『僕の野球人生』第12回上田 将成 学生コーチ (4年・南山高校) 4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。第12回となる今回は上田学生コーチです!-------…

『僕の野球人生』第12回

上田 将成 学生コーチ (4年・南山高校)

 

4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

第12回となる今回は上田学生コーチです!

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「お前が一番最初に辞めると思ってたけどなぁ」

高校最後の夏に顧問の先生に言われた言葉です。それでも気付けば辞めずに、いや辞められずにでしょうか、こんなに長く野球を続けていました。

実家の近くにあったナゴヤドームに通いつめ、中日ドラゴンズのスター選手に憧れて、小3の時に野球を始めました。 当時、大ファンだった福留孝介選手のように三拍子揃った選手になりたくて、日々一生懸命ボールを追いかけていました。小学校の野球部では6年生でキャプテンを任され、区大会で準優勝ととにかく野球が楽しかったです。クラブチームの富士シャークでは後に強い高校で野球をする選手も多くレギュラーにはなれませんでしたが、イチロー杯の決勝トーナメントがかかった試合で最終回に代打でヒットを打ったことなどいい思い出がたくさんあります。

中学では主力になると勇んで入部し、外野のレギュラーを任されたこともありましたが、中3の最後の大会でレギュラー落ち。悔しくて野球を辞められるはずもなく、高校でも続けることを決意しました。

しかしこの決断は自分が想像したほど甘くはありませんでした。中高一貫で中3の夏休みから参加した高校の練習、何をやっても先輩や同期に遠く及ばず、一人自転車で帰宅する最中に悔やし涙が流れてきたのも一度や二度ではありませんでした。何とか周りを見返したい、その一心で毎日必死に練習しました。それでもやっぱり下手は下手、16人しかいなかったのでベンチに入れた一年の夏はベスト32までいけましたが、毎試合バット引き、10人しかいなかったのでレギュラーを任された秋の大会では二次トーナメントでライトの自分がトンネルして負け、まったく役には立てませんでした。

2年に上がる時、顧問の先生の薦めでピッチャーに転向しました。今度こそチームの力になりたい、なんとか成長して自分でもやれるところをみせたい、がむしゃらに練習しました。球は最後まで速くなりませんでしたが、ある程度は投げられるようになり、最高学年になってからはエースナンバーを任せてもらえました。しかし最後の夏、エースの自分が炎上してコールド負け。悔しさと情けなさしか残らず納得して引退できませんでした。ここでもやっぱり野球を辞められませんでした。

どうせやるなら今まで経験したことがない高いレベルで野球がしてみたい、東大なら自分でも、南山OBがまだ誰も立ったことがない六大学野球のマウンドに上がるチャンスがあるかも、そう思い入部した東大野球部。淡い期待は宮台(投手/4年)、柴田(投手/4年)という才能溢れる同期を見てすぐさま崩れました。それでも諦めず練習し、1年の冬頃は毎日野球が上手くなっている気がして充実感がありましたが、2年の春に突然、その感覚が途切れてしまいました。できたはずのこともできなくなり、ジリジリと実力が後退していきました。その後、新人戦で投げさせてもらったこともありましたが、リーグ戦レベルには遠く及ばず、1年以上そんな状態が続き、あんなにあきらめが悪かったはずなのに完全に気持ちは切れていました。辞めようかとも思いましたが、ここで辞めたらこの2年間の大学生活が全て無駄なものになる、その思いに捕らわれ部を辞めるのではなく、裏方に転じることにしました。

「お前の役割何なの?」選手にそう問われ即答できなかった自分に情けなさを感じたのも一度や二度ではありませんでした。自分は竜央(加藤学生コーチ/4年)のように頭もきれないし、田宮(学生コーチ/4年)や宮崎(内野手/4年)のように鋭い指摘もできません。自分はとにかくやれることを愚直にやるしかないと思い、リーグ戦の映像を飽きるまで見続け、毎日バッティングピッチャーとして投げ、ノックバットを振りました。もっと野球に精通し、役にたてる存在になれたはずだ、あの時もっとこうすればよかった、柄じゃないけど時にはもっと厳しく選手に発破をかけなきゃいけなかったなど数えきれない後悔は今も頭にありますが、幸いまだ時間はあります。少しでも存在感を発揮できるようあと少し頑張ってみようと思います。

学生コーチに転向してからの1年はそれ以前よりもはるかに長かった気がします。コーチという重すぎる肩書きに見合った働きができず、悩みが尽きることは一日としてありませんでしたが、一緒に練習した後輩が神宮で成長した姿を見せてくれたり、自分の言葉にそれ以上のプレーで選手が応えてくれた時には自分のことのように嬉しかったです。慶應戦で、一番長く共に練習した田口(内野手/4年)が最後の打球を捌き、一緒に整列した時、法政戦で勝ち点を奪い、ロッカーで自分の練習時間を削って一緒に作業してくれた分析班の後輩たちと大喜びした時、どちらも今まで感じたことがない感情が込み上げてきて、辞めなくてよかった、一生懸命やってきてよかった、そう思えました。

筒井小の伊藤先生、長谷川先生、富士シャークの益井監督はじめコーチの方々、南山の津村先生、上田先生、加藤先生、堤先生これまで様々な方に指導して頂きました。ありがとうございました。特に津村先生、先生のおかげで苦しくても負けずにここまでやってこれました。

父さん、母さん、弟の貴大。こんなに長い間野球を続けさせてくれてありがとう。

残り1カードとなりましたが、1997年以来の5位、1981年以来の4位を奪還するチャンスが残されています。このチャンスをものにすべく、自分にできる全てを出し尽くし、胸をはって野球を辞めたいと思います。

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次回は加藤学生コーチを予定しております。

お楽しみに!