今シーズン、セ・リーグのなかで唯一、新監督でスタートを切った横浜DeNAベイスターズ。 1998年以来、23年ぶりのリ…
今シーズン、セ・リーグのなかで唯一、新監督でスタートを切った横浜DeNAベイスターズ。
1998年以来、23年ぶりのリーグ優勝の期待を背負い、新指揮官に就任したのが、「ハマの番長」こと三浦大輔である。16年に現役を引退し、19年に一軍投手コーチに就任、20年にはファーム(二軍)監督を務め、今年から一軍の指揮を執ることになった。チームには明るい雰囲気が漂う。

今シーズンからDeNAの指揮を執る三浦大輔監督
開幕前のある練習日、ルーキーの入江大生投手が今日のひとことを大声で張り上げ、どっと笑いが起こった。そんな練習を見ているなかで目立ったのが三浦監督の動きである。練習前後、いろんな選手に話しかけていたが、それはキャンプ中から続いているという。三浦監督は言う。
「僕が指揮するうえで大事にしているのが、コミュニケーションです」
選手のなかには、監督が声をかけると構えてしまったり、緊張してしまったりすることもあるが、三浦監督はその範疇にいない。引退したのが5年前で、チームには一緒にプレーした選手もいる。2年前からコーチなどでチームに在籍しており、知らない顔はルーキーだけだ。三浦監督は、新人の彼らにも遠慮せずにどんどん声をかけていく。
「選手とはフランクに話をしています。僕が現役の時は、監督と話をする時、緊張したり、どこか話しづらいのがありました。僕はそういう話しづらい存在ではいたくないと思っているので、若い選手にも普段から冗談をいう感じで話しかけています」
話をしながら三浦監督は、選手の状態をはじめ、さまざまな情報を得ているが狙いはそれだけではない。いざという時に腹を割って話をするためにある。
「普段からコミュニケーションを取って意思疎通して、気持ちを確認しておきたいなって思っています。仕事の時だけ話をすると、なかなか本音で言い合えないところがある。普段からコミュニケーションを取ることで仕事の話ももっと深くできるのかなと思うので」
これまで多くの監督の下でプレーしてきた三浦監督だが、そのなかで非常に印象に残っている指揮官がいたという。
「権藤(博)さんは、コーチの時から一緒にやらせていただいたのですが、監督なのに『監督と呼ぶな。権藤さんと呼べ』と言われて......すごくインパクトがありましたね」
元監督の権藤博氏は98年から2000年まで3シーズン、チームを率いた。98年はマシンガン打線と抑えの「ハマの大魔神」こと佐々木主浩が活躍。三浦監督も12勝を挙げ、38年ぶりの日本一に貢献した。
権藤氏はどんな監督だったのだろうか。
「攻めて打たれた時は何も言われないんですけど、逃げのピッチングをした時は怒られましたね。ただ、監督って話しづらいものなんですけど、権藤さんは風呂場でもロッカーでも普通に話しかけてくる。『あれ、権藤さん、試合のこと忘れてんの』っていうぐらいサバサバしていて......監督はそういう切り替えがすごく大事なんだなって思いました。だから、その頃は、打たれても引きずらなかったですね。また次、頑張ろうって思えたので」
また三浦監督のトレードマークといえば、"リーゼント"である。今も記者会見など公式の場では髪型を整え、そのヘアスタイルは変わらない。
中学の時に矢沢永吉の曲を聴いてから熱烈なファンになり、自伝『成りあがり』を読み、自らもプロになって成り上がるという気持ちでボールを投げ続けた。「矢沢さんがバイブルです」と語る三浦監督だが、リーゼントは矢沢の影響はもちろん、大好きなエルビス・プレスリーや高校時代に流行っていた『ビーバップハイスクール』の影響もあった。
「(リーゼントに)憧れがありましたね」
プロ野球の世界は、昔はパンチパーマの選手はいたが、リーゼントはさすがにいなかった。尖った独特のヘアースタイルに、入団したばかりの選手が色気づいてとコーチたちの心象もよくなかったが、三浦監督は意地でも切らないと決めていた。
