公営競技の実況を始めてから1年程が経ったある日、1枚の紙片を渡されました。
それは、アンケート用紙。
某ボートレース雑誌が各レース場の実況アナウンサー特集を企画して、そのアンケートを元に名鑑的なものを作成するとのこと。
『アナウンサーを目指したキッカケ』・『好きな選手』・『趣味』などのアンケート項目の中に、『尊敬する・目標とするアナウンサー』という設問もありました。
後日、出来上がった雑誌を見ると、他場のアナウンサーは先輩や師匠、または有名な局アナの名前を記している方がほとんど。
私も本来であれば師匠・野村達也さんの名前を書くべきだったのですが……私が記したのは『ジョン・カビラさん』と『川平慈英さん』のお二方。
特集を読んだレース場の審判さん、番組室のお姉様方、誰もが「えっ!?」や「なんで???」という反応でした(苦笑)。

私の中で“こんな雰囲気・イメージの実況がしたい”というのがジョン・カビラさん。
“熱が伝わる司会”というイメージが川平慈英さん。
前者は某有名サッカーゲームを。
そして、後者はサッカー日本代表戦の中継司会のお姿をイメージしていただけると分かりやすいかと思います。

今もそうなのですが、私の中で“アナウンサーっぽいアナウンサー”になりたくないという思いがあり、実は“アナウンサー”と、呼ばれることに少しばかり抵抗を感じてしまうのです。
ただ、日々の仕事から生活の中で“アナウンサー”と、名乗らないことには相手に伝わりづらいので、そう名乗らざるを得ないのが正直なところ。

ジョン・カビラさんと川平慈英さんは実況、司会、パーソナリティーというお仕事を全面に押し出していますけれども、決してアナウンサーとは呼ばれていません。
それでは、一体、どのようなジャンルにカテゴライズされるのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、ご一報願います。
そして、何よりも当時は師匠を立てることよりも、自分を出す方へ走ってしまった若い頃の森泉でした(苦笑)。


そして、実はもう1人、目標とする喋り手がいます。
それは、ビン・スカリーさん。
恐らく、この拙文をご高覧していただいている方の多くが「誰?」という反応をしたことかと思われます。
スカリーさんはアメリカのアナウンサー、現在は92歳になっているはず。
MLBロサンゼルス・ドジャースの球団専属アナウンサーを務め、2016年に引退されるまで実に67年に渡って喋り続けていたのです。
引退された時の年齢は……な、な、なんと89歳!
はい、半世紀以上に渡って、喋りでチームを見守ってきたことになります。

スカリーさんは決まり文句や絶叫に頼らず。
大記録が達成された時などはスタジアムの歓声や拍手を聴かせるため、敢えて沈黙に徹することもあります。
このスタイルは個人的に大好きなもので『歓声と拍手といえば伊勢崎オート』という形でやりたかったくらいです!

長年の功績を讃えられ、スカリーさんは“ドジャースの声”や“20世紀で最も偉大なスポーツアナウンサー”という二つ名で語られる存在にもなりました。
特に“ドジャースの声”という響きが素敵ですよね。
「ロサンゼルス市民はスカリーの声を聴いて育ったのよ」と、地元市民も語るくらい。
これはアナウンサー冥利に尽きますね。
実況席という同じ場所から何十年も歴史を見守ってきたスカリーさん。
チームの昔話し、思い出話しを実況に織り交ぜることができたのも、彼だからこそ成せる技だったのでしょう。

私は仕事で色々な場所(競技)へ行く機会が多いです。
周囲からは「楽しいでしょう?」と、言われることが多いのですが。
実は色々なところへ赴くよりも一つの場所で何十年も喋り続け、スカリーさんと同じように歴史を語れる喋り手になりたいのです。
それは競技を問いません。
実況であっても、司会であっても、スタジアムDJであっても。

以前、実況を担当していた江戸川ボートレース場の審判長が
「実況はそのレース場の“顔”なんだよ。お客さんは実況の声を聴いて、どこのレース場なのかが分かる。これは凄いこと。そこを自覚して、自信を持ってやればいいよ」
そのように仰っていたのがとても印象に残っています。
そう仰られたことで、自分なりに“顔”としての自覚が持つことができたのかも知れません。

これからも「ここは俺が喋っているんだ!」という誇りや責任感。
いつかはどこかで「〇〇の声」と、呼ばれるように努めていきたいものであります。

【オートレース/今後の記念レース日程】
・10/31〜 SG日本選手権(飯塚)
・11/20~ G2小林啓二杯(山陽)
・12/4〜 G1グランプリレース(川口)
・12/18~ G1スピード王決定戦(山陽)
・12/27~ SGスーパースター王座決定戦(川口)

【略歴】



森泉宏一(もりいずみ・こういち)
1984年5月8日生まれ
東京都出身 広島県・富山県育ち

父親の影響もあり、学生時代は野球に打ち込む
25歳の時、ボートレースで公営競技実況デビュー
2017年4月から伊勢崎オートでオートレース実況を始める
公営競技実況の他、プロアマの野球実況
さらにはイベントや展示会の司会
広告モデルや話し方教室講師などでも活動
野球好きの選手からの誘いもあり、
伊勢崎オートの野球チーム「キラッツ」に入部
しかし、デビュー戦において投手で二桁失点を喫する
その為に最近、オートレース界隈でその実力が疑われている
某選手からの「投げるスタミナがあるだけで助かっている」
という慰めの言葉が唯一の救い