2月の東京マラソンで16年ぶりの日本記録(2時間6分11秒)を打ち立てた設楽悠太選手(Honda)のモノマネで人気上昇中の芸人・萩原拓也さん(ポップライン)。実は駅伝強豪校の神奈川大学駅伝部出身という経歴を持ち、10000mの自己ベストは芸能人屈指の29分48秒を誇ります。

 そんな萩原さんは辞めていたマラソンを2017年1月から再開。本格的に走り始め、2018年4月15日の『かすみがうらマラソン』で念願の3時間切り(2時間59分21秒)を達成しました。萩原さん、辞めたのになぜマラソンの世界に戻ってきたんですか?

 前編では、バリバリの陸上ランナーから芸人へ転身した理由、再び走りはじめた経緯についてお話しいただきました。

高校時代は秋田県代表選手

--萩原さんは現在、マラソンの設楽悠太選手のモノマネで市民ランナーや陸上界を中心にブレイク中です。

本当に設楽選手のおかげですね。もともと設楽選手が(東洋大時代)箱根駅伝に出場している時から、陸上仲間からは似ているとは言われていたんです。でも、ここまで反響があるとは思いませんでした。

東京マラソン
2時間6分11秒で16年ぶりに日本記録更新できました。
30k以降苦しい場面もありましたが、沿道の声援が1番力になりました!
たくさんのお祝いメッセージありがとうございました! pic.twitter.com/bwUb2PpauU

— 設楽 悠太 (@Honda_1218) 2018年2月25日

 

--萩原さん自身も学生時代は陸上競技に打ち込んでいたそうですが、陸上を始めたのはいつ頃なのでしょうか?

中学からですね。そこの学校(合川中)は当時、秋田県中学駅伝を連覇していた強いチームだったんです。僕は小学校時代までサッカーをやっていたのですが、いきなり試合に出してもらえて、そこで県3位(学年別)になることができました。

その後は秋田経済法科大附属高校(現・明桜高校)へ進学し、そこでは都道府県対抗駅伝や青東駅伝(東日本縦断駅伝/2002年に消滅)の秋田県代表として走っています。

--高校時代のベストはどれくらいだったのでしょうか?

5000mのベストは高2の春に出した15分10秒ですね。

次ページ:「プラウドブルー」に憧れて神奈川大へ

 

「プラウドブルー」に憧れて神奈川大へ

--その後は大学でも陸上の道を進むことになりますが、神奈川大学を選んだきっかけはあったのでしょうか?

高校の陸上部の1個上の先輩が神奈川大学を希望していて、その時に初めて大後栄治監督の存在や、箱根駅伝で2連覇の実績(1996~97年)があることを知ったんです。特に「プラウドブルー」という独特のユニフォームカラーに憧れたんですよね。

当時の神奈川大の入部条件が、5000m「15分10秒」と「地区大会(東北大会)進出」。どちらもクリアしていたんですけど、高校の監督に「これだけじゃアピールが足りないから、直接(大後監督に)挨拶してこい」と言われ、青森で合宿していた神奈川大に突撃して「練習に参加させてください!」と大後監督に直談判したんです。

#全日本大学駅伝 今年のポスター第1弾が完成しました!今年の本大会は11月4日(テレビ朝日系列で放送予定)。各地区の選考会は6月10日の東海、関西、九州を皮切りに、9月24日まで順次開催です! pic.twitter.com/4fGdIPWJuy

— 全日本大学駅伝大会事務局 (@daigaku_ekiden) 2018年5月24日

 

--実際に憧れの神奈川大へ入学した時の心境はいかがでしたか?

当時の神奈川大は強かったですから、入学後は練習についていくのが大変でした。でも1年目はわりと走れていて、夏合宿(選抜)にも連れていってもらったほどです。2002年の箱根駅伝で往路優勝(※)した時のメンバーである同期の島田健一郎(現ユニクロ女子陸上競技部コーチ)と同じ練習をこなせていましたから。

(※往路優勝:初日をトップで終えること。箱根・芦ノ湖がゴール)

--高校時代の自己ベストが5000m15分台ということを考えると、すごい急成長ですね!

「俺、箱根走れるかも??」と自信がついたのですが、9月後半の記録会直前で右ひざを故障してしまい、結局大学3年生の終わりまでほとんど走ることはできませんでした。右ひざの故障が癒えた後はふくらはぎに力が入らなくなって、それが2年間続いたんです。

最近ランナーの間で「ぬけぬけ病」(※主に片脚に力が入らなくなる症状を指す)というのが話題となっていますが、まさに同じ症状でしたね。8000mのペース走をやっていても5000mで力が入らなくなる。どこも痛くないのに走れないという、もどかしい気持ちでした。このせいで、2年生の後半から3年生の前半まではめちゃくちゃ自暴自棄になりました。21時の門限を破るなど、とにかく腐っていましたね(笑)。

▲胸の文字は設楽悠太選手の所属先をもじった「NONDA」

--それでも、最終的には大学4年時に自己ベスト(5000m14分38秒、10000m29分48秒)を出されています。どんな風に立ち直ったのでしょうか?