「髪の毛は切りたくなかったですね。最初はそういうことを言われるのも仕方ないかなと思いますが、髪型で判断されたくなかったですからね。ユニフォームを着ている時はリーゼントではないですし、野球に支障をきたすことはしていない。野球はちゃんとやろうと決めていたので、コイツは野球をしっかりやっているというのを見せたかったというのもありました。あと、小さい頃から高校3年の夏が終わるまで、ずっと坊主でしたから髪の毛を伸ばしたいという単純にそういう気持ちもありました(笑)」
リーゼントに加え、「ハマの番長」も三浦監督らしいニックネームだ。もはやベイスターズファンだけではなく、全国区となった。ただ、最初から『ハマの番長』を気に入っていたわけではなかったという。
「最初は抵抗がありました。僕らの学生時代には番長とかはいなくて、たぶん、僕らよりも一回り上の世代の頃だと思うんです。だから、『どうかな』っていうのがありましたけど、小さい女の子から『ハマの番長』と声をかけられた時、逆にありがたいなって思ったんです。それに『ハマの大魔神』の佐々木さん以外、『ハマの』と言われる人がいなかったので、それで受け入れられるようになりました」
現役時代、登板の日は自宅から横浜スタジアムに向かう車のなか、矢沢永吉のロックを聞き、テンションを上げて球場入りをした。ブルペンで投球練習を始め、終えるまではリラックスして過ごした。戦闘モードに切り替わるのは、ベンチに一歩足を踏み入れた時だ。そこから「交代」と言われるまで、集中した。
「球場入りして集中しようとしても、続かないんで。(集中力という)限りある資源をマウンドで投げている時に使いたかったんです」
ちなみに現役時代、ゲン担ぎやルーティンはあったのだろうか。
「ゲン担ぎもルーティンもないですし、まったく気にしなかったですね。人によっては勝った時の靴下とか、アンダーシャツを着たりするけど、僕はまったく気にしません。ゲンを担がないのが、ゲン担ぎみたいな感じでした」
それはたぶん監督になっても変わらないだろう。自宅から横浜スタジアムまでは永ちゃんの曲でテンションを上げ、球場入りをする。勝っても負けても終わったら次の試合へと気持ちを切り替えて、また準備する。気持ちの切り替えの重要性は、かつて優勝を果たした権藤監督から学んだものである。
今シーズンは、昨年まで主力だった梶谷隆幸と井納翔一がFAで巨人に移籍し、外国人選手10人が開幕に間に合わないなど、戦力的な不安を指摘されていた。
「プロ野球選手ですし、FAで移籍は選手の権利です。ふたりがジャイアンツに行ったから巨人戦だけはというのではなく、他球団にも勝たないと優勝できないんでね。今いるメンバーでどうやって戦っていこうか、どうやって優勝しようか、それしか考えていないです」
梶谷の穴はキャンプから元気なプレーを見せていた桑原将志が埋め、来日が遅れているオースティンのところは関根大気がいいプレーを見せてカバーしている。梶谷の人的補償で巨人から移籍してきた田中俊太は開幕戦で古巣・巨人相手に6打点を叩き出すなど非常に好調だ。チャンスを得た選手が伸び伸びとプレーしており、今後が楽しみだ。
チームキャプテンは、三浦監督が「昨年キャプテンという重責を果たした」という佐野恵太に今年も託された。佐野は昨年首位打者となり、シーズン後、背番号も「7」に変わった。「ハマの顔」になりつつあるが、今年はさらなる活躍が期待される。
では、優勝のキーマンになる選手は誰になるのだろうか。
「誰とかはないです、全員ですよ。全員に頑張ってもらわないと勝てないと思っていますし、全員に活躍してほしいと思っています」
三浦監督には優勝を狙うのと同時に、準永久欠番になっている18番が似合うエースを育てることにも期待が高まる。
「18番をつけるための条件とかはないですよ。18番をつけたいという気持ちと、その背番号に誇りをもって投げてくれる選手であればいい」
シーズン中に、そういう存在が見えて来ればチームに勢いが出てくる。08年のFAの時、横浜でもう一度、優勝したいと残留を決めた。その強い思いは今も変わらない。
開幕から厳しい戦いは続いているが、まだシーズンは始まったばかり。頂点へと駆け上がり、「ハマの番長」から「ハマのボス」へと成り上がれるか──。三浦監督のこれからが楽しみでならない。