サッカーの名手はプレー中でも、鳥が空から見るようにフィールド全体を俯瞰できるという。蹴球放浪家・後藤健生は、世界各国でのサッカー観戦を通じて「鳥の眼」の重要性を知った!■「虫の眼」で街を観察する交通機関「蹴球放浪記」でもご紹介しているよう…

 サッカーの名手はプレー中でも、鳥が空から見るようにフィールド全体を俯瞰できるという。蹴球放浪家・後藤健生は、世界各国でのサッカー観戦を通じて「鳥の眼」の重要性を知った!

■「虫の眼」で街を観察する交通機関

「蹴球放浪記」でもご紹介しているように、僕は公共交通機関を使って旅をするのが大好きです。

 特に、路線バス……。

 街の中を走り回るので、さまざまな場所で人々の生活を垣間見ることができます。繁華街のカフェなどで優雅にくつろぐ人々を眺めていたかと思うと、バスは下町に差し掛かり、路地のような細い通りで雑貨屋とか八百屋の店先を覗くこともできます。

 また、バスの停留所に名前がついている場合には、小さな地名を知ることができます。沖縄に行ったときに那覇から糸満方面に向かうバスに乗っていたら、「東風平(こちんだ)」というバス停がありました。

「へえっ、難しい地名だなぁ」と驚きました。「東風(こち)吹かば~」という菅原道真公の歌があります。なるほど、「東風」は「こち」と読めるわけです。

「東風」が「こち」なら、「南風」は「はえ」。沖縄には、ちゃんと「南風原(はえばる)」という所もあります。

 中国でバスに乗っていると、やはり「次の停車は……」と中国語でアナウンスがあり、文字(簡体字ですが)が表示されますから、それを楽しむこともできます。しかも、バスはゆっくり走るので、ゆっくりと楽しむことができます。バスは、いわば“虫の眼”で街を観察するための交通機関です。

■「鳥の眼」で巨大地形を観察するには

 こうした、「小さな地名」、「小さな地形」を楽しむのがバスの旅なら、逆に“鳥の眼”を持って巨大地形を観察できるのが、飛行機という乗り物です。

 日本にも世界有数の巨大地形が存在します。

 新潟県から関東地方にかけて南北に走り、本州を東西に二分しているのが「フォッサマグナ」(大地溝帯)ですが、これは飛行機の上から見てもよくわかりません。明治の初めに来日したドイツ人のハインリッヒ・エドムント・ナウマン博士は、八ヶ岳方面から南アルプスの崖を見て、すぐに地溝帯があることに気づいたというのですから、さすがに専門家です。

 一方、関東地方から九州まで日本列島を東西一直線に貫く「中央構造線」は、素人でもすぐにわかります。とくに紀伊半島の紀の川から四国の吉野川にかけて、東西に直線的な谷が連なっているのは地図を見ただけで、誰でも気がつきますし、飛行機の上から見ても一目瞭然です。

「中央構造線」は、吉野川からさらに西に向かって伸び、愛媛県の佐田岬半島も中央構造線に沿った直線的な地形になっています。ここに巨大断層が存在することは一目で分かります。

 九州方面から東京に向かう飛行機が、熊本県と大分県の県境辺りを通って東に向かい、豊後水道の上空に差し掛かると、左手に佐田岬半島が見えてきます。地図のとおり、直線的な半島が数十キロにもわたって伸びているのはまさに奇観です。世界中の空を飛んでいても、なかなかこれだけの景色にはお目にかかれません。

チャンピオンズリーグ「決勝」の後に

 かつて、トルコ航空を利用したことが何度かあります。2005年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝はイスタンブールで行われ、ACミランが前半のうちに3対0とリードしたものの、後半に入ってリヴァプールが大反撃を開始して、たちまちのうちに同点に追いつき、PK戦の末にビッグイヤーを掲げた試合でもありました。

 このときは、その1週間後にバーレーン対日本の試合があったので、ずっとイスタンブールに滞在して観光して回りました。ガラタサライの試合があったので、トルコ独特の熱狂的なスタジアムを楽しみに見に行ったのですが、優勝が決まった後の消化試合だったので、スタジアムはとても長閑(のどか)な雰囲気でした。

■上空から目撃した「自然破壊」の現場

 日本からヨーロッパに行く直行便は、シベリアの北極圏に近い辺りを飛行します(ロシアのウクライナ侵略開始以後、シベリア路線が飛べなくなったので、ヨーロッパまでの所要時間が長くなってしまいました)。

 一方、日本からトルコに向かう飛行機はもう少し南の中央アジアを飛行します。そして、カスピ海とアラル海の上空を飛びます。

 カスピ海は日本とほぼ同じ37万平方キロの面積を誇る世界最大の湖……というより、外洋とつながっていないだけで、それはまさに「海」と呼ぶべきものです(海岸に立つと、当然、対岸など見えません。舐めてみると、塩分が薄いのは分かりますが、見た目はまったくの海です)。

 一方、アラル海は今では大部分が干上がってしまっています。

 かつては6万6000平方キロほどの面積があったのですが、20世紀の中頃、ソ連政府がアムダリア河の水を綿花栽培のために使ったため、流入する水量が激減。アラル海は次第に縮小し、今ではほとんど砂漠化。小さな湖がいくつか残っているだけになってしまいました。

 僕が、2005年にアラル海上空を飛んだとき、すでに湖は大半が干上がっている状態でした。人間の活動による自然破壊の現場をまざまざと見せつけられたのです。

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