梶谷隆幸氏は横浜入団3年目の2009年に1軍デビューも…「蒼い韋駄天」の異名でも親しまれた梶谷隆幸氏は、横浜(現DeNA)入団3年目の2009年に1軍デビューを果たした。プロ野球選手として大きな一歩となったはずだが、当時は「呼ばれたくないと…
梶谷隆幸氏は横浜入団3年目の2009年に1軍デビューも…
「蒼い韋駄天」の異名でも親しまれた梶谷隆幸氏は、横浜(現DeNA)入団3年目の2009年に1軍デビューを果たした。プロ野球選手として大きな一歩となったはずだが、当時は「呼ばれたくないと思っていました」と心境を明かした。
2006年の高校生ドラフト3巡目で島根・開星高から横浜(現DeNA)に入団。1年目の2軍キャンプで「名前も知らない人たちが超ウマい」などとプロのレベルの高さを痛感。ルーキーの初日で「2年でクビになる」と危機感を抱いていた。
「3年目にデビューできましたけど、むしろ、自分に3年目があってよかったな、という心境でもありました」。4月9日の巨人戦での途中出場でデビュー。その後も出場機会は限られていたものの、4月のうちにプロ初安打や初本塁打、初盗塁も記録した。必死なアピールは続いていたが、その胸中はネガティブ要素が支配していたという。
「プロ野球選手なのに1軍に呼ばれたくないと思っていました。もちろん、呼ばれなきゃいけないのはわかっていましたが、怖かったんです。まともなプレーもできない自分のレベルもわかっていたし、恥ずかしさもあったので」
だからこそ、2軍降格を通達された際には「ホッとしていました。この環境から逃げられる、と。1軍だと高卒3年目で話せる人はいないし、肩身が狭かった。2軍には入団からずっと一緒にやってきて気心知れる人もいたので。プロでそれはダメなんですけどね。でも3年目はそんな気持ちでした」。21歳を迎えたシーズンの偽らざる心境を告白した。
受け取った「出場選手追加参加報酬」
3年目は22試合に出場。翌2010年は5試合のみ。2011年は出場機会がなかったが、2012年には80試合に出場した。当時は2軍が“主戦場”だった梶谷氏だったが、1軍の出場機会を得ることで、1軍最低保障年俸と自身の年俸との差額を日割りした額が、登録日数分だけ「出場選手追加参加報酬」として得ることができた。
「まだ年俸が低かったときに報酬がバーンと入ってきたんです。特に6年目は600万円くらい入ってきたと思います。すごい世界だなと。頑張ったらお金がもらえるんだというのを実感しました。スイッチが切り替わった感覚はありました」
お金だけではないが、収入の増額は大きなモチベーションとなった。同年はチームの親会社がDeNAに変わり、中畑清監督とも出会えたシーズン。梶谷氏にとって大きな転換期となった。(湯浅大 / Dai Yuasa)