1月下旬、18歳の河村勇輝が突如、Bリーグの三遠ネオフェニックスに特別指定選手として入団することが決まった。 河村は「高校バスケットボールの甲子園」ウィンターカップで、福岡第一を全国制覇に2年連続導いた身長172cmのナンバー1ガード…

 1月下旬、18歳の河村勇輝が突如、Bリーグの三遠ネオフェニックスに特別指定選手として入団することが決まった。

 河村は「高校バスケットボールの甲子園」ウィンターカップで、福岡第一を全国制覇に2年連続導いた身長172cmのナンバー1ガード。卒業後は東海大への進学も決まっている。それまでの異例ともいえる「期間限定」となるが、いずれにしてもこれほど早くプロのコートに立つ日が来るとは驚かされた。



三遠ネオフェニックスからBリーグデビューした河村勇輝

 Bリーグデビューは、1月25日からの強豪・千葉ジェッツふなばしとの2連戦。1戦目は8得点、2戦目は全体トップの21得点を挙げ、さらには3日後の新潟アルビレックスBB戦では先発に名を連ね、24得点をマークした。

 高校生がここまで、できるものなのか——。

 チームメイトや対戦相手、スタッフらが驚きに近いトーンで彼について、こう語る。そんななか一番、地に足がついているのは、河村本人だったように思えた。

「デビュー戦という、すごく自分としても大事な試合で、入りから緊張はあまりなくて、スッと入ることができました」

 実戦に近い5対5での練習もほとんどする機会がなかったという河村は、1戦目を終えた時、事もなげにそう話した。

 ジェッツ戦の前日に行なわれた入団会見。河村は「高校生らしさ”も”出していきたい」と述べた。

 高校生らしさ”を”、ではなく、”も”。当人にそんな意図はなかったかもしれないが、「高校生らしい溌剌としたプレーも見せるが、プロの世界でその一員としての力量を見せたい」という意気込みが、その”も”にあるいは表われていたか。

 千葉戦には、三遠が本拠を置く豊橋市にあるバスケットボールの強豪・桜丘高校の選手たちが観戦に訪れていた。勉強のために時折、観に来るという。

 興奮気味な大人たちとは対象的に、彼らは同じ高校生の河村の活躍に「さすが」と思いこそすれ、驚愕した様子はなかった。

 河村を「自分の尊敬する人」と話してくれたのは、同校1年生の西村蒼斗君だ。西村君は河村の突如のプロ入団に「最初は驚いた」とはしつつも、「河村君ならそうなるだろうな、とも思っていました」と続けた。

 相手がジェッツだったというのも、デビューに色を添えた。ジェッツとは昨年11月、福岡第一の一員として天皇杯2次ラウンドで対戦していた。河村が「憧れで目標としている選手のひとり」と言う富樫勇樹がジェッツの正ポイントガードだということも、興趣を添えた。

 三遠での初戦後に河村は、富樫が司令塔として「ゲームメイク等で自分よりも段違いで上手だった」と言った。それに対して富樫は、河村とのマッチアップを「とくに意識していたわけではない」と、いつもの淡々とした調子で振り返りつつも、「ゲームの後半はこの高校生選手がチームを動かしていたかのようだった」と印象的な言葉を口にした。

 新鮮だったのは、リーグ屈指の俊敏性を持つ富樫がドライブを仕掛けてきた河村の速さについていけず、思わずファウルしてしまった場面だ。167cmという身長は力と高さの勝負では無論不利だが、富樫がこれまでBリーグの選手を相手にスピードで負けることはほとんどなかった。しかし今、同じようにそのスピードで自身をドライブで抜こうとする選手が眼前に現れたのだ。

 実際、河村が富樫と似たプレースタイルだと思ったファンや関係者は多かったのではないか。千葉のギャビン・エドワーズや三遠のロバート・ドジャーにその点について聞くと、「ふたりともすばしっこくて、同じような技量を持っている」と同意した。

 川崎ブレイブサンダースの主力センター、ニック・ファジーカスは河村のプレーをまだ見ていなかったが、「ユーキ(富樫)のようなプレーをするんだろ?」と、誰かから聞かされていた。ただその”誰か”は、河村が富樫ほどは「シュートはうまくない」とファジーカスに伝えていた様子だった。

 ところが河村は、ジェッツとの2戦目に4本の試投のうち3本のスリーポイントシュートを決め、3日後の新潟アルビレックスBB戦では4本試投4成功と、得意のドライブだけではなく長距離ショットでも力を発揮したのだから、その”誰か”の認識はやや違っていたかもしれない。

