2年ぶりの東北新人で待望の1勝 決勝トーナメント進出にはならなかったが、確かな前進を印象づける大会となった。 秋田市のCNAア…
2年ぶりの東北新人で待望の1勝
決勝トーナメント進出にはならなかったが、確かな前進を印象づける大会となった。
秋田市のCNAアリーナ★あきたで、2月1日と2日に行われた「令和6年度 第35回東北高等学校新人バスケットボール選手権大会」。秋田県の開催とあって、ひときわ注目を集めたのが、2年ぶりの出場となった能代科学技術高校(秋田県)だ。予選リーグでは柴田学園大学附属柴田学園高校(青森県)に86−77で勝利し、一関工業高校(岩手県)には77−81で惜しくも敗戦して準決勝進出には届かなかったが、速攻を繰り出すスタイルに「らしさ」が見えた大会になった。
「一関工業のゾーンを攻められず、最後はシュートする人を探してパスをしてしまう弱さが見えました。そこは経験のなさから、自信が持てなかったのだと思います。自滅ですね、まだまだです。でもやっと今年、この舞台まで戻ってくることができました」と語るのは、昨年度から能代科技のコーチに就任した長谷川聡コーチ。
傍から見れば、「東北新人、予選リーグ敗退」という記録だけが残るのかもしれない。だが、能代科技にとっての今大会は、東北の舞台で1勝をもぎ取り、復活の一歩を踏み出す大会になった。何しろ、1年前の県新人大会では1回戦負けを喫したばかりか、昨年度はすべての全国大会出場を逃している。全国58回の優勝を誇る名門チームが県大会の初戦で姿を消したことは記憶にない。そこから這い上がってきた1年だったのだ。
新入部員3人、県1回戦敗退の危機
能代科学技術――略して『能代科技』(のしろかぎ)。地元では『科技高』(かぎこう)と呼ばれている。『能代工業高校』と『能代西高校』が統合し、『能代科学技術高校』としてスタートしたのは2021年4月のこと。校名が変わっただけでなく、統合によって新たに開校したため、公式大会の出場や優勝回数も1回からのカウントとなっている。
統合後は公立校の制約の中で部活動を行うことになり、指揮官はOBの小野秀二コーチ(バンビシャス奈良HC)から、小松元(げん)コーチへと替わった。統合前、小松コーチは能代松陽高校の教員として女子バスケ部を指導していたが、2021年4月に能代科技への異動することになり、男子バスケ部のコーチに就任したのだった。
能代工業の部外者がチームを指導することに、OBも小松コーチ自身もその現実を受け止めきれず、苦難の連続だった。全国ではなかなか勝ち星をあげられず、当然のことながら、試合会場に行けば『能代工業』の名前はついて回り、全盛時代と比較される日々。コロナ禍が明けた2022年、3年ぶりに能代カップが開催されたとき、小松コーチはこう語っていた。
「私にとってはものすごい重圧の毎日です。けれど一番大切なのは、昔にこだわるのではなく、今を大切にして、今ここにいる選手たちのために指導すること。いい伝統を引き継ぎながらも、新しい科技高のバスケを作っていきます」
選手たちも必死だった。能代工業から能代科技へ移行期に奮闘した2022年度のキャプテンである相原一生(埼玉工業大学)らが伝統を後輩たちに伝え、2023年には好選手がそろったこともあり、インターハイでは2回戦に進出。また、OBの長谷川暢(茨城ロボッツ)がアドバイザーとして指導にあたり、選手たちを支えてきた。
だが、同時に大きな問題も抱えていた。統合した翌年の2022年度はバスケ部の行く先が案じられたのか、新入部員はわずか3人という事態に陥ったのである。しかも3人のうち1人は退部し、2022年度の部員は2人になった。
2023年度には13人の部員が入部したが、2年生2人は全国大会のロスターには入れず、新人戦は1年生主体で挑まなければならなかった。そして、ちょうど1年前。能代科技は、県新人大会の1回戦で国学館高校に102−103で惜敗する屈辱を味わうことになる。チームはどん底まで落ちてしまった。
いい伝統を引き継ぎ、古い風習は変えた
そんな折にチームを支えたのが2023年から指導にあたり、2024年度から指揮を執っているOBの長谷川聡氏だ。秋田県の競技力向上をサポートする「県スポーツ協会テクニカルアドバイザー」という形で推薦され、コーチとして能代科技へ派遣されることになった。
長谷川コーチは能代工業在学時、1980年に春の高校選抜(現ウインターカップ)、インターハイ、国体の高校3冠を達成。日本大学卒業後、日本リーグの東芝(現川崎ブレイブサンダース)でプレーし、引退後は日本リーグ女子の東芝などで采配した経歴を持つ。長谷川コーチは就任してから道のりをこのように振り返る。
「新入部員が3人だと聞いたときはショックでした。このままだと部が消滅してしまう危機を感じたので、指導の手伝いを申し出ました。そこからは(小松)元先生と一緒に、今の時代に合った指導をしようと、古い風習を変えることから始めました。厳しい上下関係をなくし、言葉使いやあいさつから変えたのです。たとえば、昔は『押忍!』とあいさつしていたのを『おはようございます』にしましょうと。社会人だったらそう挨拶しますよね。
今の2年生は先輩が少なかったので、すごく苦労した代です。自分たちで新しい文化を作ろうとやり始めた選手たちで、この2年間で相当成長しました。もちろん、能代工業時代から変わらない素晴らしい伝統もあります。専用の体育館が毎日使える環境に感謝して、日本一速いバスケを目指していくいい伝統は引き継いでいきます」
「能代科技らしい」バスケを作る
キャプテンの佐藤悠斗は小学校時代に能代カップを観戦し「速いバスケに憧れて」能代科技に進学した選手だ。
東北新人を振り返ったキャプテンは、「リバウンドやルーズボールが甘かったです」と悔しさを募らせながらも、「自分らの代はチームが一つになれずに苦しいことが多かったんですけど、話し合いを何度もして今大会に臨みました。負けてしまいましたが、速いバスケを見せることはできたと思うので、成長していることを実感できる機会になりました」と前を向いた。そして「今年は絶対に負けないという気持ちで戦い、科技らしい走るバスケを見せたい」と目標を語った。
長谷川コーチは言う。「今の子たちは、昔の能代工業のことは知りません。彼らが知っている一番のOBは田臥勇太(宇都宮ブレックス)ではなく、指導してくれた長谷川暢なんです。ですから、今は新しくなった能代科技として、科技らしい速いバスケで勝負したい。速いバスケで勝利したら、OBも喜んでくれると思っています」と選手たちと同じく「科技らしさ」を強調した。
現在は長谷川コーチと小松コーチ、そして能代工業最後の代となった卒業生、遠田貴大アシスタントコーチとともに3人で指導にあたり、指導体制は整った。今後の課題は「やり切ること」だと長谷川コーチは言う。
「シュートが入らなくても、リバウンドやディフェンス、走り切ることはできます。勝利に貢献するために各自がやり切ることはまだできていないので、練習で精進あるのみです」
復活の一歩となった東北新人での1勝。能代科技はここから捲土重来を期す。
文・写真=小永吉陽子