『特集:球春到来! センバツ開幕』 3月19日、2年ぶりとなるセンバツ大会が開幕した。スポルティーバでは注目選手や話題の…

『特集:球春到来! センバツ開幕』

 3月19日、2年ぶりとなるセンバツ大会が開幕した。スポルティーバでは注目選手や話題のチームをはじめ、紫紺の優勝旗をかけた32校による甲子園での熱戦をリポート。スポルティーバ独自の視点で球児たちの活躍をお伝えする。

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天理の中村良二監督(左)と仙台育英の須江航監督(右)

 監督の采配には、それまでの経験が色濃く反映されるものだ。

 1986年夏、天理高校3年の時に全国優勝を経験した中村良二が、母校の監督として甲子園に戻ってきたのは2017年(27年ぶりのベスト4進出)。以後、常に甲子園で上位を狙うチームを作ってきた。

 中村監督は自身の采配についてこう語る。

「僕がサインを出すのは、1試合に3回くらいじゃないでしょうか」

 もちろん、選手にすべてを任せ、ただ見ているだけではない。中村は、「これをしろ」ということよりも、「これはするな」というサインを出すことが多い。

「打順とか、相手のピッチャーの状況を見て、『待て』を出すことはありますね。また、生徒が中途半端な気持ちでいる時や、迷っていると感じた時には、『走れ』『バント』と伝えます」

 エースと主砲についても同様だ。監督が細かいアドバイスを送ることはない。

「4番の瀬千皓は、(3月25日の)健大高崎戦でタイムリーヒットを打ちましたが、僕は『狙い球を絞って打て』と言っただけ。どう絞るかは本人に任せました。彼には、いつも4番らしい立ち居振る舞いをするようにと話をしています。凡退した時でも、堂々としていてほしい。

 先発の達孝太が立ち上がりにコントロールに苦しんでいる時も、特に修正の指示は出していません。『投げ急ぐなよ、自分のペースで』と言ったくらいです」

 中村が母校の監督に就任して6年目になるが、恩師の背中を追っている自分に気づく。天理を二度も日本一に導いた前監督・橋本武徳とのエピソードを、『補欠のミカタ レギュラーになれなかった監督の言葉』(徳間書店)の中で語っている。

「僕たちが2年生だった1985年春のセンバツに出させていただいたんですが、夏は県大会の決勝で智弁学園に負けました。その秋に近畿大会で優勝してセンバツに出られることになっていました。橋本先生に『練習中に音楽をかけてもいいですか?』とお願いしたことがあるんです。『甲子園は大歓声で、指示の声が聞こえないから』というもっともらしい理由を添えて」

 選手たちは、プロ野球のように音楽をかけながら練習したいだけだった。彼らの本心を知ってか知らずか、橋本監督はすぐに「やろう」と答えたという。

「なぜか、ウォ―ミングアップのときから音楽を流しても何も言われませんでした。選手の意思を尊重して、野球をさせてもらったなと思いますね」

 その橋本監督に「史上最高のキャプテン」と称され、1986年夏に全国制覇を果たすことになる中村は、「何かあったら言ってこい。できるだけ聞いてやるから」と言われていた。

「ある日調子に乗って、『みんなが疲れているので、明日の練習は午前だけにしてもらえませんか?』とお願いしたら、『わかった。午前中だけ全力でやってくれ』と言われました」

 疲れているのは本当だったが、半休をもらった選手たちが寮でじっとしているわけがない。中村を先頭に、喜び勇んで遊びにでかけた。人心掌握術に長けた監督はすべてをお見通しだったはずだ。

「そういうことをわかったうえで、やらせてくれる方でした」

 3月28日に行なわれるセンバツ準々決勝の第1試合で、ベスト4をかけて天理と対戦する仙台育英の須江航監督は、高校野球の指導者になるまでに13年間、仙台育英の系列校である秀光中等学校の軟式野球部監督を務めた。

 野球部の創部は2005年。2006年に須江が監督に就任した時には、部員が12人。ほとんどが野球未経験者だったため、ルールから教える必要があった。

「ルールさえ知らない子がいて、打った瞬間に3塁に走り出して驚きましたよ」

 仙台育英から八戸学院大学に進んだ須江には初めての体験ばかりだった。

「でも、それが自分にとってはよかったんです。弱いなんてもんじゃないチームに、立ち上げから関わることができましたから。自分がまったく知らない世界でした。野球どころか、運動とも縁遠い子がたくさんいましたよ。

 当時はまだYouTubeみたいな動画も出回ってなかったので、野球の教則本を買って、それを見せながらボールの握り方から教えました。守備位置にラインを引いて『サードの守備範囲はこのくらい。ここに飛んできた打球を捕るんだよ』と説明しながら」

 須江はこの時、知らず知らずのうちに、目線を下げることを覚えたのかもしれない。

「彼らにルールを説明しながら、『勝率を上げるためには、野球という競技のゲーム性を理解させないと』と思いました。その本質がわかっていれば、カテゴリーが上がっても対応できる選手になる」

 非力な中学生と一緒に野球を学び直した須江は、硬式球と比べるとヒットが出にくい軟式野球で全国優勝の経験がある。隙あらば攻める、積極的に仕掛ける監督だ。

 センバツ1回戦の明徳義塾戦、2回戦の神戸国際大付戦でも随所に「らしさ」を見せた。ランナー2塁からヒットエンドランを仕掛け、失敗しても果敢に盗塁を試みる。スクイズを使って手堅く加点する場面もあった。

 2回戦の試合後には、「ピッチャーにに足を意識させて、ワンバウンドになるような落ちる球を使いにくくしたかった。走力がそれほど高くない選手でも、足は欠かせない」とコメントしている。

 分析力に優れた須江監督は、現在の仙台育英の野球をこう見る。

「2020年のチームは、佐々木順一朗先生の時の仙台育英のよさが残っていたんです。勢いに乗ったら手がつけられない。僕では佐々木先生のころの仙台育英は作れないので、ひとつひとつに根拠のある繊細な野球を突き詰めていくしかないですね」

 徹底的に敵を分析し、打てなければ足を使って投手を揺さぶる。得点する手段はヒットだけではない。

 天理には、2回戦で強打の健大高崎を2安打完封した193cmの好投手・達がいる。仙台育英には、146キロのストレートで明徳義塾打線をノーヒットに抑えたエースの伊藤樹など、140キロ以上のボールを投げる投手が4人も揃っている。どちらの打線も強力で、戦力的には甲乙つけがたい。

 勝負を分けるのは、対照的な指揮官の"監督力"かもしれない。