日本では男子長距離種目の中でも、注目度が低かった男子3000m障害に、活躍が楽しみな選手が出てきた。 三浦龍司(順天堂大2年)は、今年5月の東京五輪テストイベントで日本記録を18年ぶりに1秒47更新する8分17秒46をマーク。さらに6月2…
日本では男子長距離種目の中でも、注目度が低かった男子3000m障害に、活躍が楽しみな選手が出てきた。
三浦龍司(順天堂大2年)は、今年5月の東京五輪テストイベントで日本記録を18年ぶりに1秒47更新する8分17秒46をマーク。さらに6月26日の日本選手権ではラスト600mの水濠を越えてから転倒したものの、圧巻のスパートで2選手を抜き去り、8分15秒99で優勝し、東京五輪代表を決めた。
日本記録を更新しながら快進撃を続ける三浦龍司
五輪のエントリーランキングは20位だが、伸びしろが十分なだけに五輪本番での決勝進出だけではなく、入賞の可能性も感じさせている。
彼がこの種目を選んだのは、小中学生時代に所属していた陸上クラブの指導者に勧められたからだった。
「中学時代はそこまで力がなかったので、高校へ行ってもレベルの高い5000mをやると埋もれてしまう。3000m障害ならまだレベルは低いし、特色を生かしながら走れるというのが陸上クラブの先生の意見でした。小学生時代の80mハードルの経験も、僕に3000m障害をやらせたいという思いがあったからだったようで(笑)。先生がいい道を選んでくれたと思います」
京都の洛南高校に入って3000m障害を本格的に始めると、高校1年でインターハイ出場とはならなかったが、9月には高校1年歴代2位の9分10秒78をマーク。2年のインターハイは予選で失格になったものの、別の大会で高校ランキング日本人1位の8分46秒56を出し、3年では6月に高校新記録を連発して、日本選手権でも5位入賞を果たした。
「競技を始めるまで3000m障害を知らなかったし、マイナーな種目だと自分でも思っていました。でもやり始めると面白かったし、自分にすごく合っているなと思った。距離が短いので駅伝シーズンへの切り替えは大変ですが、好きになったことで楽しみながらできています」
高校時代は洛南高校のエースとして全国高校駅伝では2年、3年と1区を走った。また3年のインターハイでは3000m障害の2位だけでなく、1500mも6位。記録会で5000mは13分51秒97を出し日本人高校ランキング2位にもなった。これだけ結果を残しても、3000m障害を続けたいという思いは変わらなかった。
「応援してくれる人たちに喜んでもらえるのはうれしいけれど、他人の評価というより好きな種目で記録を出すことが自分にとって、達成感を感じるというか、いろんな成長を感じられるんです。3000mという短い距離の中で障害や水濠を越えていくので、独特なレース展開もあるし、イレギュラーなものも多くてケガなどのリスクも高いです。それでも、見ていて面白いし、やっている側も楽しいんです」
3000mを走る中で障害を28回、水濠を7回越えなければいけないこの種目は、瞬発力も必要で、ほかの長距離種目のように同じペースで淡々と走ることはできない。そんな種目だからこそ、自分の身体が競技を楽しんでいるように感じると三浦は言う。
「バネというか、脚力は他の人よりあるなと思っているので、そこを生かしながら走ったり、スタミナだけではないところも見せられたり......。走るだけだとキツいけど、変化があると面白いですよね。だから楽しくできている実感があるし、もっと記録を伸ばしていきたいという前向きな気持ちも生まれています」
三浦の世代の各大学の長距離選手たちは、駅伝などでも1年の時から強さを見せている。シューズが改良されて、レース後半の疲労度も軽減されたことで、前半から思い切って突っ込むレースができるようになったことも一因だろう。
2020年の7月に8分19秒台を出した時は、自分でも驚いたという。久しぶりのレースだったので高校時代の記録を出せればと考えて走ったが、インターハイで負けたフィレモン・キプラガット(愛三工業)を追いかけて、最後は競り勝ってゴールすると、日本記録にあと0秒44まで迫る8分19秒37だった。もともとラップタイムを見ないタイプだという三浦が、追いかけることに専念し、タイムを気にせず走りぬいた結果だった。
「8分10秒台に乗せられるのは、大学3年くらいかなと思っていたので、あの記録には驚きました。それまでは東京五輪も現実的ではないと思っていたけど、あの記録で現実味が出てきたというか......。このまま記録を伸ばすことができれば、東京(五輪)でもある程度の勝負ができるんじゃないかと、前向きな気持ちになれました」
昨年の春にコロナ禍で地元の島根県に戻っていた時期は、ロードの長い距離を克服するために毎日25km以上を目安にして走り込んだ。この頃は東京五輪を第一目標にしていたわけではなかったので、箱根駅伝に向けての意識が強かった。しかし、結果的に足づくりもできてスタミナがついた。さらに、かつての陸上クラブの指導者に見てもらってインターバルトレーニングもできたことで、スピード持久力も維持できた。
それが7月の3000m障害の好記録につながり、さらに夏合宿を経た後の箱根駅伝予選会での初ハーフマラソンでも、日本人トップの1時間01分41秒という結果につながった。
「順大にはリオデジャネイロ五輪に3000m障害で出場した塩尻和也(富士通)さんがいて、箱根も走ってオールラウンダーとして活躍する姿がすごく印象的でした。箱根は関東の強豪校に入った以上は避けられないところなので、トラックとの両立は難しいとは思いますが、やっていかなければいけないところ。でも圧倒的に好きなのは3000m障害です(笑)」
三浦の登場により、この種目も急速に活気づいている。日本選手権で2位の山口浩勢(愛三工業)と青木涼真(Honda)が東京五輪の参加標準を切って代表に内定。さらに塩尻も世界ランキングで参加資格を得て、補欠として登録されている。
「マイナー種目だった3000m障害が、どんどん人に見てもらえるようになっているというのは感じています。そういう状況になってきたのは競技者としてすごくうれしいです。認知度が高まってくれば、挑戦しようと思ってくれる選手も増えて、競技レベルの向上にもつながるし、やりがいを持てるようになりますよね。5000mや1万mに引けを取らない種目になっていけるように、自分もそれを後押しできる存在になれればと思います」
もともと長い距離は嫌いで、やるなら5000mくらいまでで、将来マラソンは考えていないと笑う三浦。海外の選手と戦いたいと思い始めたのは、高2の冬に合宿でオーストラリアに行き、そこで出場した競技会で外国選手と走った時だった。
3000mを走ってBレースで5位だったが、「タイムでは負けているかもしれないけれど、レースの走りでは張り合える選手になりたい」と強く感じたことが今の走りにつながっている。東京五輪はそれ以来の外国選手たちとの戦いとなる。
「国際大会ではラスト1000mを切ってからが激しくなって会場も沸いてきますが、そこで競り合ってラストで逃げ切れるようなレースをしたいです。今年に入ってからは、ラスト1000mで切り替えられるような練習をして、それをレースでも出せています。7月14日のホクレンディスタンスの5000mに出たのもその練習の一環でしたし、ラスト1000mで切り替えて13分26秒78の自己新(U20歴代2位)で優勝できているので、東京五輪へ向けても手ごたえを感じています」
五輪は予選から全力になるだろうが、確実に決勝進出を果たし、決勝ではがむしゃらに走ることを考えている。「目標は2024年パリ五輪でメダル争いに絡むことなので、それまでに8分ひと桁の前半は出しておきたいし、あわよくば7分台に入りたい。東京五輪ではその可能性の片鱗を見せられればと思います」と、さわやかな表情で宣言した。