見返りを求めず、無心で誰かに尽くした経験はあるだろうか。 世界で戦う陸上選手を数多く輩出してきた順天堂大学陸上競技部。2019年の箱根駅伝ではシード権を獲得するなど、今もなお躍進を続けている。順天堂大学には、建学から180年間受け継がれて…

見返りを求めず、無心で誰かに尽くした経験はあるだろうか。

世界で戦う陸上選手を数多く輩出してきた順天堂大学陸上競技部。2019年の箱根駅伝ではシード権を獲得するなど、今もなお躍進を続けている。順天堂大学には、建学から180年間受け継がれてきた「仁」という信念がある。自分本位に行動するのではなく、常に他人の気持ちを慮り理解して敬う心のことだ。今回はスポーツと医科学を掛け合わせ、他者を思いやることを第一に陸上競技部を“支える人”に迫った。

「学生が主体となる組織である以上、部の運営なども自分たちでやる必要がある。そういうところも皆で協力すれば、自ずと良い雰囲気が作られていくと思う」

※大会に出場する岩﨑主将。専門は400mハードル(写真は順天堂大学陸上競技部より提供)

順天堂大学陸上競技部には、男女合わせて100人を超える部員が所属している。その大所帯をまとめ上げているのが、岩﨑主将だ。「陸上競技と一口に言っても様々な種目があるため、ブロックごとの雰囲気は大きく異なる。それぞれに良さがあると思うので、自分1人で抱えるのではなく、各ブロックの主任に任せている部分が大きい」。任せる部分は任せる。そして、誰が何をしているか把握する。岩﨑主将は今年、“改革”を行った。男女部門合わせて10人の主任たち、スタッフとスケジュールや練習状況を共有する定期的なミーティングを開くようになったのだ。さらにその意識は、選手だけでなくチームを支えるスタッフにも向いている。「彼らは研究室で作業するだけではなく、積極的に練習に足を運んで選手たちを見てくれる。自分もなるべく研究室に足を運んで話をして、スタッフの仕事のことをもっと知ろうと意識している」。

「部にどういう形でも良いから貢献できる場が欲しかった。チャンスを頂けたので、進んでやりたいと思った」

※研究室で作業する室橋選手。大会出場予定の選手の記録に相違がないか、一つ一つ確認していく

さくらキャンパス内には陸上競技部専用の研究室があり、部のスタッフたちが昼夜を問わず作業している。男子短距離・室橋選手は主務を兼任し、練習以外の時間で業務にあたる。部の役職を選手が担う例は決して多くない。1つ上の先輩たちから打診があった際に「試合や練習にも参加できるなら」と、監督とも相談した上で引き受けることを決めた。現在は練習や大会への参加もあるため、飯塚選手と小杉選手と3人で競技と業務を両立する体制をとっている。「部活動に所属しているので、成績以外にも部に何らかの貢献できる場が欲しいと思っていて、それができるのであれば率先してやりたかった」。印象に残っているのは“ひとり箱根駅伝”。1区から10区まで、前の区を走っている選手の荷物を次の区まで運び続けた。「一部員だった時よりも、色々な方と話や仕事ができていることが面白いと感じる。皆と一緒に業務に携われることが楽しい」。

「陸上競技部は一つの小さな社会。スタッフ皆のことも、一緒に作業できるあの空間もすごく好き」

※合宿で使用するホテルに予約確認の連絡を入れる中谷マネージャー。部全体の宿泊や移動手段の手配も行う

ミーティング調整をはじめ、女子部門の仕事を中心に受け持っている中谷マネージャー。高校までは自身も陸上競技の選手だったが、けがが多かったことをきっかけに「スポーツ医科学を学びたい」と考え、順天堂大学を進学先に選んだ。「部門が分かれていて、それをまとめる人間や支えるスタッフがいて、陸上競技部はまさに一つの小さな社会。大変なこともあるけれど、スタッフはお互いの大変さをわかっているので、業務は楽しくできている」。女子部門の“縁の下の力持ち”である中谷マネージャー。今年、忘れられない出来事があった。「今年の関東インカレで、女子部門が歴代最高順位タイである3位に入ったこと。色々なことを乗り越えた結果だったので、今までで一番嬉しかった瞬間だった」。