 河村の技術について特筆されるのは、スピードやドライブの速さ、コート視野の広さから来るパスセンスなどが多い。三遠のスキルコーチを担う田中亮氏も、この高校生はすでに「プロで通用するスキルセットを持っている」と言う。

 そのなかでもとくに、田中氏が感嘆する部分がある。

 バスケットボールには「ピックアンドロール」というオフェンスプレーがある。ボールを持つ者が味方のスクリーン(壁)を使って自身につく相手ディフェンダーを引き離し、マークがいなくなったチャンスにゴールへ向かってアタックしたり、ジャンプショットで得点を狙う。

 この際、スクリーンとなった選手についていた相手ディフェンダーが追ってきた場合、そのスクリーンだった選手がオープンであればその選手にパスを出し、やはり得点を狙う。トップレベルの試合ではよく見られるプレーだ。

 田中氏は、このピックアンドロールをしかける時の河村の「時間の使い方がうまい」と言う。多くの選手がスクリーンを「ただ、何の考えもなく使う」(田中氏)なかで、河村は相手の動きなどを見つつ、タイミングを見極めてプレーに移ることができているというのだ。

「あとは今後、ピックアンドロールを使う場所であったり、タイミングを経験して覚えていけば、代表などに行っても困らないんじゃないかなと思います」

 このままプロでプレーし続ければ、日本のA代表のユニフォームを着ることも近い将来ありそうだが、河村は大学に行く。ただ、彼の今回の活躍を見て、多くの人たちがこう思ったはずだ。大学へ行かず、すぐにBリーグでプレーすればいいのに……と。

 女子の場合、高校卒業後にすぐトップリーグでプレーする例は多い。だが、男子では稀だ。オールスタークラスの選手では川村卓也(盛岡南高/現シーホース三河)や富樫(モントローズ・クリスチャン高)など、これまで限られた選手しかその道を辿っていない。

 アメリカの高校を卒業して2013年、bjリーグの秋田ノーザンハピネッツでプロとしてのキャリアをスタートさせた富樫は、自身と同じように大学を経ずにプロの世界へ入ってくる選手を待っていた。そこに河村という「久々にワクワクする」(富樫)選手が入ってきた。

 富樫は「自分も高卒でやっているので、もっと(そういった選手が)出てきてもいいのかなと。実力的にはプロでできるから、ぜひやってほしいと思いました。(大学へ)行く、行かないは彼の決断ですが、将来が楽しみです」と、ケレン味のない口調でそう話した。

 ファジーカスも、プロでできるならすぐに行くべきであるとの考えだ。ネバダ大リノ校で4年プレーした後の2007年、ファジーカスはドラフト(2巡指名でダラス・マーベリックスに入団)を経てNBA入りするが、「本来は1年前にプロ入りをしたかった」と今でも悔やんでいる。そんな経緯もあって、高校卒であろうと何であろうと、プロでプレーできるレベルにあるのならばそうすべきだ、と言う。

 そんなファジーカスに、大学に行けば教育も得られる(河村は将来、教職へ就くことを希望している)ではないか、と筆者は返した。

 すると、34歳のビッグマンは「教育はいつでも待っていてくれるさ」と返してきた。

「だけど、プロバスケットボール選手になりたくともなれない場合がある。たとえば河村が東海大で大きなケガをしてしまったら? 下手をすれば、プロになるチャンスが失われるかもしれない。そう思うのは自分だけかもしれないけど」

 前出の西村君と一緒にいた、もうひとりの桜丘バスケットボール部1年生の児島怜真君は、河村がすぐにプロで通用するだけの力量はあるが、やはり大学へ行くのがいいという考えだ。

「(河村は)通用するとは思うんですけど、大学で筋トレしてフィジカルをつけてからのほうが、高校からプロに行くよりも、もっとやりあえると思います」

 河村の人生は彼のものなのだから、我々外野がどうこう言うべきものではないかもしれない。だが、将来の日本代表の主力PG(ポイントガード)となるポテンシャルを持つこの選手を、プロのトップの環境で見続けたいというファン心理は自然なものだろう。

 現在26歳の富樫は、8歳下の河村が将来、ライバルとなると考えているかと問われると、「歳も離れているし危機感ではないが、彼が大学を卒業する時など、また争わないといけないのかな」と話した。

 日本代表は今後、世界と伍して戦うために、すべてのポジションでより身長の高い選手を採用していくことが予想される。富樫と河村というふたりの小兵PGが、そこにどう割って入っていくかも注目だ。

 大学に行くにしても何にしても、河村勇輝という選手が我々の脳裏に、鮮明に焼きついてしまったのは間違いない。

 また新たなスターが、日本のバスケットボール界に誕生した。