小林香菜は早大サークル出身という異色の経歴からトップランナーに photo by 西村尚己/アフロスポーツ新星が躍動した。1月26日に行なわれた大阪国際女子マラソンで2時間21分19秒の日本歴代10位の好記録で2位(日本人トップ)に入った小…


小林香菜は早大サークル出身という異色の経歴からトップランナーに

 photo by 西村尚己/アフロスポーツ

新星が躍動した。1月26日に行なわれた大阪国際女子マラソンで2時間21分19秒の日本歴代10位の好記録で2位(日本人トップ)に入った小林香菜(大塚製薬)は、早大時代はマラソンサークルに所属するなど、異色の経歴を持つ。

代表選考の過程にある現段階では出場できるかどうかわからないが、今夏の東京2025世界陸上の参加標準記録も突破。独特のピッチ走法が代名詞のランナーが女子マラソンのトップシーンに名乗りを上げた。

【「気づいたら鈴木さんの背中が大きくなってきて」】

 昨年のパリ五輪6位入賞の鈴木優花(第一生命グループ)。彼女がオリンピックから6カ月という短期間で、パリ五輪で樹立した自己記録(2時間24分02秒)の更新を目標に楽な気持ちで挑戦した大阪国際女子マラソン。レースは30kmまで2時間20分切りのペースで進むなか、鈴木は27kmすぎに連覇を狙うウォルケネシュ・エデサ(エチオピア)に突き放されたが、その後はエデサとの十数秒差を維持し続けて日本人1位は確実と見られていた。

 だが、レース終盤で存在感を示したのは23歳の伏兵、小林香菜(大塚製薬)だった。

 35km地点で鈴木に34秒差だった小林は、そこからペースが落ち始めた鈴木を猛追。フィニッシュ地点のヤンマースタジアム⾧居に入る手前の残り800mで鈴木をかわすと、同じく35km地点で51秒差だったトップのエデサにも19秒差にまで迫る2時間21分19秒の大幅な自己記録更新、日本歴代10位の好記録でフィニッシュした。

 前回大会、ネクストヒロイン枠(大会独自の育成枠)で出場した小林は自己記録を7分以上更新する2時間29分44秒(12位)をマーク。実業団所属となってからも、昨年12月1日に行なわれた防府読売マラソンでは2時間24分59秒と大会記録を更新して優勝していたとはいえ、ビッグレースでの実績がないだけに、誰しもが驚く快走だった。

 もっとも当の小林本人も驚きを隠さなかった。

「今回はハーフまで先頭集団についていこうと(大塚製薬の河野匡)監督から言われていたので、自分のなかでもついていこうと決めていました。ハーフを過ぎてからは離されてしまいましたけど、そこから自分のペースで前を見て走っていたら、気づいたら鈴木さんの背中が大きくなってきて。ラスト1kmで沿道から『行けるよ!』という声をかけられたので、その言葉を信じてラストスパートを頑張ったら思いもしない結果になりました」

 15km過ぎの給水ではペースメーカーとぶつかるアクシデントに見舞われたが、「けっこうダメージがあって一瞬焦ったんですが、だからこそ落ち着けたというか。きつさがぶつかった痛みでちょっと和らぎました」と大物の風格を感じさせる言葉で振り返る。

【異色の経歴、独特なピッチ走法】

 ストライド(歩幅)が短い高速ピッチ走法は特徴的だが、中学から陸上を始めた彼女の経歴も異色だ。

 早稲田大入学後はランニングサークルに所属。「基本的には週に1回、皇居をジョグで2周する活動で、秋からは有志でレースに出場したりして、大学4年の12月にホノルルマラソンをみんなで走ることを目標にしている、ゆるい会です」。マラソンを走るために、陸上部ではなくサークルを選んだという小林は、出身の前橋市陸協所属でマラソンにもチャレンジし、準招待選手として出場した一昨年の大阪国際女子マラソンで2時間36分54秒の21位。その結果を認められて、大学4年時の昨年はネクストヒロイン枠で出場していた。

 だが大学卒業が迫っても、競技に対する気持ちは強くなるばかりで、実業団で走る可能性も追求し始めた。

「大学で楽しく走っているうちに『もっと速く走りたい』という思いが再燃してきました。一昨年の大阪は中間点まで第2集団についていけてMGC(マラソン五輪代表選考会)に出るような選手と一緒に走ることができたのがとても楽しかったので、本格的にやりたいという気持ちが強くなっていきました」

