見返りを求めず、無心で誰かに尽くした経験はあるだろうか。 絶対に負けられない戦いがある。たとえリーグ優勝はできなくても、必ず倒さなければならない宿敵がいる。5/26(日)放送予定の「BULL’S SHOW」では、日本最古のダービーマッチ・…

見返りを求めず、無心で誰かに尽くした経験はあるだろうか。

絶対に負けられない戦いがある。たとえリーグ優勝はできなくても、必ず倒さなければならない宿敵がいる。5/26(日)放送予定の「BULL’S SHOW」では、日本最古のダービーマッチ・早慶戦を翌週に控える早稲田大学野球部と慶應義塾體育會野球部を“支える人”に迫った。

「選手たちには早慶戦を存分に楽しんでもらいたい。ただし、楽しむためには相応の覚悟が必要」

※今季から就任した小宮山悟新監督。誰よりも早稲田大学を愛する、理論派の熱血漢だ

この男がついに、早稲田大学野球部の采配を振るう時が来た。小宮山悟新監督(53)。就任5年目となる慶應義塾體育會野球部・大久保秀昭監督とは、現役時代にも対戦している。大学で主将を務め、プロ野球を経験し、指導の場として母校を選ぶなど共通点は多い。そして、大久保監督と同じように、早慶戦に対しては特別な思いがある。「野球部員たちには、早稲田大学のすべての学生の模範になってほしい。早稲田大学体育会のすべての選手にとって、野球部は特別な存在だという自覚を持って行動すべきだ」。

学生たちは皆、いつかは大学を巣立っていく。何年経っても“あの時の早慶戦”はどうだったか、必ず振り返る機会がある。見事な勝利を飾るか、それとも大敗するか。早慶戦は野球部同士の対決だけに留まらず、卒業生たちにとっても一生の記憶となるのだ。だからこそ「絶対に生半可な姿勢で臨んではいけない」と、常に部員たちに伝え続けている。熱血・小宮山イズムは、今後さらに彼らを鼓舞していくに違いない。

「早稲田大学から挑戦状を送って早慶戦が始まった。だから、絶対負けるわけにはいかない」

※稲穂打線を牽引する加藤雅樹主将。早稲田実業高時代には、清宮幸太郎選手(現・北海道日本ファムファイターズ)らと共に中軸を担った

早慶戦の印象について尋ねられると、加藤雅樹主将の表情が一瞬こわばった。慶應義塾大学の応援歌「若き血」が鳴り響く、明治神宮球場のレフトスタンドを思い出したのだ。早慶戦では早稲田大学が1塁側、慶應義塾大学が3塁側を使用することが定められている。下級生の時はレフトを守っていた加藤主将。守備につく際、超満員の大観衆が発する歌声に圧倒された。

高校時代に華々しい活躍をしてきたが、大学での優勝経験はない。慶應義塾大学の胴上げを目の当たりにし、屈辱を味わった経験も持つ。好敵手を破って優勝パレード(※)をしたいという思いは人一倍強い。「早慶戦は、早稲田大学が慶應義塾大学に挑戦状を送って始まった。自分たちが始めた以上、絶対に負けるわけにはいかない」。1903(明治36)年11月5日に挑戦状を書いた先輩たち、そして部が輩出してきた多くのスターたちに恥じぬよう、加藤主将は最後までバットを振り続ける。
※東京六大学野球の優勝校は、全日程終了後に聖徳記念絵画館前から大学本部まで、紅白ちょうちんを携えて公道をパレード行進できる

「早慶戦に勝つことは、早稲田大学野球部の大きな使命」

※西東京市内の寮でインタビューに応じる、早稲田大学野球部・牛島詳一朗マネージャー

牛島詳一朗マネージャー(3年)が早稲田大学を志したのは、中学生の時だ。野球部創部100周年記念の雑誌を読み、斎藤佑樹投手(現・北海道日本ハムファイターズ)らの勇姿に憧れた。大学入学後は迷わず野球部の門を叩いて夢を叶えたが、1年生の冬に転機が訪れる。「1年生は全員が選手で、進級する時に話し合ってマネージャーを決めるのがルール」。彼の代は立候補者が出なかったため、投票で選ぶことになった。その中で自分の名前が挙がったことに、当初は複雑な感情を抱いたという。背中を押してくれたのは大阪桐蔭高出身の同期・吉澤一翔選手の言葉。「俺たちは絶対に日本一になる。お前を日本一のマネージャーにしてみせるよ」。

プレーこそしないが、早慶戦は牛島マネージャーにとっても特別な舞台だ。「日本一になることが早稲田大学野球部の大きな使命。でも、それと同じくらい早慶戦に勝つことも重要」と考え、広報担当として今日もチームを支えている。

