印象的な、シーンがある----。 それは決勝戦でも、憧れのセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破った準決勝でもない。スコア的には6−2、6−2の圧勝で終わった、準々決勝の対シェイ・スーウェイ(台湾)戦。全豪OPを制…

 印象的な、シーンがある----。

 それは決勝戦でも、憧れのセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)を破った準決勝でもない。スコア的には6−2、6−2の圧勝で終わった、準々決勝の対シェイ・スーウェイ(台湾)戦。



全豪OPを制して笑顔を見せる大坂なおみ

 その最終ゲームで、長い、長いラリーの末にバックハンドのウイナーを決められた時、大坂は「ふふふ」っと、コートから離れた記者席にまで届くほどの笑い声をあげたのだ。

 過去に時折見せていた、自虐的な笑みではない。自分をリラックスさせるため、無理やり作った笑顔でもない。本当に楽しくて、ごくごく自然にこぼれた......そのような笑みだった。

「わかっていたのにやられてしまって、思わず笑ってしまったの」

 試合後、彼女は思い出し笑いを浮かべながら、件のシーンを振り返る。

「私がいいショットをクロスに打てば、彼女にウイナーを決められる。それがわかっているのにやられると、思わずおかしくなってしまうの。だってあんなウイナー、ほとんどの選手は打つことができないのに、彼女はいとも簡単そうにやってみせるんだもの」

 まだ話し足りないとでも言うように、大坂はシェイの動きをマネながら、さらに言葉をつなげる。

「今日も彼女はネットに出て来た時、こんな感じで簡単に(ボレーを)決めるのよ。私なんて、ネットに出た時は『どこに打とう!?』と考えて硬くなっちゃうのに、彼女はほとんど歩くようにしてネットに出てくるんだもの。彼女のプレーを見るのは、本当に楽しいの」

 この1月に35歳を迎えたシェイは、細身ながら天才的なタッチでカウンターやトリッキーショットを放つ業師。かつての大坂はそんなシェイの技に翻弄され、苛立ち苦戦を重ねていた。

 その大坂が、今ではネットの向こうのシェイのプレーを見て「楽しい」と感じたという。その変化にも、明確な理由があった。

「今日の試合で、私はまったくイライラしなかった。状況をとても明確に見ることができていた。

 ある人が、『憤り(anger)とは、現状の不理解から生まれる』と教えてくれたの。以来、試合中に苛立った時には、それは自分が現状を理解していないからだと考えるようになった。

 今の私は、以前よりも広い視野を持ち、何をすべきか判断できるようになったと思う」

 憤りの構造を理解するプロセスを繰り返し、今の彼女はそれに対処する術(すべ)を体得しつつあるようだ。

 思えば今大会、大坂が「anger」という言葉を用いた発言に、次のようなものもあった。

「2年前にここで優勝した時、私は憤り(anger)を原動力にプレーしていたようなところがあった。テニス界に、自分の立ち位置を刻印したいと必死だった」

 怒りにも似た感情をブースターに、全豪オープン優勝、そして世界ランク1位にも到達した2年前。だが、その後の彼女を待ち受けていたのは、「世界1位であることを証明しなくては」「ロールモデルにならなくては」という、重圧の数々だった。

 今の彼女は、それらかつて味わった苦しみも、さほど感じていないという。

「私ができることは、私らしくあることだけだと気がついた。この世界には、ロールモデルにふさわしいテニス選手が500人はいる。今は、私をロールモデルとして見てくれる子どもたちと一緒に、自分も成長していきたいと思っている」

 さらには、周囲から寄せられる「期待」に対する解釈も、時を経て変容した。

「おかしなことに、私はもう『期待』を『重荷』だと捉えていないの。今までのがんばりがあるから、私は今の場所にいる。人々が私に期待するのは、私が何かを成し遂げてきたから。

 若い時の私に、過剰な期待をする人はいなかった。ランキングが上がるにともない、プレッシャーも感じるけれど、それは自分を高めるモチベーションにもなる」

 この大坂の思考法は、彼女も尊敬するテニス界のレジェンド、ビリー・ジーン・キングが残した「プレッシャーは、特権である」の名言に通ずるものだろう。

 期待をモチベーションに変える大坂の活躍は、優勝という形で歴史に刻印されていく。グランドスラム決勝の戦績は、この2年半で4戦4勝。

 その勝負強さの理由を聞かれ、大坂は次のように答えた。

「準優勝者のことは、誰も覚えていないように思う。覚えている人もいるだろうけれど、歴史に名が刻まれるのは、勝者だけだから」

 言葉を紡ぐ口調は柔らかく、表情は穏やか。だが、その言葉には、峻烈なまでの勝者のメンタリティが宿っている。

 偉業を成し遂げ、次々に歴史に名を刻んでいく大坂が目指す先は、果たしてどこだろうか?

 四大大会すべてを制する"グランドスラム達成"か、あるいは、敬愛するセリーナ・ウィリアムズが獲得した23のメジャータイトル獲得か。それとも、セリーナも切望しながらまだ手が届かぬ、史上最多のメジャー24勝の大記録か......。

 そのセリーナに代わり、大坂にテニス界の"顔"を期待する声は、日に日に高まっている。今回の優勝会見でも、「セリーナにも勝ったことだし、もはや自分こそがテニス界の顔だと感じるのでは?」との質問が向けられた。

 4つ目のグランドスラムタイトルを手にしたばかりの23歳は、即答する。

「いいえ。まったく思わない」

 そう言った時の、毅然とした口調ながら、どこか寂しそうな笑みが多くを物語る。

 幼少期に抱いた夢や憧憬は、今も大坂を突き動かす最大のモチベーション。永遠の憧れの人の背を追いながら、未踏の地を彼女は目指す。