『僕の野球人生』第5回田口 耕蔵 内野手 (4年・西大和学園高校) 4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。第5回となる今回は田口内野手です!----------…
『僕の野球人生』第5回
田口 耕蔵 内野手 (4年・西大和学園高校)
4年生特集、≪僕の野球人生≫では、ラストシーズンを迎えた4年生全員に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
第5回となる今回は田口内野手です!
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僕の野球人生は、小学4年生の夏、香港リトルリーグでスタートしました。当時から太っていた僕は走ることが苦手で、グラウンド10周走が毎回行われるため練習は嫌いでしたが、野球の試合でプレーすることはとても楽しく、野球が大好きでした。香港リトルリーグのホームラン記録を持っていることはプチ自慢です。
小・中学生時代は中国人、アメリカ人、韓国人などのチームメイトとともに遠征して試合を行うこともありとても貴重な経験を積めました。遠征先でレベルの高い選手に会うにつれ、自分も野球が上手くなりたいと思うようになり、猛練習を開始したのが中学1年生になってからです。プロ野球選手になりたい一心で毎日素振り500回を行なっていました。中学3年生の夏に引退するまで本気でプロ野球選手を目指していた現実の見えていない少年でした。
僕の野球の実力をよく知っている野球チームのコーチのアドバイスにより高校は野球強豪校ではなく、進学校を選択しました。高校野球には一生懸命取り組まなかったため、野球の思い出がほとんどないのがとても残念です。
高校時代の僕は野球に勉強に何もかもが中途半端でした。高校2年生の秋に部活を引退してから、中途半端な自分を変えたい、本気で野球をしたいという思いが芽生え、下手な自分でも試合に出場できそうで、大学野球最高峰のチームと対戦できる東大野球部を目指すことにしました。
2年間の浪人生活中は、自宅にベンチプレス台を購入してもらい毎日ベンチプレスをしていた記憶しかありません。
そして東大野球部に入部しました。入部してからは苦しいことの連続でした。1年生の頃はどれだけ練習しても試合には愚か、下手すぎたため全体練習にすら参加させてもらえませんでした。同期が次々とリーグ戦メンバーに選ばれていく中、雑用ばかりしていてとても辛かったです。
将来的に自分が試合に出場している姿を全くイメージできなかったため、身体が大きいからという理由で勧誘して頂いていたアメリカンフットボール部へ転部することも想定し、筋力トレーニングばかり行うようになったのは1年生の終わり頃です。
この時始めた筋力トレーニングのおかげで運良く3年生の春からレギュラーとして試合に出場するようになりました。
自分が試合に出場するようになって2年間、チームはなかなか勝てませんでした。それでも勝つための方法を考え続け、日々の厳しい練習に耐えた末のわずかな勝利が全ての苦しみを忘れさせてくれます。また、周囲の方々が喜んでくださる姿を見ることをモチベーションにして頑張り続けることができました。
個人としてはチャンスで打つことができず、大事な場面でエラーをしてしまい、チームの迷惑になることもありました。しかし3年生の春季リーグ戦の法政大学戦で勝利打点を上げることができ、それまで野球が下手なことに対して劣等感に苛まれ続けてきた自分自身に対して少しずつ自信を持てるようになりました。
また、少年野球教室のデモンストレーションでホームランを打って子供達にとても喜んでもらえたことで、野球を通して人々を笑顔にすることができたのがとても嬉しかったです。
中途半端な自分を変えてくれたのが野球でした。野球がやりたかったから勉強を頑張れるようになりました。上手くなるため、他大学の野球エリートに追いつくために日々の練習に本気で取り組めました。野球があったからこそ努力できる人間になれたと思います。自分を変えてくれた野球にとても感謝しています。
ここまで野球を続けることができたのは様々な方のおかげです。ありがとうございました。特にたくさん練習しても怪我をしない丈夫な身体に育ててくれた両親にはとても感謝しています。
野球人生は残りわずかですが、六大学で勝てた、ホームランを打てたということで満足したくはありません。他の五大学と同じ土俵に立って試合をする以上、彼らから勝ち点を奪取できるよう残りの試合も全力で勝ちに行きます。
勝利の瞬間を皆と味わうために今日も頑張ります。
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次回は水島内野手を予定しております。
お楽しみに!