「リーグ優勝と早慶戦勝利、両方できないと達成感はない」

※2015年に就任した大久保秀昭監督。昨年は46年ぶりとなる秋春連覇を果たすなど、陸の王者が誇る名将だ

慶應義塾體育會野球部には苦すぎる記憶がある。2018年秋季リーグ早慶戦、勝ち点を取れば優勝という条件の中(※)、1勝1敗で迎えた第3戦で力尽きた。一度は手中に収めかけた勝利が、残酷にもこぼれ落ちていった。あの時の早慶戦はまだ終わっていない。大久保秀昭監督(49)は今年「早慶戦5連勝」を目標として掲げる。春季リーグ、オール早慶、秋季リーグと1試合も落とさないこと。リベンジを果たすには、それ以外に方法がない。大久保監督をはじめ、部員たちは全員そう信じている。
※東京六大学野球リーグは2勝で勝ち点1を得る。2018年秋季リーグは早慶戦における慶應義塾大学の敗戦により、先にシーズンを終えていた法政大学が勝率差で優勝を決めた

「野球部同士の対決じゃない。早慶戦は学校同士のぶつかり合い」

※「4番・捕手・主将」と、大久保監督の現役時代を彷彿とさせる郡司裕也主将。仙台育英高時代には、平沢大河選手(現・千葉ロッテマリーンズ)らと共に夏の甲子園準優勝を果たした

1年生から早慶戦に出場してきた郡司裕也主将。今まで何度も大舞台に立ってきたが、「野球部同士の対決ではなく、大学同士のぶつかり合い」である早慶戦は特別だ。優勝の喜びも敗戦の悔しさも味わい、最高学年のシーズンを迎えた。そんな彼が目標としているのは、1年生から指導を受けてきた大久保監督と、昨年の主将・河合大樹氏。大久保監督の野球勘を吸収し、河合前主将のように背中でチームを引っ張るキャプテンを目指す。

守備では扇の要として、打撃では主軸として、監督から絶大な信頼を寄せられる。重圧はあるが、ルーキーイヤーから出場し、現在は4番という共通点を持つ加藤主将とは対照的に、彼は早慶戦を楽しむ余裕を持つ。郡司主将の一挙手一投足に約3万人の大観衆、そして大学全体が注目している。

「お互いのマネージャーも早慶戦を意識している。絶対に負けたくない」

※横浜市内の寮で笑顔を見せる、慶應義塾體會野球部マネージャー・青山ユキ(写真左)と原田百菜

早稲田大学とは異なり、慶應義塾體育會野球部には女性マネージャーがいる。今回登場していただいたのは、青山ユキマネージャー(4年)と原田百菜マネージャー(4年)だ。彼女たちの仕事は部費の管理や東京六大学野球リーグの試合運営、試合当日の応援席整理など多岐にわたる。場内アナウンスも彼女たちの担当。実は、早慶戦では女性マネージャーがいない早稲田大学に代わり、2試合とも慶應義塾體育會野球部マネージャーが務める。東京六大学野球リーグには様々なカードがあるが、この光景が見られるのは早慶戦だけだ。「早慶戦はマネージャー同士もやはり意識する。絶対に負けたくない」。試合当日は、明治神宮球場に響く彼女たちの美声にも注目したい。

早慶戦が始まったのは、今から100年以上も前のことだ。もしあの時、早稲田大学が慶應義塾大学に試合を申し込まなかったら。もしあの時、慶應義塾大学が早稲田大学の申し出を断っていたら。おそらく日本の大学スポーツのみならず、野球もまったく異なる歴史を歩んでいたことだろう。野球がまだ普及していなかった時代、懸命に白球を追った学生たちがいる。試合が中止されるほど、応援に熱狂した学生たちがいる。野球が禁止された中で出征前に早慶戦を行い、遠い戦地で散った学生たちがいる。明治、大正、昭和、平成と歴史を積み重ね、いよいよ来週に迫った令和最初の早慶戦。神宮球場に響き渡るのは「紺碧の空」だろうか。それとも「若き血」だろうか。永遠の宿敵にして盟友である早稲田大学と慶應義塾大学、その戦いは新しい時代へと紡がれていく。

早稲田大学野球部(わせだだいがく・やきゅうぶ)
1901(明治34)年、早稲田大学の前身・東京専門学校において創部。その4年後には、日本野球チームとして初めて米国遠征を行った。1925(大正14)年に東京六大学野球リーグに参加し、「一球入魂」の精神を胸にリーグ最多の45回もの優勝回数を誇る。主な卒業生に和田毅投手(現・福岡ソフトバンクホークス)、青木宣親選手(現・東京ヤクルトスワローズ)、鳥谷敬選手(現・阪神タイガース)、有原航平投手(現・北海道日本ハムファイターズ)、重信慎之介選手(現・読売ジャイアンツ)、茂木栄五郎選手(現・東北楽天イーグルス)など。

慶應義塾體育會野球部(けいおうぎじゅく・たいいくかいやきゅうぶ)
1888(明治21)年に創部。日本で最も古い野球部の一つとして、日本野球界を牽引してきた。「練習ハ不可能ヲ可能ニス」という小泉信三元塾長の言葉通り、今も泥臭く諦めない姿勢を示し続けている。優勝回数は36回。主な卒業生に高橋由伸氏(元読売ジャイアンツ監督)、伊藤隼太選手(現・阪神タイガース)、福谷浩司投手(現・中日ドラゴンズ)、白村明弘選手(現・北海道日本ハムファイターズ)、山本泰寛選手(現・読売ジャイアンツ)、横尾俊建選手(現・北海道日本ハムファイターズ)など。