「山崎一彦監督のもとで競技を続けたいと考えて、順天堂大学陸上競技部を選んだ。今は競技だけではなく、社会に出てからも活きるスキルも身についていると感じる」

※領収書を整理する飯塚選手。競技と並行しながら部の収支を担当している

飯塚選手は400mHの選手でありながら、副主務として部の会計を担当している。毎月の収支を管理しており、3年生の3月には部員全員に対して年度末の収支報告を行った。莫大な寮のお金を扱うため、教育実習や練習と両立しながら、1年間細心の注意を払ってきた。「選手だけやっていた時よりも、大人の方とのやり取りやパソコンの使い方など、社会に出てからもきっと活きるスキルが身についていると思う」。

「競技は自分のためにやっている。部のために何かできることがあるなら、やってみたいと思って手を挙げた」

※研究室棟のフリースペースで作業する小杉選手。「部には色々な関わり方がある」と先生たちからアドバイスを受けたことで、役職に就く道を選んだ

小杉選手もまた、400mHの選手と副主務を兼任している。「一緒に活動している他のスタッフから学ぶことも多い。選手だけやっていたら、わからないまま卒業したこともたくさんあったと思う。人のためにやっている仕事だけれど、自分のためにもすごく良い経験になっていると感じるし、モチベーションに繋がっている」。順天堂大学に入学した理由は「スポーツと科学を勉強できる大学に行きたい」という思い。現在はゼミの一環として、選手の唾液を採取して遺伝子調査を行うなど、研究を通じて部にもその成果を還元している。

「選手の時よりも、マネージャーになった今の方が深くチームに関わることができていると感じる」

※選手のトレーニングに付き添う鈴木マネージャー。元は長距離の選手として入部したが、現在は役職に専念している

長距離ブロックには、2年生の終わりまでに選手から専属マネージャーを出さなければいけない決まりがある。鈴木マネージャーは、現在の駅伝主将である藤曲選手に直接依頼されたこともあり、選手をやめてスタッフとしてチームを支える道を選んだ。「長距離ブロックはA、B、Cの3つにチーム分けをされていて、自分がいたのはCチーム。憧れだった箱根駅伝に出場するには、AかBチームに入らないと難しい。何十人と仲間がいる中で、もっと駅伝に関わることを考えたらマネージャーが良いのではないかと考えた」。もともと教員志望だったこともあり、現在の職務は自分に合っていると感じている。「自分が選手の練習時間やメニューを考える。今の経験は将来やりたいことに近いと思うので、それが大きなモチベーションになっている」。

人は1人では決して生きられない。誰かを助け、支えるために生きている。朝早くから夜遅くまで、なぜ彼らは頑張れるのか。それは競技と部を愛する気持ちが常にあるからだ。「部のために何ができるか」を考え、時には自らの時間を犠牲にしてまでも貢献する。そうした学生たちの愛情と情熱、そして最先端のスポーツ医科学によって、順天堂大学陸上競技部は支えられてきた。スタッフの中には教員を目指している学生が多く、こうした経験は、卒業後も彼らが前進するための強い道標となるはずだ。人在りて我在り。常に高い目標に向かって努力をし続ける学生の姿に、「仁」の精神を見た。

順天堂大学陸上競技部(じゅんてんどうだいがく・りくじょうきょうぎぶ)
1952(昭和27)年創部。主な卒業生には、北京五輪男子4×100mリレー銅メダリスト・高平慎士選手や男子マラソン・今井正人選手、リオ五輪男子3000m障害代表・塩尻和也選手らがいる。中でも長距離ブロックチームは、1956(昭和31)年より箱根駅伝に出場していることで有名。