今村猛氏は清峰2年夏に甲子園に初出場「緊張はなかった」 元広島右腕の今村猛氏は長崎・清峰高に進学し、大きく飛躍した。球速は大幅アップ。2007年の高校1年秋には140キロ台のストレートを投げ、3年の2009年夏前には150キロも超えた。その…

今村猛氏は清峰2年夏に甲子園に初出場「緊張はなかった」

 元広島右腕の今村猛氏は長崎・清峰高に進学し、大きく飛躍した。球速は大幅アップ。2007年の高校1年秋には140キロ台のストレートを投げ、3年の2009年夏前には150キロも超えた。その裏には丸太を持って走る清峰名物のトレーニングがあった。「冬場の走り込みを夏までやっていましたからね」。ハードさはハンパではない。「1か所くらい、つっても走っていました」。そんな“地獄”を乗り越えて、結果を出していった。

 今村氏は2007年の高校1年夏から控え投手としてベンチ入り。長崎日大に敗れた準決勝には登板しなかったが、悔しい思いを味わった。新チームになってすぐの広陵(広島)との練習試合では140キロを計測。「広陵側がスピードガンで測っていて、140が出たって話を後で聞きました」。この時初めて、のちにホームタウンとなる広島を訪れたという。「あの時は広島で広陵と如水館、岡山で関西と試合をしたと思う。ちょっとした遠征はやっていましたね」。

 1年秋の長崎大会は3回戦で鎮西学院に敗れたが、一冬を越してさらに成長を遂げた。2008年春の長崎大会では波佐見との3位決定戦に先発して7回コールドの完封勝利。1回戦で敗れた春の九州大会のマウンドも、リリーフで経験した。同年夏の長崎大会では背番号11で、先輩左腕・古賀達彦投手とのダブルエース的な活躍で優勝し、甲子園に出場した。

「緊張はなかった」という甲子園では、11-3で勝った白鴎大足利(栃木)との1回戦にリリーフで登板。同点の8回に1死二、三塁からスクイズで決勝点を許し、4-5で敗れた東邦(愛知)との2回戦には完投した。「あの試合は僕の送球ミスでピンチを広げ、そのままやられた感じでした。自分のミスだから悔しかったですけど、ホントに野球をやっているな、勝負しているなって感じの打たれた方をしていたので、ミスも含めて楽しかったです」と振り返った。

 2年夏時点でMAX146キロ。着実に進化していったが、今村氏がその要因のひとつとして挙げるのが、丸太を持ってのダッシュだ。「それが有名になって、ほかの高校でもやるようになったんですが、あれが一番しんどかったですね。僕らは冬場の走り込みを夏までやっていったんでね。200、300メートルくらいをタイム設定があって、それをクリアしないと1本にならない。20本で終わりなんですけど、もともとコーチは20本で終わらせるつもりはないですからね」。

高2秋は長崎大会&九州大会を制覇「ホント、楽しかったです」

 丸太の重さは5キロから7キロくらいの範囲でバラバラだったという。「当たり、外れがあるんですよ。だからみんな軽いのを狙っていましたね。僕は“軽けりゃいいな”くらいだったんですけどね」。コーチからなかなかOKが出ず、2時間くらい続いたこともあったそうだ。「足つっても走れ、だったんで。実際、それでも走っていましたよ。さすがに3か所つったときは無理でしたけど、1か所くらいだったら大丈夫でした」。

 こうして鍛えられた上に、上半身強化のウエートトレーニングもやっていたという。「それもあって体全体が大きくなって、(ストレートの)球速も上がっていったと思います」。エースになった2008年の高校2年秋からは、どんどん結果を出していった。秋の長崎大会は準々決勝で海星を3-2、準決勝も創成館を3-2で破るなど苦しみながらも優勝。「まず県内のチームをどう倒すかって感じでしたけど、(相手は)強かったですね。でも、無茶苦茶打たれたわけではなかったのでね」。

 接戦を制して精神的にも強くなった。九州大会では決勝までの4試合をひとりで投げ抜き、優勝した。とりわけ大きかったのは延長10回2-1でサヨナラ勝ちした準々決勝の福岡大大濠(福岡)戦。「大濠の左ピッチャーの川原(弘之、2009年ソフトバンクドラフト2位)がよくて……。あそこで勝てたのがよかったですね」。この勝利で選抜出場が濃厚になり、準決勝以降は「気楽にできたと思います」という。

 2年時に夏の甲子園を経験し、今村氏も知られた存在だったはずだが、準決勝で今宮健太内野手兼投手(現ソフトバンク)を擁する明豊(大分)と対戦した際には「(今宮は)中学の時から有名な選手だったんで“ああ、知っている人だぁ、試合できるなぁ”とか楽しんでいたくらいでした」とも話す。試合は6-2で勝利した。決勝の神村学園(鹿児島)戦は4-0の完封。「ホント、楽しかったです」と繰り返した。

 その後の明治神宮大会は体調を崩してのマウンドとなり、秋山拓巳投手(元阪神)がエースで4番の西条(愛媛)に初戦で打ち込まれて敗れたものの、糧にして切り替えた。2009年春の選抜で全国制覇。「あの時も毎試合、野球を楽しめたと思います」。MAX148キロを計測するなど、さらにたくましくなった今村氏は長崎県勢初の甲子園優勝の立役者となる。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)