『僕の野球人生』第3回

森田 穣 捕手 (4年・学芸大附属高校)

 

4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

第3回となる今回は森田捕手です!

--------------------------------------------

僕の野球人生は父親によって無理やりスタートしました。5歳から始まった父親との「自主練」。僕にとってそれは土日の義務であり、朝ご飯を食べながら自主練を思うと憂鬱な気分になっていました。

小学生になり、野球チームとサッカーチームに入りました。サッカーが好きでしたが、高学年になると父親の意向により野球一本に絞らされました。父親との自主練も練習量がどんどん増え、土日は1日1000スイング以上していました。

そのおかげもあり、小中高と僕はチームで中軸を打てる選手となり、特に中学時代はチームも市大会でベスト4になる位強かったので、野球を楽しむことが出来ていました。

僕が初めて東大野球部を意識し始めたのは中学時代です。とはいってもその考えは自分が東大に入ればチームの救世主になれるだろうという甘いものでした。

高校時代はなかなか勝てないチームにいながらも東大野球部への思いは持ち続け、先輩の阿加多さん(H28卒)や袖野さん(H28卒)が下級生の頃からリーグ戦に出て活躍している姿をホームページで見ては、自分も同じように活躍できるだろうという根拠のない自信を持っていました。

そういった考えから、大学へ入学すると特に迷わずに東大野球部に入部しました。しかし、中学の頃から抱いていた幻想が打ち砕かれるのに時間はかかりませんでした。圧倒的な実力を持つ他の五大学の選手や、宮台(投手/4年)、山田(内野手/4年)、楠田(外野手/4年)など1年の春からリーグ戦に出場する同期。僕はなんとか試合に出たいと努力しても結局出られずじまいでした。チームも勝つことができず、本当に悔しい思いをしました。

2年になり連敗を止めた試合をベンチで見たときは、試合に出ていないのに鳥肌が立つほど感動しました。 多分あの試合は今まで僕が経験した中で一番嬉しかった試合です。個人としても代打として多くの試合に起用してもらい、結果を出せない悔しさがありながらも、チームに貢献するチャンスが与えられることに喜びを感じていました。

ただ、それからチームは2年間で5つの勝ち星を重ねてきていますが、僕はその全ての試合をベンチから見ています。勝つ経験が増えるたびに素直に喜ぶだけではなくなり、自分の無力さを痛感し、試合に出て勝ちたいというエゴが強くなっていきました。

そして4年になりました。喜入さん(H29卒)がいなくなり、プレッシャーもありましたが、社会人対抗戦で勝つことができ、自分でもできるんだという思いを持ちながら春のリーグ戦に臨みました。

結果は悲惨なものでした。

突然の宮台の乱調。それをどうすることもできない自分。力不足を実感し、悔し涙を何度も流しました。開幕前に肩を怪我した影響で思うようにプレーができず、試合のたびに点差の広がっていくスコアボードを見ては落ち込み、勝てないことでストレスが溜まるチームを見ては責任を感じるばかりでした。終盤になり、やっとゲームを作れるようになってきましたが、勝つことなく春が終わってしまいました。

春から3ヶ月が経ち、マスクを被るのは自分ではなくなっていました。チームも下級生が物凄い勢いで活躍しており、頼もしいと思う反面、置いていかれてしまっているという思いもあります。

もう僕の野球人生は残り1ヶ月です。振り返ってみると高校までの思い出よりも大学時代にもがき苦しんだ経験が数多く蘇ります。この経験が僕の考え方を大きく変えました。

僕が望むものはもう自分の活躍ではありません。チームが勝ち点を取り、最下位を脱出することだけです。その際に自分が試合に出てチームに貢献し、勝つことができたら、連敗を止めた試合以上の喜びとともに卒部できると思います。

もし父親との「自主練」がなかったら、僕の野球人生はスタートせず、仮にスタートしてもすぐに終わりを迎えていたでしょう。自主練のおかげでここまで野球を続けられました。続けたことで苦しい経験や辛い思いもたくさんしました。しかし野球を通じて得た仲間であったり、活躍する喜び、そしてチームが勝った時の感動は自主練がなければ間違いなく得られなかったと思います。

引退しても向かい合っては絶対に言えないと思うのでここで言います。

今まで「自主練」をしてくれてありがとう。

--------------------------------------------

次回は佐藤内野手を予定しております。

お楽しみに!