2016年の日本ダービーを制したマカヒキだが、その後は長く勝利に手が届かなかった。このまま終わるのか…。多くのファンがそう諦めていた中、復活の重賞制覇を果たしたのが21年の京都大賞典だった。阪神競馬場が感動と拍手に包まれた一戦を振り返る…
2016年の日本ダービーを制したマカヒキだが、その後は長く勝利に手が届かなかった。このまま終わるのか…。多くのファンがそう諦めていた中、復活の重賞制覇を果たしたのが21年の京都大賞典だった。阪神競馬場が感動と拍手に包まれた一戦を振り返る。
大スランプだった。マカヒキは16年の日本ダービーでサトノダイヤモンドとの激闘をハナ差制し、世代の頂点に立った。秋にはフランスに遠征。前哨戦のニエル賞を制し、凱旋門賞でも期待が高まったが、まさかの14着に大敗。これで歯車が狂ったのか、勝利から遠ざかることとなる。王道を歩み続けたこともあるが、21年の天皇賞(春)(8着)まで17連敗。そして迎えた一戦が21年の京都大賞典だった。
マカヒキは単勝32.1倍の8番人気だった。1番人気はアリストテレス、2番人気はヒートオンビート、3番人気はアイアンバローズ。マカヒキが日本ダービー馬となった時には生まれていなかった4歳馬が上位人気を占めた。道中は中団に待機。勝負の直線、マカヒキは藤岡康太騎手の叱咤に応えて、馬群の中から脚を伸ばす。残り100m、前が詰まったが、すぐに外に切り替えて再加速。先に抜け出したアリストテレスを僅かにハナ差捕らえたところがゴールだった。
ダービーから中5年4カ月10日での勝利は歴代3番目のJRA重賞勝利間隔となった。クラシック勝ち馬に限ると史上最長の勝利間隔。この勝利で燃え尽きたのか、その後は4戦連続2桁着順でターフを去ったが、最後に輝いた一戦は藤岡康太騎手の雄姿とともに多くのファンの記憶に残り続けるに違いない。