【写真提供=共同通信社】興南-木更津総合  終戦の日を迎えた甲子園球場で、黙とうをささげる興南ナイン=15日正午すぎ

 

「スタンドのみなさんもご起立ください」

正午に黙祷を捧げるアナウンス。8月15日、終戦の日の恒例の光景だ。
 各地で戦没者追悼式典が行われ、甲子園では興南が木更津総合と2回戦を戦っていた。
 そういう日に沖縄の高校が試合をするのは因縁だろう。
 我喜屋優監督は「黙祷があるから、ゲームは中断するよ」と伝えていたと言う。
「ほんの一瞬でもいいから野球をできる幸せを感じてくれよと、言いました」
 小雨もパラつく曇天の甲子園。球児は思い切り、野球をやった。

 ゲームは終始、木更津総合が支配した。
 木更津総合は二回表、エラーで出た一塁走者が8番、大曽根哲平のツーベースの間に好走塁で返ってきて先制する。5回には1番、東智弥のレフトへのホームラン。終盤3イニングでも小刻みに加点して5点をあげた。
 
興南の先発は1回戦同様に左腕藤木琉悠。五回途中、ホームランを打たれ後、四球を与えてところで宮城大弥にスイッチ。8回、2点を取られて當山尚志もリリーフ登板するなど細かく繋いだ。しかしバットを短く持って対応した木更津打線に捕まった。
 沖縄県大会はエラーが一つだったが、今日の二つは失点に繋がったことも響いた。

 興南の攻撃は一回、四死球で作った1死一、二塁から4番、塚本大雅のライト前ヒットで二塁ランナーの仲村匠平がホームを狙ったが、ライトからの返球でタッチアウト。五回も四球出塁のセカンドランナーが同じく三塁を回ったが本塁上で憤死した。
「手からボールが離れた瞬間に躊躇しない。第一リード、第二リードの取り方を自分の判断で取れるように」
 ゲーム前に我喜屋監督がポイントにあげていた点だ。
「あと2メートルの第二リードを取っていたらセーフになっている。ホームでアウトになったことで序盤、流れを引き寄せることができなかった」
 ゲーム後、そう振り返った。

走者のリードに気をつけたと言う木更津総合・神子瑞己遊撃手。
「セカンドランナーの第二リードをさせなかったことがよかった。野尻(幸輝投手)もけん制のタイミングを工夫していて、ランナーは大きなリードが取れなかったと思います」
好返球を受け、本塁を守った山中稜真捕手。
「ライトの太田(翔悟)、センターの東のバックホームで刺したことが大きかった」

 興南にバント失敗、盗塁死があれば、木更津総合は一度は失敗したスクイズを、スリーーバントスクイズで決めてきた。8安打を放ったが完封負け。最後の詰め、きめの細かさ、堅い守備で木更津総合が上回ったと言える。

 7対0と大差になったが、「選手はベストを尽くした。結果には繋がらなかったけれども、やるべきことは全てやった。あれ以上のことはないと思います」と我喜屋監督は選手を労った。

 1968年の50回記念大会に我喜屋監督は興南の主将として出場している。ちなみにそこから遡ること10年、40回大会で沖縄代表として首里高校が初めて出場する。当時、沖縄はまだ米国の統治下で球児が持ち帰った甲子園の土は検疫に引っかかり、海に捨てられた話は知られている。

我喜屋監督は50年後の100回大会にどうしても出たかったと言う。そして県大会を勝ち上がる。

「50年前に、力のないチームがあれよあれよというまに運だけでベスト4になった。敗戦の教訓からやればできるんだよと、沖縄は強くなった。春夏連覇をした時(2010年)、明徳義塾さんとやった2回戦も15日。今日の100回でここにいる。甲子園には縁があるなと思いました」

グラウンドからアルプス席を見渡したと言う。
「沖縄から応援も来てくれたし、兵庫の方も応援を手伝ってくれた。生徒もいるし、仕事の人もいる。みんながこの甲子園で一つになるような気がしました」

 インタビュー台の上でこの半世紀の思いを語りだした。
「50回大会に出た時は100回に出られるなんて考えたこともなかったし、その間に優勝もできた。50年も野球をやれたなんて幸せだなぁと感じています。野球をする側、テレビを含めて見る側も、全ての一体感を感じるのが高校野球だと思います。自論ですが心の文化になっている」

「子供たちと新しいものを発見していく、作り上げていくことは素晴らしいことだと思います。模範となるような選手を、高校野球を求めていきたい。選手宣誓にもありましたが、感謝とか幸せとか平和とか。高校野球をやるものはその担い手になってもらいたい。相手には礼儀をもって全力プレーをする。それが良さだし、野球を愛する人への気持ちだと思う。高校野球にはそういう大事な役割があるんです」
 
 最後に選手にメッセージを送った。
「持ち帰る土をみて、きつかった練習を、甲子園に出るために努力した日々を思い出してくれれば。彼らはもっともっと大きな試練が待ってる社会に出るんですから。人生のスコアボードは続きますから」

(文・清水岳志)