょうか?
 リーグ戦文化を保つことです。負けて終わりではなく、負けた先があって、撤退戦の苦しさ、厳しさ、意義を学ぶことが大切です。リーグ戦は学生や選手としての成長を4年間のスパンで見ることができます。目先の勝利だけを追う必要はありません。ただ、入れ替え戦がないからこそ、新しいことに取り組む余地があると思います。

人を集めるには見たいと思わせる付加価値が必要で、甲子園のスター選手や人気と実力を兼ね備えた高校生が一人でも多く入ってくれることが一つです。さらに運営するにはお金もかかります。本当に親の負担が多くて、授業料と用具費と寮費などで年間約250万、小遣い、日常生活費を加えると300万円です。ですからギフティングサービスはものすごくありがたい。
例えばバスを利用するとなると1日に14万円ほどかかるし、ボール代の出費も大きい。卒業生とか東京六大学野球出身ではない人が魅力を感じて支援してくれるのが、最も価値があると思います。野球が上手なだけでなく、世の中から応援してもらえるような人材を育成することが、指導者の使命だと思います。

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