 小林が大学4年になる頃に初めて会ったという大塚製薬の河野監督は、小林を指導するようになった経緯を次のように説明する。

「最初は紹介されて相談に乗るということで、(小林の)出身の前橋に近いチームを紹介しましたが、合宿に来たいというので来させているうちに『大塚製薬はダメですか』と言ってきて入ることになりました。当初は本当にジョギングしかしていなかった動きだったので、実業団でやりたいと言ってもかなりきついだろうなと思いました。こちらのメイン練習の設定タイムを聞いて驚くくらいで......。

 ただ、2023年の大阪は第2集団につけてハーフを1時間11分57秒で走ったので、『この走りであのタイムが出たのか』と驚きましたし、2時間36分54秒でゴールしたことも驚きました。だったらある程度トレーニングを本格的にやったら、もう少し高いところに着地するのは当然だ、という思いもありました」

 昨年4月に入社して1カ月後くらいからは長い距離も走れるようになり、10月のプリンセス駅伝(全日本実業団女子駅伝予選)では最長(10.7km)の3区を走って区間2位。クイーンズ駅伝(全日本実業団女子駅伝)も最長区間(10.6km)の3区を走り(区間11位)、チームの主力になった。

【名コーチが小林への指導を決めた理由】

 そんな小林の長所は、ケガをしにくい走法とともに、体や気持ちの強さがあるところだ。クイーンズ駅伝の1週間前には転倒して膝を2針縫うケガをして出場も危ぶまれたが、しっかり走った。さらにその1週間後の防府読売マラソンも「行きます」と志願の出場。大阪へ向けた練習代わりの40km走のつもりだったが、自己記録を5分弱更新する走りで優勝した。

「(中高時代の)成長期に専門的なトレーニングをやっていないし、いまはしっかり食べて体も作れている。それが体の強さの要因かもしれない」と河野監督は言う。

「8月の終わりくらいには、12月に高地トレーニングをやって大阪を走ろうと決めていたが、正直、防府の記録は、私が『このくらいのタイムを出せば、実業団に来て取り組んだ甲斐もある』と思っていた記録だったので驚きました。

 アルバカーキ(アメリカ)の合宿では第2集団でいって2時間22分を設定した練習をやらせましたが、もう一段上の練習もでき始めていました。それで帰国後、中2日の都道府県駅伝10kmを走らせたら、廣中璃梨佳(日本郵政グループ)と田中希実(New Balance)の間の区間5位になったので、最初から2時間20分を切る先頭集団のペースでどこまでいけるか試して見ようと思いました」

 アルバカーキでは、前田穂南(天満屋)が1年前の大阪国際女子マラソンで日本記録(2時間18分59秒)を出した時に実践していた30kmの変化走の練習などを参考に、プラス2分くらいの強度でやらせると、小林はそれをこなせてしまったという。

「2時間18分59秒に2分プラスすると2時間20分59秒。『まさかなぁ』というくらいの感じでした。イーブンペースで2時間22分を出せるのは彼女の強みだけど、前半攻めて(2時間)24分かかったら『まだ後半だね』となるし、(2時間)22分だったら『攻めても22分だからすごいね』となると思っていたけど、(2時間)21分19秒だからビックリした」と、急激な成長曲線に驚くとともに、小林の強みと可能性をこう話す。

「彼女のピッチの速さは体幹を軸にして交互に持ってくるのが上手だからです。ほかの人が真似てできるものではない。単純に言えば、1分間で220歩くらいはゆうに超えるピッチ数なので、ストライドをもう少し伸ばせば2時間20分という数字にも届く。まだ速い走りの練習は数カ月しかしていませんが、9カ月でここまで成長したから、走りはまだまだ変わってくるはず。

 厚底シューズ内のプレートの反発の恩恵は地面を踏む回数が多いほうが大きいはずなので、それを扱えるような動きになればもっとスピードは上がっていくのではないか。選手によってはそういうチャレンジをしてもいいと思うし、小林も高速ピッチを継続できるようにしてそれをコントロールできる体の強さを備えれば、まだまだ成長できるんじゃないかなとは思います」

 これまでにはいないタイプで、まだまだ未知数の部分も多い小林。これまで多くの日本代表を育て上げた河野監督だが、小林を指導しようと思った一番の理由について「気持ち」の部分を挙げる。

「マラソンをやりたい、陸上をやりたいという気持ちの強さと自ら申し込んできた姿勢です。有森裕子さんや高橋尚子さんがそうだったように、『やりたい』という気持ちの子は絶対に頑張る。

 早大の法学部を出た子に『陸上に何年間か懸けてみたい』と言われたら、陸上に関わる人間としては、ちょっとでも夢を叶えるための手伝いをしてあげられたらいいんじゃないのかなと思ったからです」

 日本陸連の長距離・マラソン強化に長く関わってきた師と異色な弟子の二人三脚が、どんな新世界を見せてくれるか、楽しみにしたい。