3年生の終わりくらいに、1度、大後監督に「辞めます」と言いに行ったんですよね。その時は「やっていれば何かが見えてくるから」と止められただけだったのですが、ちょうどその頃、学年ミーティングに珍しく大後さんが現れて、「お前らの代で箱根を優勝したいから、そのつもりで頼む!」と皆の前で頭を下げられたんですよね。さすがに、「これはがんばらないとダメだな」と思いましたね。

--監督に頭を下げられては、がんばるしかないですよね。

4年生になると、「ぬけぬけ病」ともうまく付き合えるようになり、夏の選抜合宿にも連れていってもらいました。同期の下里和義(現・プレス工業ヘッドコーチ)を中心に「箱根で優勝できるんじゃないかな」と思うほど、チームはいい雰囲気だったんです。結果的には8位で終わりましたが、アンカーに渡るまでは3位争いをするほど、上位で戦うことができたんです。だから仲間内では「幻の3位だったな」って話しています(笑)。

--「ぬけぬけ病」はどんな風に改善されたのでしょうか。

例えばペース走で5000mを過ぎたら、ちょっとリズムを変えて走ってみるとか。そういうちょっとした工夫を施すことで、少しずつ練習を積めるようになりました。

次ページ:12年のブランクを経て、再びランニングの世界へ

 

12年のブランクを経て、再びランニングの世界へ

--大学卒業後は“一旦”競技を引退することになりましたが、その後はすぐ芸人になったんでしょうか?

いえ、もともとは中学生の時から役者になりたくて、卒業後にすぐ役者の養成所に2年間通いました。でも、「役者じゃ売れないな」と思ったのと、当時M-1グランプリが盛り上がっていたのもあり、「お笑いだったら売れるだろうな」という甘い考えで始めたんです。

最初は高校時代の陸上部の同期を誘って「Coming すーん」というコンビを組み、2人揃って「ワタナベコメディスクール」の5期生として入りました。1個上にイモトアヤコさん、サンシャイン池崎さん。僕の同期には有名なのがいないんですけど(笑)、6期にはクマムシ、あばれる君がいます。卒業が2007年の10月なので、そこが芸人としてのデビューということになります。

--現在の「ポップライン」はどのようにして結成されたのでしょうか?

その後はコンビを解散しまして、当時同じバイト先だった2人(それぞれ違うバイト)とトリオを結成しました(2012年)。これが「ポップライン」です。でも2016年10月にネタ作り担当が結婚を機に脱退しまして、現在のコンビというかたちになりました。

▲もともとは役者志望だった萩原さん

--トリオ時代はキングオブコント準々決勝などの実績がありましたが、コンビとしてはどのようにやっていこうと考えたのでしょうか?

ネタ担当が抜けてポンコツ2人が残り(笑)、どうするかとなった時に、「そういえば俺、昔走っていたな」と。古い記憶を呼び起こし、マラソン芸人として“芸人最速”を目指すことを決心したんです。

とはいえ、現役引退してからマラソンを開始した時点(2017年1月)で12年も経っていますし、その時はタバコもけっこう吸っていたんです。だから現役時代は余裕だった60分ジョグもできなくて、「こんな走れないものか……」と相当ショックを受けましたね。

--そこから、徐々に「サブスリー」に向けて仕上げていくわけですね。

最初はきつかったんですけど、1ヶ月くらいでキロ5分ペースの60分ジョグは難なくこなせるようになりました。どこまで身体が元に戻るのか不安な気持ちがあったのですが、一方で走るごとに速くなる感覚も得られ、「これ、めちゃくちゃ速くなるんじゃね?」と、だんだん走るのが楽しくなったんです。

⇒後編へ続く!

[プロフィール]
萩原拓也(はぎわら・たくや)
1981年生まれ、千葉県出身。お笑い芸人。オスカープロモーション所属。神奈川大学では駅伝部に4年間所属。箱根駅伝出場は叶わなかったが、10000mは29分48秒、ハーフマラソンは66分28秒という自己ベストを持つ。卒業後は2年間の役者生活を経てお笑い芸人へ転身。2012年にお笑いトリオ「ポップライン」を結成し、2016年からはコンビとして活動。翌年からマラソン芸人としてランニングを再開するとともに、現在は男子マラソン日本記録保持者・設楽悠太選手のモノマネで人気を博している。
【公式Twitter】https://twitter.com/poplinehagi

<Text:松永貴允(H14)/Photo:河合信幸>