埼玉の強豪、浦和学院高校から明治大学野球部に推薦入学した西野真也選手(23)は、4年生の春季リーグで勝ち点5を挙げる完全優勝に尽力した捕手だ。第68回全日本大学選手権大会の決勝では、森下暢仁投手(現・広島カープ)をリードし、佛教大学(京滋…

 埼玉の強豪、浦和学院高校から明治大学野球部に推薦入学した西野真也選手(23)は、4年生の春季リーグで勝ち点5を挙げる完全優勝に尽力した捕手だ。第68回全日本大学選手権大会の決勝では、森下暢仁投手(現・広島カープ)をリードし、佛教大学(京滋大学野球連盟)に快勝。38年ぶりの大学日本一に大きく貢献した。今春社会人野球の古豪・JR東日本に入社し、次は社会人日本一を目指す。「東京六大学はアマチュア選手のお手本にならないといけないと感じていた」という学生時代を振り返った。

チームが団結した4年春

-大学4年間で最も印象に残っている試合を教えて下さい。
 一番は4年生の春季リーグ開幕戦で対戦した立教大学との1回戦です。エースの森下暢仁が先発し、6回4失点でノックアウトされてチームは敗れました。驚いたのは、試合後のミーティングで、森下が「今日は不甲斐ないピッチングをして申し訳なかった」と全員の前で謝罪し「もう1回、明日もう1回勝って3回戦で投げさせてくれ」と申し出たのです。これまで主将としてチームを率いてきたエースのために全員が「絶対に明日勝って明後日は森下に投げさす」という気持ちになり、連勝して勝ち点1を獲得しました。
自分は1回戦には出ていませんが、3回戦で森下のボールを受けた時の印象は、「もう1回投げさせてくれ」との言葉通り、気持ちのこもったボールで、正直これなら勝てると思いながらリードしていました。どのチームも初戦を絶対に勝たないといけないと思っていますが、1回戦で負けてしまったので、次の試合を落とせば勝ち点が取れないという後のない状況で、一つになれたのは大きかったですね。
1回戦を落としたことで逆にチームが団結し、春のリーグ戦の完全優勝につながったと感じています。それ以降は負けなしで大学日本一にたどり着きました。あの時、森下の言葉がったからこそ、チームが一つにまとまった。試合を追うごとに成長できたきっかけの試合でした。

-それでは一番悔しかった試合をあげるとすればなんでしょう?
 悔しくて忘れられない試合はたくさんありますが、あの開幕戦の立教大学との1回戦ですかね。自分たちが4年生になって、必勝態勢で臨んだ初戦に負けてしまったというのは、チームが一つになれたきっかけでもあるけれど、やっぱり一番悔しい負け試合でした。勝たねばならない試合に負けたことと、キャプテンでエースの森下に頭を下げさせてしまった思いもありました。
どの大学も力があるので、全ての大学がライバルですが、3年生の時にサヨナラ負けや悔しい思いをしていたのが慶應大学。どの大学と戦う時も気持ちは高ぶるのですが、私は特に慶應大学を意識していたので、リーグ戦前には少し凝った対策を練って試合に臨みました。

六大学のレベルの高さに驚く

-野球を続けるに当たり、明治大学を選んだのはなぜですか?
 浦和学院高校が春の選抜大会で初優勝した時の遊撃手で、明大野球部でも2つ先輩の竹村春樹さん(現JR東海野球部)から、東京六大学の話をうかがった際に「大学で野球をやるなら、絶対に東京六大学だぞ」と六大学野球の魅力を教えてもらい、興味を持ちました。その中でも明大野球部でプレーしたいと思うようになったのは、高校2年生の時です。明治神宮大会高校の部の試合の後、大学の部の明治大学と創価大学の準決勝を少し観戦したのですが、明治はベンチの中でも一人一人が声を出していてすごい一体感があり、相手との雰囲気の違いを感じました。この試合を見てあらためて明治でやりたいと思いました。合格通知を受けた時は、すぐには実感が湧きませんでしたが、入学後、神宮球場のスタンドから実際に東京六大学の試合を見たとき、初めて実感が湧きました。

-スタンドではなく、明大野球部伝統の紫のユニホームを着てプレーした時の思いはどういったものでしたか?
 1年生の秋季リーグに途中出場でマスクをかぶらせてもらった時が神宮球場での最初の試合だったのですが、ファンの熱量に圧倒されました。神宮球場は高校時代も明治神宮大会で3試合経験しましたが、大学でいざ神宮の舞台に立った時は、当時とは比べものにならないくらいすごく緊張しました。お客さんやファンの声援、応援の雰囲気、レベルの高い選手がそろっていることなど、全てにおいて全然違う雰囲気でしたね。
いざプレーをしてみると、想像していた以上に楽しく、これが東京六大学かと肌で実感できました。野球を続けてきて本当に良かったと思える場所でした。

勉学も私生活もしっかりと

-東京六大学野球の存在意義、こうあってほしいと思うところはありますか?
 「野球だけやっていても絶対にうまくはならない、第一には学生であるのだから勉強しなさい。その傍らに野球がある」。これは善波達也監督(当時)の言葉で、野球だけでなく、勉強や私生活、寮生活までに気を配るよう言われ続けていました。
東京六大学は日本の学生野球を代表するリーグですので、神宮球場ではそれらしいプレーをしないといけません。また、試合を離れても、野球人としてスポーツマンとして、東京六大学を代表する姿でなければならないというのは、現役の頃から思っていました。それは東京六大学の歴史の中で、ずっと継承されてきたことだと思うので、これからもそうした姿であってほしいと願います。

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